明慧法会|森林農場に法輪功迫害の実態が広く伝わっている(2)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年12月1日】(前文に続く)

 パンデミックの時代

 2020年の春節はこれまでとは違いました。共産党政権による隠蔽と誤報により、中共ウイルスとも呼ばれるコロナウイルスが突如発生し、中国国内、そして世界を席巻したのです。人々を救うために法輪功迫害の事実を伝えることは、こうしてさらに緊急性を増しました。

 私は2020年の正月を姉の家で過ごしました。姉は山の上の観光地に民宿を持っていました。旧正月の2日目、観光地で働く人たちが各民宿にアンケートを取りに来ました。彼らは「武漢からの観光客はいますか?」と聞きました。その時、私は初めて武漢で深刻なパンデミックが起きていることを知りました。

 事態は急変し、疫病発生の情況はとてもひどくなったようでした。そうでなければ山岳地帯が緊急事態にはなりません。私はこれ以上、姉の家にはいてはならず、大法弟子として、災難の火を消して、人命救助をしなければなりません。私は自分の使命を果たさなければいけません。翌日、私が帰った後、山の観光地は封鎖されました。

 パンデミック時の人命救助

 私が帰宅した翌日、同修が訪ねてきました。人を救わなければならないという気持ちは同じですが、どうすればいいのでしょうか。明慧で調べてみると、パンデミックの中でどうやって人を救うかという記事が共有されていました。これらの記事は、私たちを大いに助けてくれました。

 私たちは「疫病発生のとき、どのように自らを救う」や「パンデミックの間、法輪大法は善であることを念頭に置く」などの関連記事をダウンロードしました。それらをたくさんコピーして配布しました。資料を受け取って読み、「法輪大法は素晴らしい」と心に留めておくことを学んだ人たちは、パンデミックの中でも安全でいられるだろうと思います。

 コロナウイルス期間中、各家庭では1日に1人が2時間だけ外出することが許されていました。私とAさんはその時間をとても大切にしました。外出するたびに、中国共産党の組織を辞める人を何人も助けることができました。

 バイクに乗る

 私は、20年以上前に山の仕事をしていたときにバイクの乗り方を覚えました。そのおかげで、私はバイクに乗るのがとても上手になりました。すでに50代になっていますが、今でも高速で安定した走りができます。2017年から私は、バイクにAさんを乗せて何処へでも連れて行きます。人々が法輪功迫害の事実を知り、それを救うための活動において、バイクは強力なツールとなっています。

 以前は、1日に数十キロしか走っていませんでした。2020年にロックダウンが解除された後、私は5月の初めに、2人の年配の同修の要請を受けて、山に資料を配りに行きました。山にいたのは3日間です。往復300km以上の距離とでこぼこした道路状況、さらにバイクが古くて消耗していたこともあり、帰り道は骨が折れるような感覚でした。回復には4日かかりました。

 私たちの田舎は、人口の多い県レベルの都市ですが、多くの人々は、法輪大法の本当の姿を知らず、そのような資料を受け取っていませんでした。数年前、田舎に行って資料を配っていた修煉者たちが連行、拘留されました。田舎に行く修煉者を探すのは大変でした。それに交通手段もありませんでした。

 Cさんは、私と一緒に田舎で資料を配りたいと言ってくれました。山道は長くてでこぼこしているので、最初は少し躊躇しました。しかし、以前から一緒に仕事をしていたCさんは、私の速くて安全な乗り方をとても気に入ってくれました。彼女は、この仕事をする時、私たちはベストパートナーであると感じていました。人を救う仕事なのだから、迷わず協力すべきだと思いました。しかし、私のバイクはあまりにも古かったのです。そこで、スピードが出て、衝撃吸収性に優れた中古のバイクを購入しました。パワフルで燃費も良く、まさに私が求めていたバイクでした。

