【慶祝513】ベトナム学習者:私は幸運にも大法に出会うことができた
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文/ベトナムの大法弟子

 【明慧日本2021年11月29日】人生に意味がないと感じていた時、私は幸運にも大法に出会うことができました。師父は、他の多くの同修と同じように、私の体を浄化してくださり、本当に良い人間になるように教えてくださいました。私の心性が向上すると、私の生活は幸せでいっぱいになりました。なぜなら私には人生の意義が見えてきたからです。

 2014年、私は全身性エリテマトーデスであることがわかりました。これは原因不明の病気で、かつ治療法のない自己免疫疾患であり、それはほぼ全身にわたって影響を及ぼしたのです。最初は、髪の毛がたくさん抜け、それから手足が骨折し、続いて全身が腫れ上がりました。形成外科医は、「関節リウマチを患っている」と言いました。その時の私は25歳でした。そのすべてに私は戸惑い、さらに信じることはできませんでした。

 その後私は、重度の貧血になってしまいました。街一番の医者に、2カ月間治療してもらいましたが、私の病状は改善されませんでした。そのため私は輸血専門の病院に送られ、医者からは「1週間後に結果がわかります」と言われましたが、待っている間に、高熱が出て全身が痙攣するようになりました。その後私は呼吸が苦しくなり、救急部屋に運ばれたのでした。

 診断結果について、医者から「インターネットで自分の病気に関する情報を調べてみてください」と言われました。それ以来、私は毎月のように、病院で検査を受けることになったのです。病院で様々な不治の病を患った患者が、死の淵で苦しんでいる姿を目の当たりにしました。私は医者に、「先生、私は結婚することができますか? 私には彼氏がいて、私たちはすでに結婚を考えています。私はあとどのくらい生きられますか?」と尋ねました。

 しかし、既存の病気が悪化するにつれ、新たな病気も出てきました。すべてのサポートを失ったとき、私の苦しみも絶えず大きくなりました。私は本当にまるで底なし沼の中にいるような感覚でした。

 修煉を始める

 2017年に私は法輪大法の修煉を始めました。最初、私は慎重な態度を抱いていました。なぜなら、混在する様々な情報を耳にしていたからでした。私の判断を通して、いくつかの項目を結論づけ、法輪大法は「真・善・忍」の基準に基づいてよい人になることを教え、常に心性を高めることを求めています。同時に健康を保持することができ、健康を得ることができるということでした。これは佛家の法門で、修煉者が社会の中で正常な状態で生活し、仕事をし、宗教的な形式にとらわれず、政治とは無関係で、しかも完全に無料なのです。しかしその一方で、一部の人々の極端な主張を聞いたり、中共の工作員が広めた法輪功に対する誹謗中傷の発言も、耳にしていました。

 私は慎重に分析し、見極めた結果、2018年4月に、私は大法の修煉を真剣に行うことを決心しました。私は本当に師父に感激しました。中国国内の同修たちを敬服しました。同修たちは最も慈悲深く、最も力強い修煉者だったからです。

 大法の恩恵を受ける

 幾編かの大法書籍を、何度か読んでいるうちに、自分の多くの概念や考え方が修正されたように感じました。大学生の頃、私は「実際にどのような人が良い人なのか? よい人になるよう教えてくれる本はあるのだろうか? 何が正しいのか? 何が間違っているのか?」と思っていました。それ以来、私は「人間としてどうあるべきか、人生をより有意義なものにするにはどうしたらいいのか」というテーマの本をたくさん読み始めました。その時の私は、「自分はいい人になっており、自分はかなり良いのだ」と思っていたのです。しかし私の変化は表面的なものに留まっており、長くは続きませんでした。なぜなら、私の内面は変わっていなかったからです。

