明慧法会|パソコンの電源の入れ方も分からない状態から、資料の作成までできた
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2021年12月5日】

尊敬する師父、こんにちは!

同修の皆さん、こんにちは!

 私は、真相資料を作り始めたばかりの頃に起きた奇跡や心を修める過程について、ずっと書きたいと思っていました。何回か筆を執ったことがありますが、結局、小学校も卒業していないし、レベルも低いという人間の観念に阻まれました。内に向けて探してみると、これは中国国内の同修の全体的な協調や、向上させる機会であることを認識できていないからです。悟ったあと、私は慈悲深く偉大な師父に報告し、同修の皆さんと交流するためにこの文章を書きました。

 一、初めてパソコンを学び、真相資料を印刷する

 2000年のある日、勤務先の上司は、すべての職員がパソコンのトレーニング・テストを受けなければならない、このテストを将来の資格評価として使用すると通知しました。課内の同僚と一緒に研修に行きました。

 初日の授業では、先生がみんなにパソコンの電源の入れ方や消し方を教え、また「Windows」や「word」という言葉を言いました。それからは、毎日のように授業でこの二つの言葉を耳にしました。毎日、先生に手伝ってもらってパソコンの電源を入れた後、私はその中から「ウンド・ワード」という言葉を探しました。13日間かけて探したのに、研修が終わっても見つかりませんでした。その間、悩んで食事も睡眠もろくに取れず、夢の中でもこの「ウンド・ワード」がどんな様子なのか考えていました。13日間、私の体重が4キロも減り、パソコンの電源の入れ方、切り方も覚えられませんでした。

 2002年の初め頃、姉の家が古いデスクトップパソコンとインクジェットプリンターを処分したいというので、もらいました。当時、真相資料はすべて同修が他の都市から持ち帰ったもので、配布する時いつも足りないので、私は資料を自分で作ろうと思いました。

 私は息子にパソコンの操作を教えてもらいました。最初はマウスの持ち方も分からず、左ボタンと右ボタンの区別もつきませんでした。マウスを動かしても、思い通りにいかないので、マウスが逆さまになっていることにようやく気づきました。そして、マウスの持ち方、使い方、動かし方、左右のボタンの役割、パソコンの各アイコンが何のためにあるのかなど、2〜3日かけて学びました。 最終的には、マウスを自由に使えるようになりました。

 それから、真相資料を印刷する方法を同修に教えてもらい、どの段階でクリックすればいいのか、手でマウスを動かしながら模範を見せてもらいました。しかし、彼女が時間をかけて教えた後も、私は一言も理解できなかったし、見ても分かりませんでした。最後に私は、「私がマウスを持って、あなたの言うとおりにクリックします」と提案しました。クリックするごとに、自分が理解できる言葉でメモをし、メモした内容に従って何度も練習しました。このようにして、私は真相チラシの印刷ができるようになりました。

 2003年10月、他の都市の協調人が来て、「安全で便利のために、自分たちの資料拠点を設置してほしい」と交流しました。私たちは「技術を同修に教えてもらわないと、自分たちではやり方が分からないです」と言いました。数日後、その協調人は若い男の子を連れてきて、技術を教えてくれました。

 私たちはすぐに資料拠点を設置し、レーザープリンター2台とカラーインクジェットプリンター1台を購入しました。私は、同修が配布する真相資料を担当しました。また、「明慧週刊」や師父の新経文なども印刷します。それまでは、真相チラシだけを印刷していましたが、今回はレーザープリンターで印刷するだけでなく、真相パンフレットの印刷や表紙をカラーインクジェット機で別途印刷しなければならなくなりました。

 技術の同修を資料拠点に連れて行くと、その技術同修はパソコンの電源を入れ、プリンターのデータケーブルをパソコンのUSBに接続した後、「どのケーブルがどのUSB につながっているか、それを覚えなければなりません。ファイルを印刷する時、どのファイルがどのプリンターにセットされているかがわかります。もし問題が発生しても、どのプリンターかわかるので、対応しやすくなります」と言いました。これを聞いて、本当に困り果てました。

