文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年4月15日】私は以前縫製工場で働いていて、結婚して間もなく、長時間の残業で体調を崩してしまい、自宅療養をすることになり、仕事にも行けなくなりました。
1998年、私は幸運にも法輪大法に出会い、修煉してから短期間ですべての疾病が消えて、身体が軽やかになりました。そんな私を見た近所の人に、「まるで別人みたいですね。霊薬でも飲んで病気を治したのですか?」と聞かれて、私は「法輪大法を学び、法輪功を修煉してから元気になりました」と笑顔で答えました。
私たちは常人社会で修煉しているので、精進せず、自分の主意識をしっかり制御しなければ、物事を考えたり、行動する際はどうしても常人に混同してしまいがちです。携帯電話をいじるのが良くなく、ウィチャットやインターネットに溺れるのも良くないと知りつつ、私は寂しさに耐えきれず、新奇を求めてインターネット上の様々な誘惑に嵌り、その強迫観念に支配されて抜け出せなくなり、学法も当然、形式的なことになってしまいました。そんな中、私は自身を変えられない無力感に陥り、自分が修煉者であることも思い出せず、主意識が弱くなる一方で、身体に異常(病業の虚像)が現れてからやっと目が覚めました。
2021年10月のある日、夕食を用意していたとき、私は突然胸の激痛に襲われました。何とか娘に電話しましたが、すぐに病院に行きなさいと言われました。電話を置いて間もなく、娘は私を病院に連れて行こうと迎えに来ました。「しばらく休めば良くなる」と私が言っても、娘はどうしても病院に行こうと言い張りました。「人に迷惑をかけてはならず、子どもの気持ちも理解しなければならない」と思った私は、正念を発しながら娘と一緒に病院に行きました。道中、私はずっと「師父、どうか加持して下さい。私は大法弟子です。すべての検査指数が正常でありますように、常人に効くものは私には効きません」と、発正念をしました。夜間では他の検査ができないので、心電図を撮ってもらったところ、少し貧血気味なだけですべてが正常でした。医師に「明日入院して、全身の検査をしましょう」と言われました。翌朝、トイレに座って私は心の中で師父に「私は病院には行きません。病気もありません。私はあなたの弟子ですので、師父のご按排に従います」と言いました。結局その日、私は病院には行きませんでした。
長い間、私は携帯電話をいじることに夢中になり、心を静めて学法することができず、自分自身を修煉者と見なしておらず、暇さえあれば携帯電話で遊んでいたため、旧勢力に隙に乗じられてしまいました。
師父はこのようにおっしゃっています。「人間には中毒という言葉がありますが、中毒とは何かを教えます。医学的に、快楽を司る神経が刺激され、発達すると依存症になると言われていますが、そうではありません。どういうことでしょうか? 時間が経つにつれ、あなたの体にあなたの姿形と全く同じもう一人のあなたが出来上がります。このもう一人のあなたは執着によって構成され、あなたを制御しています。とても強い執着があなたの姿形を形成したため、あなたの心を制御してしまうほど強い力を持っています。とても強い心によって形成されたからです」[1]
師父の説法に照らして、私は上記の病業の虚像を引き起こしたのはまさに携帯電話遊びだと気づき、それに対する執着を徹底的に取り除き、真の自分を取り戻そうと決心しました。
携帯電話を持たないで、私は『轉法輪』を持って同修の家に行き、一緒に法を学び、集中的に正念を発し、4日間ですべての正しくない状態を正し、身体も正常に戻りました。
何と言っても私たちは修煉者で、大法の基準を知っており、どれが間違いであるかも分かっています。執着や人心が露呈されたときは、まさにそれを取り除き向上していく良い機会であり、邪悪が迫害する言い訳にさせてはならないと気づかされました。執着に気づいたらすぐに取り除いていきましょう。修煉の道のりにおいて自分を厳しく律し、法に則って一思一念を正していくべきです。また、必ず心を静めて学法しなければならず、常に法に溶け込んではじめて精進することができ、真に精進していくことができます。
以上は個人的な認識に過ぎず、法に符合しない部分があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』