下半身粉砕骨折した私は、大法によって生還した
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文/中国の大法弟子 純浄

 【明慧日本2021年9月18日】私は2002年に大法に出会いました。修煉する前、浮気した夫が離婚を求めてきたので、私は何も考えずに同意し、その日のうちに離婚手続きを済ませました。手続きの途中、見捨てられて人生に失敗したと感じた私は、泣き続けていました。民政部の職員は「泣く必要はありません。彼はしばらく遊んでからまた戻ってきますよ」と言ってくれましたが、私は「絶対に戻ってくるな!」と思いました。

 その頃、離婚しても家を離れないという悪い風潮がありました。離婚した翌日、元夫が家に帰ってきて騒ぎを起こしたので、どうしようかと思った私は仕方なく、子供を連れて実家に行きました。今度は、彼は毎日のように、兄弟姉妹を連れて私の実家に来ては、私を連れて帰ろうとしました。彼が騒げば騒ぐほど私は傷つき、実家の隣人たちの静かな暮らしをも壊してしまいました。そこで、私は子供を連れて、兄や姉の家を行き来しながら、あちこちに隠れて暮らそうとしても、彼は必ず私の隠れ場所に来ては、トラブルを起こしていたのです。ついに、私は母に「子育てに協力してくれる人であれば、ほかの要求はありません。再婚したいと思っている」と話しました。

 まもなくして、私は新しい家庭を築き、子供を学校に入学させました。しかし、それでもまだ、元夫は私の新しい家庭にも嫌がらせや脅しをしにやって来ました。しかもこっそりと子供を学校から連れ出し、それを利用して私に元の家に戻るように強要しました。私は傍に子供がいなくなり、罪のない人に危害が及ばないように、親戚全員と連絡を絶ち、家を出ることにしました。

 数カ月後には、今の夫が私を見つけましたが元夫がまだ私の家族や、特に今の夫の家族にも嫌がらせをしていると知り、私は申し訳ないと思い、一緒には帰れない心情を今の夫に伝えました。すると今の夫は、私と一緒に隠遁生活を送ることを提案しました。それから数年が経ち、私は少しずつ家族と連絡を取るようになり、また実家に戻って暮らし始めました。

 一、修煉を始める

 元々身体が弱い私は、数年にわたる精神的な苦痛と、困窮して流浪の身となる生活を経て、枯れ草のようになりました。当時まだ30代だった私は、朝昼晩1日3回の薬を飲み、食事もままならない状態でしたが、傍にいない子供のためだと思い、何とか延命していました。

 ある時、母を訪ねて来ていた従姉が、虚弱で苦々しい顔をしている私を見て不憫に思い、こう言いました。「私は宝のような本を持っている。もしあなたがそれを読んで理解できれば、あなたは運命が変わり、健康も取り戻せる!」と言いました。正直言って、その時の私は、話などは気にも留めておらず、苦笑いばかりしていました。しかし、母は心に留めていたのです。その後、母は私に「従姉の家に行って、どんな宝物の本か見てきなさい」と言いました。そして従順に従った私に、従姉はこう言いました。「ここに1冊の『轉法輪』があります。まず、あなたに貸してあげます。もし、あなたがずっと学んでいきたいなら、あなたにプレゼントします。しかし、学びたくないなら、読み終えたら私に返してちょうだいね」

 こうして、私はこの貴重な本を持って帰り、幸運にも修煉することになったのです。大法の保護の下、私は生きる意欲が湧いてきました。大法の本を読み始めて1週間経った頃、母は「やっと笑顔が見れたね。顔や唇も赤くて艶が出た。この本がこんなにも素晴らしいなら、私も読んでみよう!」と言ったのです。それ以来、私が患っていたすべての病気は消えたのです。各種の漢方薬も西洋薬も片付けました。私の心の窓が開けられたように感じました。

