13日間食べず飲まず、それでも元気な私
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 文/中国東北の大法弟子

 【明慧日本2021年7月16日】私は20年以上修煉してきた年配の大法弟子です。農村に住んでいるので、夫は忙しく、普段私は畑を耕したり、家事をしたりしています。毎日、学法煉功発正念真相伝えなどをしており、とても忙しく時間が足りないとよく感じています。しかし、師父がいらっしゃるから、何事もうまくいくといつも思っています。だから、私はやるべきことを毎日欠かさずにやっています。

 昔の出来事を思い返すと、今でもとても感慨深いのです。あれは忘れられない奇跡の日々でした。

 1999年「7.20」、中国共産党は江沢民が権力を利用して法輪功に対する非道な迫害を発動し、大勢の大法弟子が不法に監禁、拷問、判決を下されました。私も免れず、不法に労働教育させられたのです。迫害により体の状態はあまり良くなかったのですが、婦警の命令や要求には一切応じませんでした。

 ある日、婦警に言われて、ある誤った道に悟った人が私に労働に参加するように言ってきました。私は「体の状態がよくないので働けない」というと、彼女は「そこにいるだけでいい」と言ったので、私は労働チームについていき、結構離れた場所にある現場に行って、トウモロコシの皮をむく作業をしました。当時、ちょうど真夏の一番暑い時期で、現場には窓もないため、風通しが悪く、大人数での作業で空気も悪かったのです。1日中倉庫に閉じ込められ、私はついに呼吸困難になり、咳が止まらず、仕事ができなくなってしまいました。

 部屋に戻ってくるなり、私は倒れこんでしまいました。食欲が全くなく、胃痛もひどく、ご飯どころか、水すら飲めませんでした。

 5日が過ぎ、そして10日が過ぎていきました。何も飲まず食わずでは、普通人間は7~8日で死ぬといわれていますが、私はすでに10日間何も飲食していないのに、まだぴんぴんしていました。婦警は私がひそかに何か食べていると思い、気にも留めていませんでした。

 それからまた3日が経ち、つまり13日目の午前、私は家族に会いたいと婦警に要求しました。その日の午後、婦警が私を病院に連れて行こうとしましたが、私はそれを断りました。「私は病気になんかなっていない。あなたたちに迫害されてこうなったのだ」と言いました。すると、その婦警は、「行かなければ強引に連れていく」と言って、4人(転向させられた元学習者)を連れてきて、私を運ぼうとしましたが、私は彼女たちに協力せず、精一杯抵抗したところ、その4人は私を動かすことができませんでした。そのため、再び4人ほど呼び寄せて私を運ぼうとしましたが、それでも私をどうすることもできなかったため、結局合計14人で、やっと私を運ぶことができたのです。

 刑務所内の病院に着いても私は協力せず、夜になってやっと返してくれました。
 後に私が13日間何も飲まず食べず、それでも元気でいられることに隊長が驚き、3回ほどずっと私のそばについていた同修に確認させました。

 同修は、「確かに彼女は何も食べず、何も飲んでいません。それなのに14人がかりでやっと彼女を病院まで運んだとは驚いた! なんて力持ちだ!」と答えました。

 私の身に起きた奇跡をようやく信じた隊長は、後に大法弟子たちへの態度を変えました。大法弟子たちのそばに来ると、優しい表情になり、以前の邪悪な人相は全くの別人のようになっていました。

 ある日、別の隊長の管理下の同修が、私たちの部屋に移動されてきました。私たちが交流するのを恐れた大隊長は、白い布で私たちの間を仕切りました。その時、ある同修が「対面しても仙であることを識らず」[1]と師父の詩を唱えました。それを偶然隊長が聴いていて「なんか言った?」と聞きましたが、誰も答えませんでした。そしてみんなもその隊長も笑いました。

 それからは、その隊長は真相を理解し、迫害されても正念を保っている同修を密かに守り、私たち全員に優しくしてくれているのです。

 私が釈放されて、見舞いに来てくれた親せきや友人たちは、みんな私が無事に帰ってきたことに驚きを感じていました。私が警察に連行された時、私の体の状態はあまり良くなかったのです。そして真っ直ぐな性格だったので、誰もがもうだめだと諦めていたそうです。「あんたは本当に命拾いをしたよ!  本当によく帰ってきたね!」、「まだ生きていたとは、まさに神様のご加護だよ!  法輪功は本当に奇跡を起こしてくれるのですね!」などと、みんな感動しながら言いました。

 その通りです。大法が私を守ってくださり、師父が私の命を救ってくださったのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「行中」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/29/422659.html)
 
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