【明慧日本2021年8月23日】河南省周口市の法輪功学習者・呉桂芳さん(72歳女性)の家に、2021年3月頃から、同市川匯区小橋事務所、コミュニティの職員と派出所の警官が来ていた。呉さんは繰り返し嫌がらせを受けた。そのため、呉さん一家は落ち着いて生活ができず、呉さんは心臓病を再発した。そして、退院したばかりの三男は母親が嫌がらせを受けたことを聞いて、病状が悪化して倒れ、病院に運ばれ救急手当を受けた。
呉さんは周口市川匯区高庄村に在住で、法輪功への信仰を堅持しているため、9回にわたって連行され、拷問を加えられた末、6カ月寝たきり状態になり、腕に障害を負った。
呉さんの夫は若くして亡くなり、呉さんは1人で苦労して3人の息子を育てた。過労で呉さんは心臓病、胃病などを患い、治療しても治らなかった。しかし、1996年、呉さんは法輪功を学び始め、法輪功の教えに従って自分を律した。それで、1カ月足らずで、患っていた病気が完治し、健康を取り戻した。
一、当局の迫害により障害を負う
中国共産党の江沢民グループは1999年7.20から、法輪功の鎮圧を開始した。そして、呉さんは法輪功迫害停止を求めたため、繰り返し迫害を加えられた。
ある日、呉さんは連行され、その日の夜に周口市の警官・李育政、黄金啓、王国勝の3人に縄できつく縛られた。警官3人はさらに呉さんを苦しめるため、呉さんを縄で縛って30分後に解き、また縛って解くということを繰り返した。そのうち、王は疲れててソファーで寝て、李も他のところへ行って休んだが、黄は縛られて跪いていて苦痛を耐えている呉さんを見て、王の皮靴を取って、呉さんの顔を猛打し、靴底が断裂するまで叩き続けた。
明け方に目が覚めた王は呉さんに、「お前は、まだ屈していないのか、目を覚まさせてやる」と言って、呉さんの背中の縄を持ち上げては落とし、それを数回繰り返した。その結果、呉さんは痛みで意識を失い、腕に障害を負ったという。
2020年下半期から、周口市の事務所、コミュニティー、派出所の人員は、当局の法輪功学習者に対する「ゼロ行動」に協力し、学習者に「法輪功を放棄する」というサインを強いた。そのことで呉さんは迫害の重要人物にされた。
二、嫌がらせを受け続ける
2021年3月、コミュニティーの主任・王振英は、事前に印刷した「三書」を持って、呉さんの家に行き、呉さんの息子に「三書」を写すようにと要求した。王は呉さんに「写さなければ、あなたの孫たちの学校の進学や軍人になること、就職が難しくなる」と脅迫した。しかし、呉さんはその場で断った。
1週間後、王はコミュニティーの人員5、6人を連れて、また、呉さんの家に来て、呉さんに「三書」を書くように強要した。呉さんは拒否したため、「お前のことを警察や省の関係部門に報告するぞ」と脅迫された。
1カ月間のうち、コミュニティーの人員は4回も呉さんの家へ行って、嫌がらせをした。
4月14日、コミュニティーの主任・高幸福、小橋事務所の主任・潘帥と派出所の警官8、9人は、「派出所に来た新しい警官が、これからの仕事のため、家を教えに来た」と、口実をつけて呉さんの家に来た。
それから、警官らは呉さんの家族全員を記録し、孫の学校まで記録した。呉さんは警官の名前を聞いたが、梁、と苗字しか言わなかった。
4月23日午前10時ごろ警官の、梁、潘、高、範は、十数人の人員を連れて、呉さんの家の庭に入った。当時、呉さんは家で『明慧週刊』を印刷していた。呉さんは部屋のドアを締めて庭に出た。警官らは部屋に入ることを要求してきたが、呉さんは同意しなかった。
その後、部屋にいた孫娘が外の物音を聞いて様子を見にきてドアを開けた。その瞬間、警官らは呉さんを押しのけて一気に部屋に入った。動いているプリンターを見て、高は「見てみろ、印刷中だ」と大声を出した。警官・梁はそれをビデオで撮り、潘は「早く国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)に通報しろ」と叫んだ。
そして、5、6分後、国保の警官が来た。家宅捜索し、ノートパソコン、プリンター、法輪功書籍、DVD、mp3、法輪功創始者の写真、法輪功の守り札などの私物を押収した。それを見物する人が多くいた。
警官らが、呉さんをパトカーに乗せようとしたところ、呉さんの次男が「近隣のみなさん、いま母が自分の足で、歩けることをしっかりと見ておいてください。何かあったときの証明にしてください。警官とコミュニティの人も聞いてください。元気な母ですが、連れて行かれてから、病気になったりしたら責任を取ってください。母が帰宅したときは、今の元気の母でなければなりません。以前のように、電話で寝たきりの母を迎えに来いと言わないでください。今度、そうなったら、私は迎えに行きませんし、連絡しないでください。あなたたちは、ちゃんと責任を持ってください」と言った。
次男の話を聞いて、派出所の警官と小橋事務所、コミュニティーの人員はすぐに去って行き、国保の警官だけが残った。ある警官は「それは過去の話だ。今はいまだ」というと、次男は「今でも過去でも関係なく、母を今の状態で帰してくれないといけません」と言った。
昼の12時過ぎ、国保の警官は呉さんを周口市公安局に連れて行った。夜8時過ぎ、「体が不自由」と言う理由で、呉さんを帰宅させた。
しかし呉さんが帰宅した後、小橋事務所、コミュニティー、派出所の人員は20日間ごとに呉さんの家に行き、嫌がらせをした。
6月30日、呉さんが昼ごはんの野菜を切っていたところ、物音が聞こえたため、頭を上げると目の前に大勢の人が立っていた。突然のことで、驚きのあまり、呉さんは心臓病を再発し、全身が震えた。それらの人員らはまずいと感じたらしく、すぐ出て行った。
呉さんの三男は2週間入院して、7月1日に退院したが、家に着くと、母の顔をみていつもと違うと感じたため、原因を聞いた。それで呉さんは簡単にそのことを話したが、三男が腹を立てたので、夜に病状が悪化した。そして、病院に運ばれ、2日間救急手当を受けた。
その後、呉さんはコミュニティーの主任に会い、大勢の人が勝手に家に入ったことを訴えた。主任は謝った。
7月30日、小橋事務所の潘と派出所の警官・範は、十数人を連れて、呉さんの家に行った。彼らは「事前に通知しなくても、お前を連行したいときには連行する」と脅迫した。呉さんは彼らに善悪の応報があるという話をしたが、潘は「お前たちのものを宣伝するな」と言って、呉さんの家を出たという。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)