 しばらくしてから、元夫から電話があり、「もう二度と絡まらないから、心配しなくていいよ」と言ったのです。感情が高ぶる中、電話を置きながら私はこう思いました。「師父、感謝いたします! 汚い私を救って下さり、正され、清められ、沼地から掬い上げてくださり、人生の真の意味を分からせてくださったのは師父です!」

 非常に優れた悟性を持っている母は、これは奇跡だと言い、私と一緒に大法の修煉を始めたのです。

 二、生まれ変わる

 修煉によって身軽になった私は、何とも言えない幸福感に浸って、毎日を送っていました。

 2002年、法輪功への迫害が非常に厳しい中、同修間での法輪功迫害の真相資料の伝達が必要であるため、修煉を始めたばかりでまだ誰にも知られていない私でしたが、その役割を担うことになりました。ある日、私は母に「明慧週刊」を届けに行く途中、大きな交通事故に遭ったのです。重さ19トン長さ14メートルの大型トラックに押しつぶされたのです。そのとき、 私はこう思っていました。「死んではならない、潰れてもいけない。私は大法の恩恵を受けてばかりいたので、まだ何の恩返しもしていない」

 これほど大きな車が体の上を通過した後、私はお腹より下は動けなくなったと感じました。私が真っ先に考えたのは「カバンには大法の資料と電話機がある。ほかの人に知られてはいけない」でした。師父の導きにより、私はすぐに道路の真ん中に落ちていたカバンが見えたので、慌てて通りすがりの人に頼んで拾ってもらいました。その後、大法の資料を保護するために、私は直ぐにカバンを抱きかかえました。そのとき、周りにいた通行人が、私の家族や救急車に電話をかけ始めていました。

 まもなくして救急車が来て、私を病院に連れて行こうとしましたが、私は「大丈夫です。病院には行きません」と言ったので、彼らは敢えて私を移動させませんでした。しばらくして、夫と義姉も来ました。私は夫に「タクシーを呼んで、家に帰りたい」と言いました。夫は私の話に従おうとしましたが、義姉は強く反対し、私を病院に送りました。救急車の中で、私は運転手に、自分が法輪大法の修煉者であること、大法の師父に「真・善・忍」の原則に従って善良な人として努めるように教えられているため、あなたからゆすり取るつもりがないこと、あなたがわざと事故をした訳ではないと知っているなどと話しました。しかし、運転手は怖がって私に話をさせてくれませんでした。

 病院に連れて行かれて検査をしてみると、私は胸より下が全部潰れていることが分かりました。腹部は肝臓、脾臓、腎臓、膵臓、胃、腸、膀胱などが潰れており、腰から足にかけては粉砕骨折していました。「手を腰の下に当てると、骨の破片が手に刺さって痛い」というような例を挙げた後、医師はこう言いました。「この人を蘇生させる意味がありません。蘇生させてもさせなくても無理でしょう」その時、家族は「生死は関係なく、直ぐに蘇生してください!」と言いました。

 そのとき、大法を紹介してくれた従姉がやって来て「どうしてこうなったの?」と唖然としながら言いました。私は従姉に「発正念をしてください」と念を押して言いました。従姉は早速同修たちと連絡をとり、私のために発正念を行いました。師父の慈悲なるご加護、および家族の細心の看護により、17日間の入院後、私は回復したのです。

 その間、同修たちが発正念をしてくれたり、一緒に法を学んでくれたりして、家族も一緒に『轉法輪』を読んでくれました。入院5日目に整形外科医が病室に来て、レントゲン写真を撮ってくれました。すべての骨が整復し、粉砕骨折も全部治ったことに対し、彼らも説明できませんでした。何よりも不思議なのは、これほど大きな事故に遭ったのに、私は終始痛みを感じていませんでした。師父に感謝し、大法に感謝しています! 生まれ変わった私は、換骨奪胎とは何かを身をもって実感しました。

 私は今、大法を実証し、より多くの衆生を救い、誓いを果たすための道を歩んでいます。世界中の人々が「法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!」を知り、パンデミックを乗り越え、命が守られますようにと願っています!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/11/429138.html)
 
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