どんな時も内に向けて探さなければならない
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文/河北省の大法弟子  

 【明慧日本2021年11月15日】心性の向上に関する最近の出来事について交流したいと思います。

 先日、学法グループへ行きました。同修たちは1人ずつ、師父の新経文『再び棒喝』を暗唱した後、『轉法輪』の第四講を読み始めました。

 私の番がきて読み始めたところ、突然、近くで携帯電話のアラームが鳴りました。かなり大きな音量でした。音でシニア向けの携帯とわかり、私は法を読むのをやめました。同修たちも互いに顔を見合わせました。

 その時、80歳近いZさんが「私の携帯が鳴っている」と言いました。私は、Zさんの携帯を入れたカバンを別の部屋に置きに行きました。

 戻ってきた私は「Zさん、同修と大法に対して責任があるので厳しく言いますが、安全の問題があるので、携帯は学法グループに持って来ない方がいいですよ」と言いました。するとZさんは「私の携帯は盗聴器ではありません」と反発しました。私は闘争心が湧いてきて、「師父が携帯を盗聴器だと仰ったので、盗聴器に間違いないです」と言い返しました。私は心の中で「この期に及んで、まだこんな低レベルの過ちをするなんて! 師父が説法で仰ったことなのに気にしないなんて」と腹を立てました。

 学法が終わると、同修たちは静かに立ち上がり帰っていきました。私がある年配の同修と話をしていたところにZさんが来て、「携帯はいつも持ち歩いていて離したことはありません」と言いました。私と年配の同修が目を合わせたところ、Zさんは、お守りを誰々さんに作ってもらわないと続けて言いました。それを聞いた私は、「Zさんは同修のことをよく知っているので、口を修めた方が良いですよ」と言おうとしたところ、すぐに「私は何も怖くないです、なんでも言えます」と返ってきました。

 私たちは呆れて返す言葉もなく、年配の同修は首を振りながら帰っていきました。以前も、私と年配の同修は、Zさんに口を修めるよう注意したことがあったのです。

 私は孫を電動自転車に乗せて帰ることにしました。帰り道、心の中に大きな石がのしかかったような気がして、とても辛かったです。「どうしてだろう?」と自分でもわかりませんでした。走っているうちに溝に落ち、急ブレーキが間に合わず、後ろに乗っている孫が飛ばされて左前方に倒れ、大泣きしました。孫を抱き上げて怪我がないか確認したところ、腕の皮膚が擦りむけた以外は大丈夫でした。私がよく修めていなかったことで、師父にご心配をかけたと思いました。

 帰宅して、自分の内に向けて探しました。「どこが悪かったのか? この出来事からみると私は間違っていないようだが、修煉者にとって偶然に起こることはないのだから、きっと執着心があるのだ」と思いました。師父は、あらゆる機会を利用して私の執着心を取り除き、修煉させていると私は知っています。

 今日の学法グループでの出来事を考えてみると、自分は闘争心、怨恨の心、恐怖心がありました。「Zさんには二度と会いたくない。彼女は口を修めないし、何でも言う恐ろしい人だ。みんな危険にさらされる」と考えました。しかしこのように考えることは、迫害を認め、迫害されることに対して恐怖を抱いていることになります。

 もっと深く探すと、名を追求する心がありました。「あなたは間違っていて私は正しい」という心です。

 師父の説法の「もちろん、修煉のなか、師父は他の人の口を借りてあなたを悟らせる場合もあります。なぜならば、皆さんの修煉は私が段取りしており、あの人たちではないからです」[1]「常人の中で捨てられないような心を、全部あなたに捨てさせなければなりません。どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません。さまざまな失敗を経験させ、失敗の中で悟らせることこそ修煉なのです」「気分よく楽に煉功しようとでも考えているのですか? そんなことがありえますか?」[2]を思い出しました。本当に慈悲である師父は、至る所で弟子のことを考え、弟子に心性向上のチャンスを与えてくださっています。心の底から感激の気持ちが湧き出しました。

 もちろん、Zさんは正しいとは言えません。師父は口を修めることと安全に対する意識を多くの説法で触れています。ですから、これらのことを重要視しなければなりません。

 私から見ると、Zさんの言うことは、師父が彼女の口を借りて私を啓発しているようなものでした。私にしかその言葉を発していないということは、私の執着心を取り除き向上させるためでしょう。如何なる場合も自分を探して向上すべきです。

 翌日、3時20分から1時間座禅しました。本当に『轉法輪』に書かれたように、「ここに坐ると、自分が卵の殻の中に坐っているかのような素晴らしさ、非常にいい気持ちを感じ、自分が煉功していると分かっていますが、全身が動けないかのように感じる」[2]という状態が現れました。私は正しく悟ったとわかりました。

 3日目の朝、1時間の第2式の功法を煉るとき、「トラブルから逃げないでください」という声が頭に響きました。これは「この学法環境から離れないよう、この環境で心性を向上させ、悟ったことを同修たちと交流し、切磋琢磨すべき」という師父からのメッセージだと悟りました。私たちの学法グループは一つのまとまりで、『轉法輪』に「ですから、心性を強調し、全体の向上、昇華を強調するのです」[2]と書かれているようにならなけらばなりません。この出来事を通じて、私は修めることができるようになった思いました。

 師父の慈悲深い済度に感謝します。大法の粒子として、私たちは穏やかな気持ちを保ち、トラブルに遭っても内に向けて探すべきです。師父の教えに従い、精進して「三つのこと」をしっかり行い、師父の救い済度の恩に背かないようにしなければなりません。

 大法に則っていないところがあれば、ご指摘をお願いします。

 師父に感謝します! 同修に感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『再び棒喝』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/5/433296.html)
 
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