【慶祝513】崩壊寸前の結婚生活が幸せになった
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年6月6日】夫はいつも両親や親友、同僚の前で「ここ数年、妻のおかげです」と私を褒めてくれました。人々の目には、私たちは羨ましい存在で幸せな夫婦だと思われていましたが、実は8年前、私たちの家庭は崩壊寸前になっていたのです。

 疲れ果てて、涙を伴う結婚生活

 8年前、姑は中国共産党の噓偽りの宣伝に騙され、法輪大法を修煉する私が息子の将来を妨げるのではないかと恐れ、私の夫に離婚をそそのかしました。

 それ以来、夫の態度が悪くなり、常に私に「お前と結婚して大失敗だ! 出ていけ!」と叫んで、「さっさと離婚協議書にサインして、実家に早く帰れ!」と脅しました。法輪大法の修煉をしていなかったら、このような生活は一日も続けられなかったと思います。

 夫はいつも仕事の外出を利用して、私が法輪功のことを伝えていないか、近くの公園や路上でチェックしていました。何か疑われることでもあれば、夜家に帰って、椅子を壊したり、携帯電話を投げたりして喧嘩を売り、時には裁判所に行って離婚するよう、ナイフで私を脅しました。私は心身ともに疲れ果て、常に涙の中で過ごしていました。

 そのような環境の中でも諦めず、私は大法の真実を伝えなければならないと夫に訴え続けました。最終的に、夫は週に2回、1回3時間以内の外出を許してくれました。私は子どもを姑と舅にお願いして、この3時間を利用して、出かけて同修と一緒に人々に法輪功迫害の実態を伝えました。最初、私はうまく伝えられず、焦って泣きそうになったこともありましたが、同修の教えで少しずつ出来るようになりました。人々が大法に済度されるのを見て、私と同修はしばしば感動して涙を流したこともあり、それは最高に幸せな時でした。

 しかし、終わって家に帰ろうとすると、すぐに気持ちが重くなり、家に近づけば近づくほど不安でたまりませんでした。家に入ると、姑は派出所に行って検挙するとか、私の実家の両親に詰問するとか言って私を脅し、また、頭痛で子守ができないと言って妨害しました。実は、姑は毎日マージャンをしに出かけていました。

 このような結婚生活に不平不満が募りました。当初、私は大都会での生活を放棄し、立派な仕事を辞め、夫について夫の地元に嫁いできました。家がないため借家で暮らし、仕事もお金もないため姑に見下されました。そして昼も夜も、私1人で赤ちゃんを見なければなりませんでした。異郷で暮らす私にとって、夫しか頼る人はいませんが、夫は毎日のように喧嘩を売り、私の個人的な自由まで制限しました。幼い子どもを見て、本当に人生の無念さを感じました。私は同修に不平を言ったり、母に苦しみを訴えたりしていました。このような状態で、学法をする時も、明慧ネットで同修の交流文章を読む時も涙がこみ上げ、どのように変えたらいいのか、本当に分かりませんでした。

 夫は「この家にはまだ希望がある」と言った

 大量に学法をすると同時に、同修たちと交流することによって、自分を修めなければならないと分かってきました。師父は「大法弟子は修煉者として、問題を見る時、人間と逆の角度から見るべきです」 [1]、「不愉快なことに遭うときはちょうど、自らを修めるときであり、心を修めるときです」   [1]と説かれました。

 私の考え方は大きく変わりました。夫の最初の不満、言い争い、反撃、皮肉を言うことから、夫の言葉を静かに聞くようになりました。夫がひどく怒る時でも心は動じず、冷静に夫の立場に立って考えるようになりました。

 私は夫に「怒らないでね。私に間違ったところがあれば改めます。私は大法を学び、真・善・忍に従って良い人になるように心がけており、悪い事をしません。こんな素晴らしい大法を修煉させないようにしてはいけません。私は休みの時間を利用して学法と煉功をしていて、誰にも迷惑をかけていないし、家事や育児を遅らせることもありません。憲法にも信仰の自由が定められているので、あなたは私に干渉してはいけません」と説得しました。

 夫はかんしゃくを起こすと、いつもドアをバタンと閉めて家を出て行きます。夫が外から戻って来ると、私は笑顔で近づき、夫の袖を軽く引っ張って「ご飯ができたよ。食べましょう」と誘います。夫が私の手を振り切って立ち去ろうとすると、 私は「食べないとダメだよ、身体に悪いから」とやさしく言いながら、夫を食卓の前に座らせました。夫は何も言わずに黙々と食べました。会話のない家庭の雰囲気は、寂しくて息苦しいものでした。

 夫は私を無視し続けましたが、私は依然として笑顔で接し、料理を作って食事に誘いました。重苦しい雰囲気が何日も続き、夫は3カ月間一言も喋らない時期もありました。

 しかし、私は何もなかったかのように、毎日夫にいろいろな料理を作ってあげました。夫は好き嫌いが多く、好みに合わせるために、私は揚げ方、炒め方、煮込み方など調理の腕を磨き、心を込めて調理して食べさせました。食欲がない時には、辛い料理を食べたがるので、私はインターネットの動画で四川料理の作り方を学び、夫向けと子ども向けの2種類の料理を毎食用意していました。

