大法に従い 真に修める
■ 印刷版
 

文/中国の青年大法弟子

 【明慧日本2022年11月9日】私は今年16歳です。2021年、私の修煉において質的な変化がありました。その過程で私が認識したことを同修の皆さんと交流したいと思います。

 大法弟子である両親の影響で、私は子供の頃から大法を深く信じていましたが、その頃の私の修煉状態と言えば、修めているようで実は修めていないものでした。両親は毎日私に法を読み聞かせたり、ひとりで読ませたりしていました。表面的にしか法理を理解していなかったものの、私は毎日法を学ぶ習慣を身につけました。当時は任務をこなす気持ちで学法していたため、修煉に関する事柄を知っている程度で、法理を悟ることは滅多にありませんでした。

 私が真に修煉し始めるきっかけはとても不思議な出来事でした。ある日、父に小説の中の盤古神のことについて話すと、父は師父がある説法の中でそれに関する法を話されたと言いました。強い好奇心から、私は師父のその説法を見つけ読み始めました。その説法には、今まで触れたことのない法理が多くあることに気づいた私は、心を込めてその大部分を読み終えました。すると、自分が『轉法輪』の法理に対してもっと深い認識を持つようになり、それ以来、私はもっと心を込めて『轉法輪』を読むようになりました。時間が経つにつれて、私は心性の修煉も重視するようになりました。

 それまでの一時期、私は常人のインターネットに惑わされて抜け出せませんでした。暇さえあれば携帯電話を手に取ってゲームをしたり、小説やショートビデオを見たりして、繰り返していました。執着心がとても強かったとき、ほぼ1日中ゲームをしていて、夜の11時から朝の4時まで小説を読んでいたこともありました。当時はネットでよくない情報もたくさん見ました。これらの混乱した情報は私の学習に深刻な影響を与え、私の性格にすら影響を与えていました。両親は私に多くの道理を言い聞かせたり、師父の説法を引用したりして、ありとあらゆる方法を試し、私の携帯電話を壊したりもしましたが、それでも私は相変わらず同じことをやっていました。中学3年生の1学期になっても、私は夜中にこっそりと小説を読んでいました。

 ある日、私は鼻水が出始めて、1カ月近く経っても良くなりませんでした。私は師父が私の脳にある良くない情報を消して下さっていると悟りましたが、携帯電話にある雑多な情報に惹かれ続けていました。法理を悟るようになるにつれて、私は自分の多くの人心が見え始めました。たとえば、ゲームをしている時の闘争心、小説を読んでいる時の情に翻弄される気持ちなど、これらはみな修煉者が最終的に取り除くべき人心ではないでしょうか? そこで私は悔い改める決意を固め、携帯電話に触らないことを自分に課し、心を静めて学法する時間を増やしました。徐々に、私は携帯電話を見なくなりました。その後、何度か携帯電話に惹かれて同じことを繰り返しましたが、再び意志を固めた後、やがて携帯電話に無関心になりました。

 師父がこれらの良くない人心を消して下さったと悟り、私は心から師父に感謝しました。

 それからしばらくして、私は自分が携帯電話に夢中になっていたいくつかの要因を見つけ出しました。ショートビデオを見ていたとき、魅力的なテーマと多様な映像コンテンツに掻き立てられた好奇心、ゲームをしていたとき、ステージをクリアしたり相手を勝ち抜く喜びによって満たされ続けた闘争心、小説を読んでいたとき、自分の悲しみ、興奮、不平、喜び、緊張、さらには顕示心、嫉妬心、闘争心、色欲の心等々が、小説の筋書きや没入感のあるプロットによって絶えず無意識的に動かされていました。これらが常人の楽しみでしょうが、修煉者にとっては足枷となり、強い執着心なのです。大法を学ぶことで、私はこれらの執着に気づくことができ、取り除き始めたのです。その過程で、私はネット上の多くの良くないものが私の心をかき乱し、考え方さえ変えることができることに気づきました。注意を怠ると、それに惹かれて嵌ってしまうのです。この点を重視していない同修に、意識を変えることをお勧めしたいです。それが遅かれ早かれ、私たちが取り除くべき執着だからです。

 以前の私は、口を修めることにおいても、常人と変わらないほどよくできていませんでした。社会全体のモラルが大きく後退している今、多くの汚い言葉や現代的な行為が出現し、学校ではその傾向が特に顕著になっています。私が小学生の頃、多くの同級生は汚い言葉を使っており、ごく一部だけが礼儀正しく話していました。当時は汚い言葉を言わないと、周りのクラスメートとの間に溝があるような気さえしていて、徐々に私も環境に流されて汚い言葉を言うようになりました。それどころか、人の気持ちを考えずに発言したり、きついことを言ったり、陰口まで言っていしました。幸いにも、真に修煉するようになってから、これらの問題を認識できました。

 師父はこのように仰っています。「わたしがかつて例を挙げて説明したように、タバコを口にくわえて坐っている佛や道士はどこにいますか? そんなものがありますか?」[1]

 このことから、現代人のような話し方をしている佛道神はいないようだと気づき、以来、私は悔い改める決心をし、話し方も大きく変わり、人を傷つけるのではないか、大法の要求に符合しているかどうかを考えるようになりました。

 以上は、私が修煉過程で得た体得の一部です。また、修煉の全過程において、揺るぎない決意と絶え間ない学法が非常に重要であることも悟りました。修煉し続ける決意がなければ、ある関で頓挫し、正念も弱まっていれば、麻痺状態に陥ってしまうでしょう。きちんと学法し続けていけば、その状態から抜け出すことができます。

 私のこうした経験や体験が、同じ状況に遭遇している同修に役立つことを願っています。

 法に符合しない部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/30/448327.html)
 
関連文章