夫は私のような妻を持つことを誇りに思っている
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年11月22日】私は退職した医師で、今年71歳です。法輪大法を修煉する前、私は病に苦しんで生きた心地がしませんでした。長期にリウマチがあり、発作が始まると全身の関節が痛み、寒がりで、冬には厚手の綿の服、ズボン、綿の靴下を履かなければなりませんでした。私が履いている綿の靴下は母が手作りしたもので、革のブーツのように直立できるので、その厚みがわかります。夏でもかなり厚手の服を着なければなりませんでした。私は病気を治すために、病院を駆け回り、民間の処方を尋ね、有名な医者を訪ね、そして無数の薬を服用しました。しかし、リウマチは治らないだけでなく、長年薬を飲んでいるため、胃に深刻な問題が起こりました。水を飲むだけでガスが出て、ご飯を食べるところではなく、ひどく痩せていました。何度も病院に行って、胃カメラの検査をしました。最初は「表層性胃炎」、次に「萎縮性胃炎」、最後に「びらん性胃炎」であることがわかりました。西洋医学が効かないと、漢方医に診てもらいに行きました。大袋に入った漢方薬をいっぱい持ち帰り、1回の治療で3カ月間、朝昼晩と1袋ずつを、毎日飲んでいたのですが、治療すればするほど悪化していきました。私自身は医学を学んだのですが、医学への信頼を失い、病に苦しむ絶望的な日々を送っていました。

 1998年9月のある日、広告板に貼られた法輪功紹介のチラシを目にしました。私はちょっと見に行っただけでしたが、すぐに誰かがやって来て、私に修煉したいかどうかを尋ね、煉功の動作を教えてくれ、また法の学びの場を紹介してもらいました。当時の私は悟りが悪く、病気を治すことしか考えていませんでした。本の内容は良いと思いましたが、私の心はまだ病気を治したいと思い、薬を飲むことをやめませんでした。薬を飲まなくてもよいと同修が教えてくれましたが、自分はどうしても病気のことをほっておけなかったのです。このように、薬を飲みながら煉功をするので、体はあまり改善されませんでした。

 その年の暮れのある日、グループ煉功に行った時に、ある同僚が、毎年冬になると肺気腫で病院に行かなければならなかったのに、今年、法輪功を修煉したことで薬を一錠も飲まずに、肺気腫と肺心症の症状がなくなったと言いいました。私は彼女をよく知っていますし、肺気腫や肺性心疾患の深刻さも知っています。その言葉を聞き、明るくなった彼女の嬉しそうな顔を見て、心の中で大きなショックを受けました。

 家に帰ってから、私は夫に「もう薬を飲まない、生きるか死ぬかは全部法輪功に任せます」と言いました。こう言った夜、寝たとき、頭のてっぺんから足の裏までエネルギーが流れているのを感じました。不思議なことに、次の日にから寒がらなくなりました。その後、大法を学んだ後、それは師父が私の体を浄化するために、灌頂してくださったと分かりました。

 当時、私の家に滞在していた老父は、私の病状を見て「お前はこのままの状態だと私の面倒も見られないから、1週間だけ滞在して、妹の家に行く」と言いました。1週間経ったとき、父は 「なぜか最近のお前は、前より元気になったようだ」と言いました。結局、父はうちで40日間滞在しました。その期間、私の体重は5㎏増加し、顔も血色が良くなってきて、食べたり飲んだりできるようになり、仕事の疲れも感じなくなってきました。10年間苦しめられていた病が去り、「病気から解放された」と実感したのです。

 大法で健康を手に入れた私は、心性も向上しました。人間であることの真の意味を理解し、日々の幸せと喜びに包まれています。

 しかし、それから間もなくして、中国共産党(以下、中共)による法輪大法とその修煉者への迫害が始まりました。煉功場は取り壊され、グループでの学法や煉功はできなくなりました。このような優れた功法が弾圧されているのだから、きっと権力者の誤解に違いない、関係部門に状況を反映させるべきだと、同修たちはこのような状況を理解できなかったのです。そして私は上京請願の道に乗り出すことを躊躇しませんでした。