 夫が仕事で忙しくて大変な時、私は夕食の料理を毎日4品作り、小さめのお皿を買ってきて、少量の調理で、毎食新しくて異なる味の料理を作りました。私の努力に感動し、最後に夫は笑って「毎日こんなにおいしい料理をたくさん食べ、他の食事には慣れないかもしれない」と言い「実は、あなたがやったすべてのことは無駄がない。種のように僕の心に蒔いてある」と言ってくれました。

 今、私が食事の支度をすると、夫はすぐに「わざわざたくさん作る必要はない。あなたが作ったものは、僕は何でも食べる。ちょっとだけあればいいよ」と言います。夫は食べ物の好き嫌いもなくなり、何でも食べるようになりました。夫は「僕にとって、最も感動的なことって何か知っている?  あなたが毎日僕を呼んで、食事をさせることだよ。どんなに喧嘩をしていても、あなたには常に一つ守るアンダーラインがある。それは、この家にはまだ希望があると僕に感じさせることだ」と、何度も私に心情を語りました。

 私は師父のお教えに従い、夫の過ちを気にせず、ひたすら真・善・忍の基準で自分を律することで、私たちの家庭を守ることができました。

 恨みを捨て、高ぶらずへつらわず、夫に善を促す

 夫は酒好きでよく酔います。トイレの床でズボンも上げずに寝てしまうことや、飲んで意識を失い、夜中にベッドから転落したこともしばしばあり、特に酔っぱらったとき、誰でも敢えて叱ることは一番大変でした。

 一昨年の旧暦新年、両親と弟が私の家に来ました。久しぶりに賑やかに集まり、夫はお酒をたくさん飲みました。食事中、夫は姑が家を買いたいので、私の両親に親戚からお金を借りてほしいと頼みました。両親は「あくまでも親戚のお金ですから、貸してくれるか、それは私たちが決めることではなく、簡単に言えることではありません」と説明すると、夫は面白くなくなり、私の家族に「帰れ!」と叫びました。

 今回は本当に悲しく感じました。夫はあまりにも理不尽で、もう我慢できないと思い、涙が止まりませんでした。夫のいろいろなやり過ぎた行動が私の頭の中で浮かび上がりました。結婚の当日、夫は私の母に怒ったこともありました。また、私が出産して、母は昼も夜も私と赤ちゃんの面倒を見てくれているのに、夫は少しでも気に障ると、すぐに戸を閉めて出て行きました。結婚するとき、夫は車を持っていなかったため、私の両親が車を買ってくれました。しかし、夫は姑と舅を乗せてあちこちを回って遊びに行きましたが、年に1回しか来ない私の両親を、車で駅まで出迎えしたことは1度もなく、私がタクシーで出迎えました。また、都会の病院で入院した舅の看病のために、 私は湿った汚い小さな旅館で1カ月も滞在して世話しましたが、夫は私の父の言葉に怒り、6時間も私を叱り続けました。これらの事を思い出すと、心中穏やかではいられませんでした。

 夫も自分のやり過ぎに気づき、私の父の前でひざまずき「お父さん、私が悪かったです。今日は飲みすぎて、申し訳ございませんでした」と謝りました。しかし、夫は自分のメンツを守るために、話題を移して私の修煉に同意しないと言いました。部屋に戻った後も私を罵り、両親が帰った後ですぐに離婚すると脅しました。私の両親も法輪大法の修煉をしており「彼は酔っぱらっているから、怨まないで、内に向けて自分を探しなさい」と私を説得しました。興奮して疲れ切った夫はそのまま眠ってしまいました。悔しさと怨みで、私は苦しくて一晩中眠れませんでした。

 「どうしてこのようなことが起こったのか?  私に問題があったのではないか? 大法弟子と常人の間にトラブルがあった場合、それは大法弟子が間違っている。それが分かっているのに、どうしてこんなに苦しいの? 私には何か放棄しなければならないものがあるのではないか?」と考え始めました。ふと、それは情であり、家族への情だと気づきました。

 私にとって、家族関係は睦まじくて暖かくあるべきで、親を尊敬しなければならないと思っており、親孝行を重んじてきました。今日の夫の言動は、私の心に強いショックを与え、憤りと怨みが抑え切れないほどでした。しかし、私は修煉者であり、他人を改めさせるのではなく、自分自身を修めなければならないと自覚しました。夫を責めずに勧善しようと思い、両親と弟が帰った後、私は夫に手紙を書き始めました。

 14ページにも及ぶ手紙の中で、私は、長年にわたって経験したさまざまな家庭生活の苦難と、耐え難い試練を乗り越える心境を語りました。「もともと私は立派な仕事があり、人に羨まれる役職に就いていましたが、私たちの家庭を維持するために、すべて放棄しました。しかし、息詰まるような結婚生活で、私は何度も我慢の限界に達しましたが、真・善・忍の信念が私を支え、あなたと姑の数々の理不尽なところを包容してきました」

