大連市の孫秀軍さんは迫害死
■ 印刷版
 

 【明慧日本2021年8月19日】大連市の法輪功学習者・孫秀軍さん(以下、学習者)は、2021年6月2日、警官に連行され、家宅捜索を受けた。その後、警官は孫さんに健康診断を受けさせたが、何度も不合格だったため、3日後に解放された。しかしその後、警官は孫さんに大連市から離れることを要求した。それで孫さんは、孫さんの兄に連れられ黒竜江省の実家に帰郷したが、7月19日に死亡した。享年50歳の若さだった。

'孙秀军'

生前の孫秀軍さん

 6月の初め、大連市公安局は大勢の警官を出動させ、大連市の学習者及び家族を連行し家宅捜索を行なった。不完全な統計によると、少なくとも29人の学習者と家族が連行された。6月2日夜6時ごろ、孫さんは、大連市甘井子区の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関 )と、空港派出所の警官に自宅に侵入されて連行された。警官らは孫さんの家にあったパソコンやプリンターなどの私物を押収した。

 それから、警官は孫さんに何度も健康診断を受けさせたが、すべて不合格だった。そして、6月5日「住居の監視」との条件で孫さんを帰宅させた。しかしその後、派出所の警官は孫さんを大連市から強制的に退去させた。孫さんの兄が、孫さんを黒竜江省にある実家に帰郷させて1カ月半後の7月19日、孫さんは死亡した。

 孫さんは、1996年に法輪功を学び始め、心身ともに健康になった。しかし、1999年7.20、江沢民グループは気が狂ったかのように法輪功弾圧を開始した。法輪功を学び続けた孫さんは、迫害を免れることができなかった。

 一、孫さんは2度、連行された

 孫さんは、中共が1999年7.20に法輪功への迫害を開始してから、北京へ行って、法輪功迫害の停止を求めようとしたが、金州区駅前派出所の警官に止められ、連行された。その後、拘禁された孫さんは警官に殴打され、頭に傷を負った。

 2000年11月2日、孫さんは大連市開発区ハルビン路派出所の警官に連行され、派出所内に拘禁された。拘禁されている間、孫さんは警官に服を脱がされて冷水を浴びせられ、スタンガンで電気ショックを加えられ、猛打された。

 大連教養所に拘禁されている間、孫さんは電気ショック、睡眠の剥奪などの拷問を加えられ、心身ともにダメージを与えられた。

 二、警官の違法行為

 2000年11月2日、公安局のスパイは、孫さんのポケットベルに「法輪功の資料を取りに来て」と、ある場所に呼び出した。騙された孫さんがその場所に行くと、その場で警官に連行された。その直後、大連市開発区の警官数人と住民委員会の人が人口調査の口実で孫さんの家へ行った。

 警官らは叫びながら、孫さんの家のドアを拳で叩いた。孫さんの妻も学習者で、そのとき風呂に入っていたため、ドアを開けなかった。その後、孫さんの妻は風呂から出て、服を着て出て行った。しかしその後、多くの見物人の前で警官は梯子を使って、孫さんの家のキッチンの窓をこじ開けて侵入した。警官は家にある法輪功の書籍2冊と現金2000元(約3万4000円)を押収した。

 そのころ、開発区の刑事警察大隊の警官はスパイの情報を利用して、よく学習者の家に行って家宅捜索を行い、パソコンや現金などの私財を押収したりしていた。

 三、大連テレビ局での歪曲報道

 大連テレビ局は、2000年11月2日の警官らの違法行為の事実を「大連市開発区刑事警察大隊は法輪功の巣窟を破壊し、大手柄を立てた」と、歪曲報道をした。

 このことから、中共メディアが大小にもかかわらず、法輪功への憎しみを煽り、善悪を混同し迫害するために「天安門焼身事件」などの恐ろしい虚をどれだけ捏造してきたかがわかる。

 法輪功を迫害してから22年間、大連市の10万人以上の学習者が中共に迫害され、そのうちの数万人が不法に召集され、罰金を科され、拘束、洗脳、そして刑務所に拘禁された。報告されている情報からの不完全な統計によると、大連地区で少なくとも147人の学習者が迫害より死亡し、数千人が麻薬更生施設、留置場、洗脳班に送られ、827人が労働教養処分を科され、371人が実刑判決を受けたという。多くの学習者が、拘禁されて拷問を加えられ、さらには生きたまま臓器を摘出されたことがある。迫害によって、多くの学習者の家庭が崩壊させられたという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/14/429550.html)
 
関連文章