テレビドラマに執着して得た教訓
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2020年12月9日】中国の北の方は、冬になると非常に寒く、特に、田舎では暖房の設置ができません。12月になると、石炭を燃やしても、窓を閉めても冷気を遮断することはできません。深夜3時ころ、「早く起きて煉功しなさい!」という声が聞こえたので、すぐに起き上がりましたが、突然、めまいに襲われました。

 壁を伝って厨房に行き、洗面器に水を入れて顔を洗った後、水を庭に捨てようとしました。しかし、めまいにより足元がふらつき、「ドンッ」という大きな音とともに、入り口のセメントでできた階段に唇をぶつけ、洗面器を持ったまま下向きに倒れたのです。ぱっくりと縦に3センチほど裂けてしまい、歯まで見えました。私は転んだ衝撃でそのまま気を失いました。

 音を聞いた主人は慌てて駆け寄ってきましたが、私を抱き起したとき、唇の大怪我と止まらない血を見て非常に驚き、冷や汗まで出たそうです。

 主人は私のことをよく理解しています。大法を修煉してから、昔の病が全て治り、それから20年余りの間、まったく薬を飲まないし、病院にも行きません。具合が悪くなると学法や煉功をすれば、すぐに治り、師父が見守ってくださっていることを主人は知っています。

 そこで、主人はすぐに「師父、どうかあなたの弟子をお助けください!」と叫びました。
 そして、20分ほど経つと、私は目を覚ましました。「君が修煉していなかったら、救急車を呼んでいたよ」と主人が心配しました。

 「私なら、大丈夫よ。もう寝ましょう」と主人を安心させました。

 着ていたダウンジャケットの襟や髪の毛に大量の血が付いていましたが、不思議と唇の痛みは感じませんでした。少し休んでから顔についた血をふき取り、煉功を始めました。

 第一功法を終えて、少し休憩を取りながら、内に向けて自分を探しました。私は1995年に大法を修煉し始めた古い弟子です。これまで長い間、修煉において、師父を信じ、法を信じながら、多くの魔難を乗り越えてきましたし、修煉する心が動揺したことすらありません。「三つのこと」も毎日やっています。しかしなぜ、今日、このようなことが起きたのでしょうか?  唇から顎まで裂けたということは、修煉に漏れがあるということでしょうか?

 痛い思いをしたので、深く反省しました。そして、最近の修煉状態を思い出すと、恥ずかしくなります。晩ごはんを食べるときは、家族と一緒にテレビドラマを見ていたのです。毎日「三つのこと」もしているから、少し休んでも構わないと思ったり、夕方6時(日本時間は7時)の発正念の時も、ちょうどテレビの広告の時間なので、それにつられて頭の中であれこれ考えたりなど、ドラマに執着して仕方がありません。冷静になると、なぜ常人のものに拘っているのかと後悔するものの、すぐにまたドラマなどに心を奪われて、自分自身をコントロールできずに再び見始め、あっという間に数時間が過ぎてしまいました。このように、最近では、時間を無駄にすることが良くあります。

 師父は「人間はまるで一つの容器のようなもので、何かを入れればそれになるのです。人が目や耳を通して見たり聞いたりしているものは、みな、文芸作品の中の暴力、色情、互いに腹を探って排斥し合うことや現実社会での利益の争い、拝金主義とその他の魔性の現れ、等々です。頭に入れられているものはみなこのようなものであれば、その人の表れがどのようになっていようと、本当の悪い人なのです。人間の行為は考えによって支配されているので、頭の中がこのようなものでいっぱいになっている人は、どのようなことをするのでしょうか?」[1]と説かれました。

 ドラマを見終わった後、いつも師父の説法を思い出し、後悔します。そして、「師父、ごめんなさい。もう見ません」と心の中で師父に謝ります。しかし、どうしてもまた見てしまうのです。これでは、師父に嘘をついているのではないでしょうか。

 ドラマに執着し、安逸に執着し、ゆっくりと下へと滑り落ちていくのです。自分では全く気付かず、精進する意思を失い、すでに崖っぷちまで近づいてきました。

 この大けがですっかり目が覚めました。主意識がはっきりしておらず、安逸を求めるという人心が原因で、旧勢力に隙を突かれ、別空間の邪悪を利用して、私を迫害しようとしているのです。漏れに気づいたからには補わなければなりません。強力な正念を発して、旧勢力によるすべての按排を否定し、別空間から妨害を徹底的に除去しようと師父にご加持を求めました。

 お昼ごろ、唇が何かに縫われているような感じがしました。ひどく腫れ上がっていますが、不思議と痛みはなく、気持ちも穏やかです。師父がぱっくりと裂けた傷口を縫ってくださっていると悟り、「師父、私がいけませんでした。もうドラマは見ません。師父に心配をおかけしました」と合掌して懺悔しました。あの時のことを思い出すと、今でも涙があふれます。師父の恩恵に対し、感謝の気持ちでいっぱいです。

 当時は、怪我により口が開かないので、手で口を開けて、少しずつご飯やおかずを食べていました。3日目になると、傷口は完全にふさがり、かさぶたができたのです。その晩、一緒に真相を伝えに行こうと同修が誘ってくれました。「彼女の口はまだ治ってないんだ。行けないよ」と主人が慌てましたが、私はすぐにマスクをして「ほら、これなら大丈夫でしょう。心配しないで」とマフラーもして家を出ました。

 その晩、夜空が非常に澄んでいて、冷たい北風もなく、私と同修は厚い雪を踏みながら、町を歩き回り、法輪功の真相資料やDVD、カレンダーなどを村人たちに手渡したり、入り口に置かせてもらったり、師父のご加持の下、全て順調に行うことができました。

 帰り道で近所の人に会いました。私を見た彼女は「もう治ったの?  散歩? そういえば、村のAさんもこの間、鶏小屋でガス中毒を起こして転んでね、あんたと同じように顔面打ったのよ。病院で何針も縫ってもらって、もう1週間以上経つけど、まだ入院してるのよ。あなたは良いね、お金もかからないし、つらい思いもしなくて済むし、法輪功を煉って、こんなに早く治るなんてね!」と言いました。彼女には以前、真相を伝えたことがあり、大法のことも理解しています。「あなたを見て、本当に法輪大法は素晴らしいわね!」

 師父は「修煉とは神の道を歩むことであり、あらゆる人心は障碍なのです。しかし、私たちの道は非常に狭く、少しでも油断すれば道から外れてしまいます。外れてしまうと、問題、場合によって大きな問題を引き起こします。戻ってこられなければ、未来永劫の悔いとなります」[2]と説かれました。

 私と同じようにテレビドラマやスマートフォン、パソコンなどに執着している同修はほかにもいると思います。口先では「自分は師父の大法弟子だ、他の按排はいらない、師父が按排してくださった道だけを歩む」と言っていますが、実際は旧勢力が按排した道を歩んでいます。これでは何かあったとき、師父もどうすることもできないのではないでしょうか。私の教訓を覚え、師父の教えを守り、しっかりと法を学び、衆生を救い、自分の修煉の道を歩んでください。

 偉大な師父に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨「法の中に溶け込む」
 [2] 李洪志師父の経文:『再び棒喝』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/5/412333.html)
 
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