 「以前、私は不眠症で苦しみ、また、少しでも空腹になると胃がひどく痛かったのです。法輪大法を修煉することで、健康になったことをあなたもよく分かっているでしょう? それなのに、あなたたちはその事実を否定するよう私に圧力をかけ、無理やり修煉をやめさせようとしています。大法は私と私たちの家庭に恩恵をもたらしましたが、それを認めようとしないあなたは、正直で良い人間だと言えるのでしょうか?」

 「ここ数年の結婚生活の中で、私は大法の教えに従い、善をもって人に接し、他人の良いところを多めに見て包容し、人のために考え、自分が損しても気にせず、できるだけ最善を尽くしてきました。私は離婚したくはないですが、離婚を恐れてはいません。修煉者の善良と忍耐は、誰かが踏みにじったり、いじめたりする理由にはなりません」と書きました。

 夫は私の手紙を読み、最初は私を罵倒しました。しかし、翌日以降、夫は沈黙する中で、だんだんと冷静になりました。しばらく経って、夫は「手紙を読んで、僕は震撼した! 初めて自分が悪かったことに気がついた。これから二度とあなたを傷つけるようなことをしない」と反省しました。

 ある日、夫は私に「あなたのことを心から感謝している。誰と結婚してもあなたには及ばない、僕が一番分かっている。僕が一生懸命仕事に励む最大の原動力は、かわいい息子とやさしい妻がいるからだ。これからは、あなたにそんなひどいことをすることもなく、義父と義母をもっと大事にするから、心配しないでね」と言ってくれました。

 苦境を経て、ようやく希望が訪れた

 2020年の夏、両親はまた私の家に来ました。夫はわざわざ時間を空けて、毎日車で私の両親を乗せて周辺の観光地を訪れました。夫は私に「義父と義母がせっかく来てくれたので、お金を惜しまないで、美味しいものや欲しいものを何でも買ってあげてね」と何度も言いました。

 旧暦の正月、夫はテレビ電話で私の両親に新年のあいさつをし、弟にも電話をかけて「彼女がいる? いつ結婚する? 早く結婚して、義父と義母に孫を抱かせてあげてね」と関心を示しました。正月三日、私の叔母に招待されて、夫と私は一緒にお土産を持って叔母の家を訪れました。夫はうっかり飲みすぎてしまい、帰って来たあと、悔しそうに「あなたの親戚の前で飲み過ぎて、あなたのメンツをつぶしてしまった。ごめんね、本当に後悔している」と言いました。私は笑いながら「大丈夫よ、みんな身内だから、恥をかくことなんかありませんよ」と慰めました。今、夫はお酒もあまり飲まなくなり、酔ってしまうこともめったにありません。

 夫はまだ法輪大法を修煉していませんが、内に向けて探すことも分かるようになり、家庭に対する責任感も持つようになりました。夫は私を手伝って家事もするし、子どもの送迎や勉強の指導もするようになりました。私の負担を減らすために、自動掃除機を買ってきて、毎日の手作りの子どもの弁当も学校で注文することにしました。

 夫は以前のように私を責める事をせず、自分の問題を見つけて改めるようになりました。知らず知らずのうちに、夫は正直でやさしく、家庭のために尽くすようになり、まるで別人のように変わってきました。そして、私の修煉にも反対しなくなり、同修たちが来ると親切に挨拶をし、私が出かけて、法輪功迫害の実態を伝えることも妨害しなくなりました。現在、私の修煉環境はますます良くなり、プリンターを使って自宅で大法の資料を作ることもできるようになり、家庭の雰囲気は和やかで睦まじくなりました。

 現在、夫は親戚や友人、同僚の前で「ここ数年、我が家は妻のおかげだよ」とよく私を褒めてくれます。私たちは幸せな仲睦まじい夫婦で、結婚生活の危機をうまく処理できる「達人」と見られ、みんなに羨まれています。夫の兄は「あなたたちはどうやって仲良くするの?」とわざわざアドバイスを求めに来たこともありました。夫はいつも「相手を変えるのではなく、先ずは自分自身を正すことです」と、私が大法の修煉で得た経験を周りの人々に伝えています。

 昨年、夫は私に仕事を探してくれて、収入が増え、家の経済状況もさらに良くなりました。家族は「大法を修煉して福に報われた」と言いました。

 振り返ってみると、夫との関係は2年ごとに劇的な変化を遂げてきたように感じました。最初は水と油の関係のように相容れない状態から、今は互いに理解し、包容するようになりました。私たちの8 年間の結婚生活で、真・善・忍の法理は我が家を清め、法輪大法の慈悲な力は少しずつ夫に影響を与え、より良い人に変身させてくれました。夫は「僕も内に向けて探し、人の良いところを多めに見て、広い心の持ち主になれれば」と言いました。

 8年間の経験を通して、私はどんなに厳しい環境やトラブルの中でも、どんなに希望が見えない時期でも、真・善・忍という宇宙の真理を固く信じ、師父のお教えに従って行い、法輪大法の修煉で自分を正すことができれば、必ず苦境を経て希望が見えてくると信じています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/30/426071.html)
 
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