 3台のプリンターが同時に稼働しているので、操作するどころか、見るだけでもついていけなくなります。技術同修が操作方法を説明し、表側が終わったら裏側を印刷する方法を教えてくれました。片面印刷後の紙をダンボール箱に入れて、裏側に印刷するときに倒さないようにする方法を教えてもらいました。 数日の間、私はほとんど何も分かりませんでした。

 この過程は心を修める過程でした。技術同修は何度も教えているうちに、忍耐力を失い、時には焦って話すこともありました。私は口では何も言いませんでしたが、心の中では「どうしてこの子はこんなに物の道理が分からないだろう。私の息子はあなたより年上でも、私をあんなに怒らせたことはなかったのに、年長者にあんな言い方をするなんて。あなたは私の家に住んでいて、私は食べ物や飲み物を提供しているのに」と心のバランスを崩していました。 そう思えば思うほど、若い同修の態度が悪くなり、私は何も学ぶことができなくなりました。

 ある日、「レーザープリンターのカートリッジを分解して粉を入れて」と言われました。私は素早くカートリッジを全て分解しました。これを見た若い同修は怒り、「なんで全部解体したのか! どこを取り外すかも聞かなかったのか?」と叫びました。私は「分解してと言ったから、分解したの、しかも、どこを分解するかも教えてくれなかったのに」と対抗しました。若い同修は「私が毎日粉を入れるときに見ていないのか?  やり方がまだ分からないのか?」と聞いた時、「分からない」と答えました。「わからないなら、なぜ聞かなかった?」と言われました。私は「毎日気持ちが晴れないのに、分かるはずがない」と心の中で考えました。若い同修は私の不平不満の表情を見て、「明日、家に帰るから、他の人に教えてもらいましょう」と言いました。

 「資料拠点が稼働しているのに、若い同修は本当に帰ったら、多くの資料を誰がするのだろう? 同修たちは衆生を救うための真相資料を待っているのに、私は罪を犯したことになるのではないか」と不安になりました。家に帰って、2人は一緒に学法しました。『轉法輪』の一講を読み終わって、心が落ち着いてきました。私は自分の内に向けて探しました。これは人に言われたくない心ではないかと分かり、自我、恨み、嫉妬、不平不満、求める心、虚栄心などがすべて自分ではないとはっきり認識し、これらの悪い心を取り除こうと師父のご加持をお願いしました。

 私は若い同修に「ごめんなさいね、おばさんは悪かった、気にしないで下さい。明日も引き続きおばさんに教えて、しっかりと勉強するから」と謝りました。私は続いて「今までと同じ方法で、私がマウスを持って、あなたがクリックしてほしいところを教えて下さい」と言いました。毎日プリントするときには、メモに従って印刷しました。数日後、私はできるようになりました。

 若い同修は、カートリッジの分解の仕方、粉を入れる方法、紙が詰まるときの処理、カラープリンターのインクを入れる方法、掃除の仕方、ホッチキスで小冊子の作り方などを丁寧に教えてくれたので、それらをすべてメモしました。私はすぐに使いこなせるようになり、印刷時に発生した細かいトラブルにも対応できました。

 長年、資料の印刷で様々な印刷機と付き合ってきました。印刷機が正常に印刷できないときは、自分の修煉に漏れがあることに気づくことができました。

 ある日、資料を印刷しているときに、赤い色の横線があり、インクが足りなくなった様な状態が数日続きました。クリーニングしても同じだったので、写真を印刷するように設定したらうまくいきましたが、数日後、また駄目になりました。私は機械とコミュニケーションをとり、発正念をしましたが、すべては無駄でした。仕方がなく、プリンターを梱包して、土曜日に修理に出そうと思いました。

 土曜日に用事があったので、プリンターを修理できませんでした。日曜日、食事を終えてプリンターを運び出そうとしたとき、突然、頭の中に「燃える赤い火」という言葉が浮かび、すぐに悟りました。私はプリンターに、「プリンターさん、あなたは何も悪くない、全部私のせいです。最近の状態が良くないので、家族にかんしゃくを起こしたばかりです。ごめんなさい、あなたの衆生救済に影響してしまいました。修理に出さずに、すぐに仕事をしましょう」と言った後、パソコンの電源を入れ、印刷を開始すると、すべてが順調にできました。