 1999年12月に初めて北京に行った時から2001年末までの2年間で、5回北京に行きました。その期間中、何回も地元に連行され、不法に拘束され、様々な形で拷問を受けました。ラジエーターヒーターに手錠をかけられて10日間、昼夜問わず寝させてもらえず、真冬に裸にされて冷たい水をかけられたり、長時間に軍隊のスクワットやサソリの壁登りの動きをさせられるなど。それでも、私は断固として転向を拒否しました。師父の保護のもと、毎回正念で牢獄から出ることができました。苦難に遭いましたが、師父は再び私の体を浄化して、長年患っていた尿路結石を治してくださいました。

 2001年4月に、私は大法を実証するために再び北京に行きました。私の夫は会社の上層部の指導者であり、圧力を受けて、私を見はり、北京に行かせないようにしました。その後、私は機会を見つけ、抜け出すことができました。行く前に、夫に手紙を残しました。手紙には「私の人生は大法によって与えられたものです。今日、大法は不当に非難されていますが、私は大法のために発言します。 私のような娘を持った両親は誇りに思うでしょうし、あなたも私のような妻を持ったことを誇りに思うはずです」と綴りました。普段は口下手な私ですが、このような言葉を書けると彼は思わなかったのです。後で聞いた話では、夫はその手紙を手にして涙を流したそうです。私の大法に対する誠実や信頼が夫の心を動かし、私のような妻を持ったことをきっと心の中で誇りに思ったことでしょう。

 前回北京に行って、会社に連れもどされた後、会社の公安事務所の地下室に閉じ込められ、ラジエーターパイプに手錠をかけられた状態で10日間、昼夜を問わず過ごしました。手錠をかけられた7日目、突然、腰と小腹に痛みを感じ、トイレに行ったところ、当時のトイレは和式で、排尿後、小便器の中に排尿前にはなかった茶色い沈殿物が溜まっているのを見つけました。どうやら私の体からは土砂が出ていたようです。修煉を始める前から尿結石はあったのですが、治療しても効果がなく、頻繁に発作が起きていました。修煉後、激しい痛みはなかったのですが、今回は勝手に出てきてしまいました。私の体を再び浄化してくださったのが師父であると分かり、とても感激しました。合掌して師父に感謝します。

 ラジエーターパイプに手錠をかけられた10日後、会社の関係者が私を家に帰らせてくれました。私は翌日に出勤しました。

 仕事を始めて3日目、オフィスでまた背中とお腹に痛みを感じ、心の中で師父にこう言いました。「師父、これは病気ではないとわかっています。私にそれを負わせてください。いつまでも師父に私のために負わせることができません」。また何か出てきそうな気がして、金属製の洗面器を持ってトイレに行きました。尿をするときに洗面器にネジが落ちるような音がして、立ち上がって見てみると豆粒大の石が出てきました。私は涙を流しながら、合掌して、少しも苦痛を感じなかったことを師父に感謝しました。すぐに石を洗浄し、紙コップにいれました。石の色は茶緑色でした。

 紙コップを手に、法輪功を担当する会社の上司のオフィスに駆けつけ、コップの中の石を見せました。私は、「××書記、こんな大きな石を見てください、排出されるまで全く痛みを感じませんでした。法輪功はこんなに素晴らしいのに、なぜ修煉させないのですか?」と問い詰めました。書記は「いや、私たちも仕方ないのですよ。良いことなら、家に帰ってやってね!」と言いました。

 夫と私は同じ会社で働いていますが、私が法輪功を修煉しているため、夫は会社から大きなプレッシャーを受けていました。しかし、彼は私から大法の奇跡を目の当たりにしていたので、大法をとても認めています。また、法輪功学習者(以下、学習者)はみな善良な人であることを知っているので、弾圧には反対しています。

 その後、私は続けて夫に真相を伝え、真相資料を見せ、徐々に彼は理解を深め、私が大法を実証することに協力するようになりました。

 ある時、夫は大型貨物自動車に正面衝突され、運転していた車の前部が大きくねじれてしまい、ハンドルの下から抜け出すのに苦労しましたが、車は大破し、夫は襟元に少し血が付いた程度の軽傷を負っただけで、それ以外は何の問題もありませんでした。事故現場にいた警察官や双方の関係者は皆、感嘆の声を上げました。夫を守ってくださったのは大法の師父だと我々はわかっています。

 私たち家族は、師父の救いに感謝します。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/31/433062.html)
 
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