文/上海の大法弟子 法縁
【明慧日本2021年7月29日】李洪志師父は1992年に法輪大法を一般公開されました。わずか7年の間に法輪功は中国全土に広まり、上海も例外ではありませんでした。上海のいたるところに法輪功の煉功場がありました。
上海の浦西にある外灘(バンド)は、上海の名刺代わり、座標軸、観光地として、多くの中国人や外国人観光客を魅了しています。私たちの煉功場所は外灘にありました。法輪功学習者たち(以下、学習者)の煉功場面は、神聖で、超越的で、平和的であり、当時の外灘の美しい光景だったと言ってもいいでしょう。
私たちは、無料で法輪大法の煉功を教えました。多くの人が学びに来て、後に法輪功学習者となりました。師父が法輪功を伝授しているときに撮った写真をよく飾っていました。
師父は「功能を持つ多くの人はみな、赤い光に包まれて、一面真っ赤になっている法輪大法のこの場を見たことがあります」 [1]と説かれました。
実際多くの学習者はもちろん、そうでない人も煉功場の上空で驚くべき光景を目にしました。
ある40代の夫婦が外灘を散歩していました。奥さんが「私は遠くから赤い空が見えたのです。驚いて、主人と一緒に見に行きました。まさか法輪大法の煉功場だとは思いませんでした。法輪大法は佛家修煉法であり、私はそれを学ばなければいけません」と言いました。彼女は在家仏教徒でした。夫婦は法輪功学習者になりました。
ある重篤の患者が上海で手術を受けることになりました。手術が成功する可能性は非常に低く、彼は絶望的な気持ちになっていました。医師は彼に同情し、手術の前に外灘に行って散歩することを許可しました。幸いなことに、この男性は外灘の煉功場の上空には、佛、道、神がたくさんいることを見ました。そこで彼は、手術の代わりに法輪功を修煉をすることにしました。彼の健康状態は改善されました。
師は「私たちがいつも言っている法を広める方法は、皆さんが外で煉功することと、社会で大法の本が書店で販売されていることです。私の法身は縁のある人に本を買い求めさせ、縁のある人であれば、本を読んですぐに学びにやって来ます」 [2]と説かれました。
私たちの煉功場は、法輪功を広める上で非常に良い役割を果たしており、多くの人が立ち寄ってくれました。特に休日や週末には、複数の他の煉功場から学習者が好んで外灘の煉功場にやってきました。多い時には1000人近くの学習者が川沿いに並んで煉功をしていました。中には写真を撮って、ずっと大切にしている人もいます。
当時、私たちは教室を借りて、夜、李洪志師父の講義ビデオを一晩中見ていました。4、5人の同修が、朝早くから煉功場で功法を教えていました。学びたい人が増えれば、他の煉功場から同修を呼び寄せ、協調人が新しい煉功場の設立を支援しました。このようにして法輪大法は各地に広がっていきました。
同修が撮影した写真には、透明なエネルギー、光線、光の梯子を持った法輪が写っていたことをお伝えしておきます。ある写真は特に素晴らしかったです。ほとんどの学習者は心臓にロープを結び、そのロープは天上の佛道神などにつながっていました。
しかし、1999年4月25日に中国全土から集まった約1万人の修煉者が北京で平和的なアピールをした後、外灘の私たちの煉功場は上海の警察に注目されるようになりました。私服警官が時々、私たちに嫌がらせをしました。
ある日曜日、上海の学習者たちが黄浦江のほとりの外灘で朝の煉功をしていると、一団の人たちが私たちの隣に来て扇子の踊りをしていました。私たちは煉功に集中していたので、彼らを無視していました。
1999年7月20日以前に、国家安全部の工作員は法輪大法の学習者に嫌がらせをするために、腰太鼓と扇子のダンスチームを組織した |
私たちは静功を煉ろうとしていました。その人たちは私たちの周りを動き回り、扇子が私たちに当たりそうになりました。何人かの修煉者は彼らを止めようとしました。協調人は「私たちは、真・善・忍に基づいて修煉しています。師父は『われわれは人と争ったりしてはいけません。その人を相手にしなければよいのです。修煉者が妨害に出くわすことこそ、試練という関門です』 [3]と教えてくださっているので、彼らを無視しましょう」と言いました。
私たちは四角いチームを長蛇の列にして、ガードレールの壁の近くに座り座禅をしました。煉功の音楽が始まるとすぐに、私たちは妨害を無視しました。
私たちが煉功を終えて帰ろうとすると、扇子の踊りをしていた人たちが挨拶に来ました。彼らは「来たくない」と言っていましたが、コミュニティの人が一人20元を払って無理やり連れてきたのです。後から知ったのですが、もしものことがあったら私服警官がすぐに私たちを連行するということでした。私たちは師の言葉に従い、一般人とは争わず計画的な迫害を冷静に解決したのです。
私たちの協調人は1999年7月20日に不当に連行されました。何人かの学習者はまだ外灘に行って煉功をしていましたが、610弁公室のスタッフは彼らを連行するように命じ、拘置所に連れて行きました。
法輪功は私たちの生活に溶け込んでおり、修煉者の心の中に永遠に残ります。外灘の煉功場は、私たちに美しい思い出を残し、私たちの修煉のための強固な基礎を築きました。法輪功の真実が世界に明らかになる日が必ず来ると信じています。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『スイス法会での説法』
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』