執着を探し出し 痛みが瞬時に消える
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年10月2日】私はある病業の関をなかなか乗り越えられませんでした。そこで病業の中で、同修にもその教訓が汲み取れるようにするために、あの関のことをずっと書いてみたいと思っていました。

 それは、2016年の中秋節の前夜のことでした。グループ学法を終えたところで、お腹の痛みを感じました。 私は気にせず、自転車に乗って家に帰ると、風呂に入って寝ました。

 次の日、痛みが増したのですが、我慢しながら出勤しました。会社は食事を提供していないので、従業員のみんなが順番に料理を作ることになっていて、その日は私の番でした。料理が出来たので私も食べました。しかしそのとき痛みが激痛に変わり、我慢できなくなったので、休みを取り帰宅しました。その翌日は、中秋節の祝日で休みでした。

 家に着くと、「昨夜寒かったので、お腹が冷えたかな(常人の考え方)」。湯たんぽでお腹を温めよう」と思いお湯は沸かしましたが、痛みでまっすぐ立っていられず、湯たんぽにお湯を入れられませんでした。それから、痛みが激しくなり、私は転がるようにして地面に倒れ、一瞬に汗だくになり、服がびしょ濡れになりました。

 そのとき私は、やっと師父に助けを求めていたことを思い出し、大声で「師父、助けてください」と叫びました。そして、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」の心からの九文字(法輪大法好、真善忍好)を唱えたり、発正念をしたりしました。20分ほどたった時、吐き気がしたので、トイレに駆け込んで吐きました。

 嘔吐して少し元気になり、内に向けて探し始めました。しかし、何も見つかりませんでした。「どこに問題があるのだろう」と思いながら、発正念をしようと足を組もうとした瞬間、体がひっくり返りました。あまりの痛みで、再び足を組む気力さえなく、足は組めませんでした。これは邪悪が消滅されることを恐れているとわかっていたので、師父の説法を聞くことにしました。

 しばらくして、私は妹(同修)に電話をして、「母の餃子作りが手伝えなくなった」と伝えるとその後、妹が家に来てくれました。大法の法理上で助けてもらえるかと思ったのですが、妹は「業力の大きい人は病院に行ったほうがいい」と言いました。それから、私は妹を母の餃子作りの手伝いに行かせ、私のことは心配しないでと言いました。妹が帰った後、私は師父の説法を聞き続けました。

 その日の夜、家族たちは餃子を食べた後、みんなで家にきて、「病院で検査してもらおう。病院へ行こう」と勧められました。「行かない」と言い出すと、家族たちからいろいろ言われました。私は限界を感じていたので、痛みの原因を知ることは良いことだと思い始めました。その時点で、私は法に基づいていなかったので、邪悪が狂ったように迫害してきました。痛みはもっと激しくなり、病院に向かう途中、さらに何度か吐いてしまいました。診察の結果、右尿管の狭窄部に0.5×0.7の固く光っているものがあり、腎臓結石だと診断されました。医者に病状を聞いた後、弟は「姉さん、大丈夫だ。医者は耐えるしかないと言ったよ。家に帰ろう」と言いました。私は心配することを恐れないように、師父が私を思いやってくださったのだと思いました。医者は私を入院させようとしましたが、弟は私を家に連れて帰りました。

 帰り道、相変わらず我慢し難い痛みが続きました。病気ではないとわかっていても、執着を見つけることはできませんでした。夜、家族の休みを妨げないように、とても痛くなったときは、音を立てないように家で歩き回り、できるだけ寝ようとしましたが、実際にはほとんど眠れませんでした。

 翌朝、また痛みがありました。夫は私を地域の病院に連れて行きました。医者は確信を持って「注射すれば絶対良くなる」と言い、医者の言うことを鵜呑みにしていたので、良くなるどころか痛みが増してきました。私は師父と大法を信じておらず、常人が治してくれると思ってしまったのだと、自分の誤りに気づきました。

 夫は「今日は祝日だから、もう少し我慢して。明日、病院で砕石しよう」と言いました。私は「もう行かない。帰ろう」と言いました。

 意外なことに、帰宅してしばらくは激痛が走っていましたが、その後は良くなりました。これは、師父が弟子のために身代わりになられたのだと思いました。「同修の助けがほしい」と思ったので、師父が按排してくださいました。しばらくしてある同修から電話がきて、「具合はどうですか? 見舞いに行こうか」と聞かれました。私は嬉しくて「はい、はい」と答えました。

 しばらくして、その同修が私の家に来て、私と法理上で切磋琢磨しました。私は同修に「WeChatで男性とチャットしたりすると、色欲の心、闘争心、虚栄心があって、学法を疎かにした」と言いました。同修が「執着を見つけたのなら、発正念しましょう」と提案しました。

 なんと今回はすんなり、すぐに足を組むことができて、とても嬉しかったのです。発正念が終わって、足を外した途端に痛みが消え、体から何かが引き剥がされたように感じ、何事もなかったかのように楽になりました。

 私はこの瞬間に起きたことを同修に伝えると、同修も驚いたようで、「私たちは何もしていないのに」と言いました。私たちは法に則っているから、大きな病業が、瞬時に消えてしまったと私は理解しています。大法の素晴らしさと大法はすべてのことをなし得ると体験しました!

 それから、よくなった私は翌日仕事に行くつもりで、「どうやって行けばいいか」と考えていたとき、昨日の同修から電話がかかってきて、「会社に連れて行ってあげようか」と言われました。私は「お願いします」と言った途端、またお腹が痛くなりました。このことは私に警鐘を鳴らしているのだと思い、すぐに内に向けて探し、発正念をし、自分がまた間違ったことをしたとわかりました。それで、急いで同修にショートメールを送り、同修の親切に感謝し、自分で行けると伝えたところ、すぐにお腹の痛みが止まりました。翌朝、私はエネルギーに満ち溢れました。家族は大法が超常的だということを目の当たりにしました。

 この出来事を通して、同修が関を乗り越える際、ほかの同修からの正念の力添えが必要だと思います。魔難の中の同修を難から助け出すことは惜しみなく行うべきです。私を助けてくれた同修のように、同修は私を非難せず、私とともに内に向けて探し、そして、邪悪を取り除くため、一緒に発正念をしてくれました。

 同時に、魔難の中にいる同修は必ず内に向けて探さなければならず、邪悪が押し付けてきた悪い物質を捨てることができれば、より大きな効果が得られます。もし、魔難の中の同修に少しの迷いがあり、師父と大法を信じていなければ、邪悪を取り除くことはできません。師父は「生死を放下できればあなたは神になり、生死を放下できなければあなたはやはり人間です。つまりこの違いです」[1]とおっしゃいました。

 大法の修煉は厳粛で、同時に威厳があります。師父と大法を信じる限り、師父は私たちを守ってくださり、弟子たちに危険が及ぶことはありません。

 個人の体験ですが、法に則っていないところがあれば、同修の慈悲のご指摘をお願いします。

 注:
 [1]李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/29/430174.html)
 
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