 ある日、買ったばかりのカラーインクジェットプリンターT50が、2日も経たないうちに、印刷時に青い線が出てきて、何度クリーニングをしても使えません。2回メーカーに送って検査してもらいましたが、問題ありませんでした。 3回目は修理店に持っていきました。修理店はとても忙しくて、3日後取りに来るように言われました。家に帰ってから、私は内に向けて探しました。家庭内での葛藤があったので、私の対処法は極端に走り、慈悲心が足りないことが分かりました。そして、納得のいく解決ができました。

 翌日、修理店に行き、店員に「修理できましたか?」と尋ねたら、彼女は「まだ修理していないです」と答えました。私は、「それでは修理しなくても大丈夫です」と言いました。プリンターを持って帰って、印刷してみると、すべて順調でした。

 二、ネット上からダウンロードと書き込みを学ぶ

 資料拠点を設置したときは、インターネットが使えない借家でした。私たちは毎週県外の都市に行ってUSBメモリを受け取り、それをプリントしました。当時、同修が連行される事件が頻発しており、あまりにも危険だと感じたので、私は3000元を出して中古のノートパソコンを購入し、同修に家でダウンロードしてもらいました。

 ある日、資料拠点の扉が突然開き、大家さんが入ってきました。私たちが何をしているのか知ったのですが、その時、大家さんは何も言いませんでした。 これ以上ここにいるのはよくないだと判断し、引っ越すことにしました。もし、改めて部屋を借りて、また同じようなことがあったらどうしようと考えたら、 結局、私の家に移転しました。しかし、それも長くは続かず、ダウンロードを担当していた同修が連行され、パソコンも押収されました。

 どうしましょう? 私は師父に「師父、私はインターネットの使い方を学びたいのです」と懇願しました。その夜、私は夢を見ました。ある少年が私にインターネットの使い方を教えてくれました。最初にマウスを持って、パソコンの画面を開いてクリックして下さいと言われ、うまくいきましたが、最後のステップになって、どこをクリックすればいいのか分からなくなり、少年に聞きました。「最初からやり直して下さい」と言ったので、もう一度やり直してみましたが、やはりできませんでした。私は焦って目が覚めました。

 翌日、あるパソコンが分かる同修が来たので、彼女にダウンロードの方法を教えてもらいました。何度か繰り返した後、ネットからダウンロードすることを覚えました。

 その年、『風雨天地行』と『我們告訴未来』のDVDが出版しましたので、私は県外の技術の同修に頼んで、パソコンに書き込みソフトをインストールしてもらいました。その技術同修はパソコンを開いて「〇〇さん、あなたのパソコンは古くて、機能も低すぎるし、印刷とダウンロードができるだけでも超常だと思います。書き込みソフトをインストールすると、パソコンが動かなくなりますよ。もう一つ、このパソコンにはファイアウォールさえもありません。ネットに繋げたらブロックされないのですか?」と私に聞きました。私は「分からないです。もう1年以上使っていますが、ブロックされたことはなく、とても速いです」と答えました。そして、同修はファイアーウォールを持たないことの危険性を説明しました。その時、この1年以上慈悲の師父がご加持して下さったのだと分かりました。

 それでも、同修に書き込みソフトをインストールしてもらいました。設置した後、同修はいろいろと教えながら、数分後にディスクが仕上がり、見てみると、画像が非常に鮮明でした。同修の指導のもと、私は何回か操作して、ディスクを焼くことができました。

 三、組版、編集

 ある日、現地で真相を伝える小冊子を作ることになりました。同修が文章をコピーしましたが、それを見たとき私はとても焦っていました。私はまだ組版ができないので、記事をフォルダに保存することしかできませんでした。このままでは、私の地域の衆生は、迫害の真相と中国共産党の邪悪さを知ることができません。私は心の中で「師父、私も小冊子を作りたいのです。でも、組版や編集の仕方がわからないので、どうしたらいいでしょうか?」と聞きました。

