グループ学法と煉功に参加し、偽りの妨害を取り除く
■ 印刷版
 

文/香港の大法弟子  

 【明慧日本2021年5月28日】私は法輪功を修めて10年になりますが、この10年間の修煉の道で、人間の観念により、出会った出来事を修煉者として常に理性的に見ることができず、偽りの現象を見るどころか、そこに喜びや誇り、不安や喪失感を感じていました。

 最近、私は、グループで法を学び、煉功することで、師父が教えてくださった法と修煉を新たに理解することができました。特に、第二式の功法を煉っているときには、両腕の激痛を克服したと同時に、過去の修煉での自分の勘違いを認識することができました。

 以前、第二式の功法を煉るたびに、輪を抱えたとき両腕に痛みを感じ、その肉体的な痛みがあまりにもリアルだったので、第二式の功法を途中で止めて、半分しか煉らないことがよくありました。私は、修煉者としての自分を見ることができず、見た目の痛みを見極めることができず、自分の面目を保つために、同修との煉功を避けることが多かったのです。

 師父は「実は物質と精神は同一のものです」[1]と説かれました。

 今まで師父のこの教えを特に深く理解していませんでしたが、グループでの法の勉強と煉功に参加することで、本当にこの修煉環境に溶け込み、初めてこの法理を悟ることができました。

 ある日、輪を抱えた時、まだ腕がとても痛くて、私は心の中で 「大法は全知全能だから、こんなに長く痛むはずがない、これは偽りの現象だ」と思っていました。そう思っていたら、急に腕が痛くなくなったので、第二式の功法を終わらせることを堅持することができました。

 煉功が終わった後、私は深く考えました。師父は「実は物質と精神は同一のものです」[1]と説かれました。これはまさしく天機なのです!

 私は長年、修煉の道で見聞きしたことや感じたことを真摯に受け止め、自分の考えの誤りを整理することをしてこなかったので、悩んだり、回り道をしたりしていたのだと思います。

 常人は、頭が痛いときには頭を、足が痛いときには足を治療するだけです。なぜなら、常人は表面だけを見て、目で物事の良し悪しを判断しているからです。

 どうしたら、この迷いの人間世界で迷子にならずに済むのか、大法の中でだけ迷子にならないのです。

 思想業によって生じた偽りの妨害を取り除いただけでなく、グループで法を学ぶたびに、大きな容器に浸かっているような感覚になり、とても暖かく、とても安らかな気持ちになります。

 以上は、私の最近の修煉体験であり、同修と共有するために書き出したものです。適当でない所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/23/426010.html)
 
関連文章