 そのため、仕事を始めてからは、徐々に自分の利益や実績、お金に執着し始めました。私は、自分が何を探していたのかを忘れてしまっていたのです。名利と愛情に執着し、私はそれでも、「自分のことはとても良くできており、どんな人よりも良い」と思っていたのです。当時の私は、お金を稼ぐことで精一杯だったのです。働きすぎの人と同じように、私は心身ともに疲れ果て、さらにイライラしていました。仕事以外に勉強を教えることで多くの収入を得られたため、私は自分のキャリアに対する情熱を失っていたのです。私が病気になってから、あんなに愛してくれていたと思っていた彼は、全く別人のようになってしまいました。病気の痛みと心の悲しみが、私の状況を悪化させました。その当時の私は、「悲惨」の2文字で表現することができました。私には今まで感じたことのないようなひどい孤独感がありました。私は学校での仕事をほとんど続けられなくなってしまいましたが、それでも学校外でのアルバイトは依然として辞めることはしませんでした。恥ずかしながら、私は本当に無責任な教師だと思いました。

 私が病気になってから、私の心性はとても悪くなっていました。気難しく、イライラしていつも人に文句ばかり言って、同時に傷つきやすかったのです。しかし、法を学び真剣に煉功するようになってから、私は変わりました! 妹は「お姉さんの言動は、以前と比べるとまるで変わって来ました」と私に言ってくれました。それはすべてが、「心が法に則っていた」からでした。

 私はかつてのように、地位や利益に執着することはなくなりました。私は学校外でのアルバイトが本分の仕事や教壇に立つ時の精神面に影響を与えていることに気づきました。学校外で働く理由はより多くのお金を稼ぐためでしたが、このように行うことが学生にとっては良いことではなかったかもしれません。学生たちは昼間は学校に通い、夜はやはり続けて授業を受けていました。もし私が大法を修煉していなかったら、私はこのことに永遠に気づかず、かえって自分を正当化する理由を、さらにたくさん見つけていたことでしょう。

 学校の教師一人一人に、100万ドン(約43アメリカドル)の寄付が行われました。私はそのお金を5分の1ずつに分けて、勉強の好きな優秀な学生5人に渡しました。私は、学生たちに「そのお金でもっとたくさんの本を買って読むことができる」ということを言いました。同時に、私は自費でいくつかの資料を印刷し、学生がよりよく試験の準備ができるようにしました。そのため、自分に後いくらのお金が必要かということは考えないようにし、私は少しでも学生たちを助けてあげようと思っていたのです。なぜなら、学生たちが「本当に学びたい」と思っていたからでした。時には他のクラスのために資料を印刷すると、他のクラスの学生たちは私への支払いを忘れてしまうことがありました。私は他のクラスの学生たちへのプレゼントだと考えるようにしました。以前の私だったらとてもできなかったことで、きっと私は怒り、落ち込み、さらに他のクラスの生徒たちが払い忘れたお金のことで動揺していたことでしょう。

 修煉してからは、私の中の恨みは消えました。なぜなら法を学ぶことで、私たちの人生で遭遇するすべての苦難は、前世に関係していることを私は理解したからでした。もし私たちが誰かに借金をしていたら、私たちはそれを払わなければなりません。

 同僚たちと情報や資源を共用し、さらに同僚たちのことを考えることを学びました。もちろん、これはみな一つの過程でした。以前の私はわがままでした。私はただ何が自分にとって最も有益なのかを考えていただけでした。そして自分よりも人気のある同僚に嫉妬していました。今では、「真・善・忍」で自分の一思一念を測ることを学びました。私は、何かがうまくいかなければ、次はしっかり行おうと思いました。トラブルを前にして、心を放下することを学びました。時間をかけて蓄積していく過程で、私は大きく変わりました。徐々に執着を取り除いた後、私は心の平静さを感じ、時には、私は本当の意味で「修煉者」であることの喜びを実感しました。

 師父は、「皆さんが知っているように、修煉者がいつも話していることですが、あなたにその心があれば、心が動じるのです。その心がなければ、風が通り過ぎたかのように、何も感じません」[1]と説かれました。

 私は自分に、まだ取り除かなければならない、多くの執着を持っていることがわかってきました。一つの執着を取り除いた直後には、またすぐに別の執着を意識し、それから引き続き執着を取り除きました。その過程は簡単ではありませんでしたが、執着が本当になくなった時の感覚は、心身の安堵感と喜びだったのです。

