謙虚な態度で煉功しよう
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文/中国の大法弟子

  【明慧日本2021年6月16日】学法する時は、恭しい(訳注:敬い、礼儀正しく振る舞う)心がなければならず、本当に謙虚な心理状態で自分を低く置くことで、ようやく法の内涵が見えます。これはみんな理解し受け入れることができるでしょう。しかし、煉功する時も同じように考える人は少ないでしょう。学法はとても一心に行いますが、煉功の時にはあまりこれは重視されません。

 私達の身体は絶えず浄化され、五式の功法は修煉の補助手段ですが、威力はこの上なく、法自身と一脈相承で、法の一部分とも言うことができます。師父は 「あなたがどれほど高く修めようとも法は果てしなく大きいのです。この法はとても博大だからです」[1]と説かれました。これは、法の内涵が無限で、私達の修煉を指導できるだけでなく、いくら高い次元へ修煉しても功法の中に含まれる機制と氣機はすべてさらに高い次元に向けて私達に修煉させる事を可能にします。功法も創世主の知恵の体現ですから煉功を精進しないと、本体の転化が遅くなり、修煉した功力は低くなり、功力の威力も弱小化し、三つのことの効果に影響します。

 煉功への謙虚さとは、毎日の継続と正確な動作、師父の言葉に従って「緩やか、ゆっくり、円やか」を厳守し大切にする事を表します。私達は歴史的に何度も修煉しましたが、修煉した功法はすべて小さいのです。常人の中で一つのものを得るために、あらゆる辛苦をかけて最後にやっと得る事ができた時、私達はどう対応しますか? それでは、幾度の輪廻を経て、無数の苦労を通して、ようやくこの五式の功法を得た我々が、それを大切にしない理由があるでしょうか?

 多くの同修が不当に拘禁されている間、彼らは煉功する環境を自ら切り拓きました。彼らは功法がどれだけ貴重であるかを知っています。私達が大切にしない理由があるでしょうか?

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「サンフランシスコ法会での説法」

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」ためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/7/421687.html)
 
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