 2日後、県外の同修が私の家に来ました。私は「師父、ありがとうございます!」と何度も言って大喜びしました。「なぜそんなに嬉しいのですか?」と聞かれました。そして、私は自分の考えを同修に話しました。早速、同修は小冊子や真相チラシの作成する方法を教えてくれました。私は彼の言うとおりにして、編集作業をすべて記録し、常に練習しました。このことにより、現地の迫害を暴露する特集や真相チラシを作成する基礎ができました。

 2008年と2009年の2年間で、現地の47人の同修が連行され、10人以上が判決を受け、6人が労働教養を強いられ、7カ所の資料拠点が破壊されました。

 邪悪な迫害を暴露するために、明慧ネットから他の地域の真相資料をダウンロードしてテンプレートにして、現地の迫害を暴くステッカーを作ってみたり、同修が連行されたことを報道したり、迫害に関する資料を作って明慧ネットに送信しました。毎回掲載されるたびに、大きく直され、多くの誤字が修正されました。私はとても辛く、同修に大変な迷惑をかけたと感じました。

 その後、明慧ネットでは、記事や迫害文章の書き方などに関する文章が掲載されました。自分が書いた記事と掲載文を見比べて、なぜこのように修正したのか、なぜこの文章の句読点を変えたのか、などを勉強しました。徐々に文章力が向上し、段落の分け方もできました。字がわからないときは、電話で息子に聞き、なるべく明慧の同修に迷惑をかけないようにしています。

 ある時期、当時迫害されていた同修の状況をまとめて、特集を作りました。信頼性を高めるために、刑務所や労働教養所に不当に拘禁されたすべての同修の写真を掲載しようと思いました。紆余曲折を経て1カ月近くかけて、写真はほとんど揃って、1枚だけ欠けていました。

 その中に、2枚の写真は集合写真から同修を切り出す必要があります。やり方がわからなかったので、息子に手伝ってもらって切り出しました。しかし、息子は背景を作ることができず、白い紙の上に貼り付けました。見た目はあまり良くなかったので、コピー屋さんに持っていって背景を作ってもらいました。

 2日後、同修は最後の1枚の写真を持ってきてくれました。それも集合写真でしたので、写真館に行って抜いてもらったのですが、同修の頭と肩が斜めになっていました。写真館の女の子が「おばちゃん、頭と肩をまっすぐにしてあげるね」と言ってくれました。私は「お願いします!」と答えました。とてもいいようにでき、修正代金は5元でした。私は満足して家に帰りました。

 家に帰ってから、コピー屋さんで作った2枚の背景写真と写真館で修正した写真と見比べてみて、質が遥かに違っていることが分かりました。そんな写真を明慧ネットに掲載したら、同修のイメージに影響すると思って、思い切ってさらに10元を払っても写真館にお願いすると決めました(当時、家庭の経済状況は大変なので、1元でも考えなければならない)。雨の中、写真館に行って修正してもらいました。とてもきれいに仕上がりましたので、代金を確認すると、なんと「2元」と答えました。家に帰って、私は師父の写真の前で涙を流しながら「師父、ありがとうございます!」と言いました。

 4日後、迫害の事実の特集版が掲載されました。ダウンロードして見てみると、思い通りにうまくいきました。編集されたので、さらに完璧になりました。その時、私は師父の写真の前でひざまずき、「師父、ありがとうございます! 師父は弟子の気持ちをよく知っておられました。師父への感謝の気持ちは、人間の言葉では表現できません!」と言いました。

 長年の風雨と修煉の歴程を経験して、師父が説かれた「修は己にありて、功は師にあり」[1] という言葉を深く実感しました。師父が説法された「神はあなたの人柄が良いと思って、智慧を与え、良いものを創造できるようにしたのです」[2]という言葉にも深く理解できました。

 私が無力で困っていたときに同修からの助けは、すべて師父の苦心なる按排によるものだと分かります。すべては師父が与えて下さったものであり、師父の広大なる佛恩に感謝しています!

 再度、師父に感謝いたします!

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』

  (第18回明慧ネット中国大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/9/433165.html)
 
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