 私たちは、そのバイクでさまざまな村の道を走っていました。私は運転手で、後部席のCさんは投手のような存在だったのです。彼女は、私が運転するバイクの後に乗って、法輪功迫害に関する資料を各家の庭に正確に投げ入れることができました。それも、両手を使って、ものすごいスピードでした。あっという間に1つの村が終わりました。

 すべての村を縦横無尽に回りました。2020年だけで2万部以上の資料を配布したが、自分でも信じられないくらいです。地図を見ると、空白になっていた山奥の村が完全にカバーされていました。時が経つのは早いもので、今でもこのように最新の資料を配布しています。

 私達はどうやってここまでやり遂げられたのでしょうか。大法修煉者は、人々を救うという神聖な使命を持って道を歩んでいるのだと思います。正しい考え、危機感、献身的な努力で、私たちはその使命を果たしています。1日に約150kmも走ったときもありましたし、帰ってからも資料を作らなければなりませんでした。少し疲れていましたが、それによってどれだけの人々が恩恵を受けるか、そして法輪大法の力を考えれば、もう疲れは感じませんでした。むしろ、正念を持ち続けていました。

 台風にも負けずに

 2020年8月下旬のある日、空に暗い雲がかかっているのが気になりましたが、それでもCさんと一緒に出かけることにしました。法輪功迫害に関する資料を50部持参して、20kmほど離れた町に向かいました。途中、暗雲が追いかけてくるような気がしました。師父に、雨が降らないようにしてくださいとお願いしました。午前中はずっと、人々に法輪大法について話し、資料を配布しました。その日、私たちが話した人々は、私たちの話を受け入れてくれたようでした。

 私たちは資料を配り終えると、すぐにバイクに乗りました。やがて、雨が降ってきました。私達は傘もレインコートも持っていなかったのですが、ひたすら走り続けました。雨はどんどん強くなり、風も強くなってきました。ヘルメットについた雨水を何度も拭き取り、視界を確保するのが大変でした。服はびしょびしょになり、震えが止まりませんでした。

 やっと無事に姉の家に着きました。私たちはカバンを取りに来たのです。姉は私たちに一晩泊まって下さいと言った。Cさんは姉に迷惑をかけたくないと思っていて、私もそう思ったので、また2人はバイクに乗って帰ることにしたのです。

 後で知ったのですが、その日、私たちの地域は台風に見舞われていました。私たちの地域では、このような悪天候は前例がありません。風と雨でバイクが飛ばされそうになったのも無理はなかったのです。幸いなことに、師父のお陰で無事に帰宅することができました。

 森林奥の危険から逃れるために

 私たちの街の南東部は山間部で、山の深いところにはたくさんの森林農園があります。山は高く、鬱蒼としていて、人里離れた場所にあります。中共ウイルスが発生した後、この地域は閉鎖され、2020年9月28日までロックダウンが解除されませんでした。再開を知ったときはとても嬉しく思いました。まだ法輪功迫害に関する資料を届けていない森林農園が9つありました。私はそこで生まれ、そこにいる人たちは私と深いつながりがあり、見捨てることのできない人々なのです。

 そこの地域は、最大の森の中にあるとても有名な観光地でもあります。毎年、秋祭りのベストツアーシーズンには、県内外の観光客が押し寄せます。彼らは色とりどりの魅力的な風景を見るためにやってくる。観光客が多いということは、資料を配布する絶好のチャンスでもあります。シーズンオフには、県外からの観光客が少なく、1人でも見知らぬ人がいると、地元の人に警戒されてしまいます。

 同修のMさんはそこに住んでいます。私は彼女と相談し、4日間で9つの森林農場をカバーする計画を立てました。翌日の朝9時に出発し、500枚の資料を運びました。最初の農場は100枚で済み、あっという間に終わりました。

 昼頃、一番大きな森林農場に到着しましたが、お昼時だったので人通りが多く、安全ではなかったので、小さな農場2箇所に行き、合計150部ほどの資料を配布しました。こちらもあっという間に終わり、一番大きな森林農場に戻ってきました。