 無病で全身が軽い

 私は15歳の時に生理が始まり、さらに経血量が多かったり、あるいは体調が悪くなったりすることがよくありました。医者はいつも私に再診を勧めてくれましたが、私が20歳を過ぎた後でも、医者はやはり私を治す治療法を見つけられませんでした。ただ「思春期の月経障害」と書いただけでした。私は多くの薬を試しましたが、どれも私には効きませんでした。私の場合、月の半分近くは苦痛にさらされていたのですが、エリテマトーデスを発症してからは、月経不順がさらにひどくなってしまいました。

 10年間病気の苦痛に苛まれてきましたが、私は幸運にも大法に出会い、さらに大法の超常的な力を自分で体験しました。現在(訳注:2019年5月)私の生理もすっかり正常になり、私は自分の体が本来の状態に戻っていくのが、はっきりと実感できました。師父が病業を取り除いてくださったのです。

 エリテマトーデスのため、私の爪の片方はとても長く、さらに肉から離れてしまいました。この状態が何年も続き、薬を飲んでも効果がありませんでした。しかし大法を修煉するようになってからは、私の爪が再び生えてきました。私はさらにエリテマトーデスがいつ治ったのかもわかりませんでした。母親は、このすべてがとても素晴らしいと感じていました!

 そして私の心臓弁の問題も消えました。以前は、月経不順が原因で脚の疲労感を感じることもありました。生理前に感じる違和感に、私はいつも我慢できませんでした。エリテマトーデスを発症してからは、私は薬を飲まなければならず、時にはさらに医療用の靴下を履かなければならず、学生に授業を行う時には私はいつも座って、足をこすり合わせなければなりませんでした。夜寝る前に、私は脚のマッサージをして、さらに寝る時に脚を高く押し上げて寝ていました。時には全く眠れないこともありました。これもまた私の仕事にも影響が出てしまうのです。なぜなら私は学生の学習状況に目を配ることができなかったからです。しかし、いまでは足の違和感もすでになくなり、何の薬も服用する必要はなく、医療行為を受ける必要もありません。さらに、以前自分が心臓病であったことを忘れていたほどです。今では、授業中に走り回っては学生の学習状況に注意を払うことができるようになりました。

 一時期、学校の教師が足りない時期がありました。週に40回以上授業をし、1回の授業は45分でした。この状態が3カ月間続きましたが、しかし心臓に異常を感じたり、異常な症状が出たことはありませんでした。一般の人にとって、このようなキツイ仕事をしながら、良い状態を維持することは困難なことです。そのため、同僚からは「いつも元気でいられる秘訣は何ですか?」と聞かれました。私はこの全ては、「大法を修煉したからだ」ということが分かっていました。そして私は、同僚に法輪大法を紹介しました。

 以前の私は、貧血でいつも顔色が悪く、顔が腫れ、体が細くてか弱く、特にエリテマトーデスの薬の副作用が強かったのですが、その薬をやめることはできなかったのです。薬の飲み忘れがあったりしたら、とても心配になっていました。しかし今では、健康を取り戻し、薬を飲む必要もなくなったのです。

 私の家族は大法の素晴らしさを目の当たりにし、 母親も大法を修煉し始めたのです。祖母は大法の本を愛読し、毎日いつも読んでいます。

 同僚も私の変化に気付き、何人かは私の煉功について尋ねるようになりました。同僚たちも皆、この功が素晴らしいことを知っていましたが、彼らはいつも忙しすぎました。もちろん、これは表面的な理由でした。しかし、今の私には、もっと深い理由があるのが分かります。それは運命であり、それは縁であることが、少しずつ分かってくるようになりました。大法を目の前にして気づくことができる人は、果たして何人いるでしょうか? 大法の修煉は心性を高めることができ、心性が向上すると同時に業力が取り除かれ、体は自然によくなるのです。

 もし私が大法を修煉していなかったら、家族や社会に迷惑をかけていたかもしれません。私は大法を修煉することで、非常に多くの恩恵を受け、多くの奇跡が私の身に起こりました。私は、私の出来事をみなさんと共有し、大法に縁のあるすべての人が一日も早く修煉を始めて、真の大法弟子となり、その中から大法の素晴らしさを体験することを願っています。

 法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/17/387435.html)
 
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