 まずは、道路の南側からスタートして、そこの路地はすべて繋がっていました。北側は行き止まりになっているので、資料を配りながら正念を発したしました。派出所が見えても邪魔されず、黙々と仕事を続けました。

 山道を下っていく途中に、さらに人里離れた別の森林農場がありました。その風景は息を呑むような美しさでしたが、それを楽しむ余裕はありませんでした。もう午後になっていたので、とにかくそこに行きたかったのです。さらに9 kmほど進むと、山の麓に到着し、資料を配り始めました。偶然出会った人には、「これは危険なとき命を助ける資料ですから、ぜひ読んでみてください」と伝えていました。

 最後の路地にたどり着くと、そこは行き止まりになっていて、長くはなく、住民もほとんどいませんでした。私たちは、路地の端から外に向かって材料を配り始めました。同修が資材を中庭に投げ入れるとすぐに、迷彩服に赤い腕章をつけて庭に立っている若者に見つかっていました。私はバイクに乗って路地の外に出ました。彼はバイクに乗って私たちを追いかけてきました。彼はまた、車に乗った別の男性にも一緒についてくるように頼んでいました。私が森の外に出て走ると、若い男がバイクで私の後ろに追いついてきました。

 そこで私はスピードを落として、彼が追いつくのを待っていました。そうすれば、自分がここにいる理由を説明できると思ったからです。

 「あなたは何をしているのですか?」と彼は尋ねました。

 「私たちは人々を助けるために来ました。その資料に書かれている事実を読んでいただければ、あなたのためになると思います」と私は答えました。

 すると、彼の態度が少し落ち着いてきて、低い声で 「止めなさい」と言いました。

 私は彼の話を聞かずにスピードを上げ、彼をはるか後方に置き去りにしました。

 この時、車が追いついてきました。よくよく考えてみると、追いかけてきた人は善意ではなく、その人に止めさせるわけにはいかないと思いました。その車は後ろでクラクションを鳴らしていましたが、私はその車に道を譲らず、そのまま山道を走りました。

 その後、私が少しハンドルを切ると、彼はすぐに私たちの前に車を走らせ、道路を横切って急旋回し、私たちの行く手を阻みました。田舎道は狭い。私はスピードを落としました。車の前がとても狭く、追い越しができなかったのです。道路の側面は凸凹していて転びやすいし、車の後部は道路からはみ出しているが、未舗装の道路は平らだったのです。私は慌てませんでした。私は左足でペダルを2回強く踏み、右手でスロットルを上げました。すると、まるで空を飛んでいるかのように、スピードを上げて山を降りるように躍動しました。その間、私は師父の保護を求めました。「師父、助けてください。彼らに罪を犯させないでください!」

 運転手は、私くらいの年齢の女性がこんなに上手にバイクに乗れるとは思っていなかったようです。山の中は曲がりくねっています。私たちを止めることができなかったので、追いかけるのを止めたのです。私は、慈悲深い師父が私たちを危険から逃がしてくださったことに感謝しました。

 その日は、9時間で5つの森林農場を回り、往復100km以上走りました。その間、私たちは一度も飲み食いする機会がありませんでした。

 私の息子は、私がどこに行っていたのかを尋ねました。私は彼に私がどこどこの場所と、その後で行った場所を教えると、彼は驚いて言いました。「冗談だろう? 信じられない!」と。

 彼は家から山の上の営林場まで200kmの道があるのを知っており、また山岳地帯で、熟練した若者でも、その距離を走ってあちこち行くのはとても大変だったからです。

 「私は法輪大法の修煉者で、常人とは違います」と私は答えました。

 繰り返しになりますが、師父の長年にわたる慈悲なる気遣いと救いに深く感謝したいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』

  (明慧ネット第18回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会) 

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/12/433164.html)
 
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