真相を伝える過程での奇跡的な出来事
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文/中国遼寧省の大法弟子(本人の口述に基づき同修が成文)

  【明慧日本2025年3月29日】私は今年70歳で、1997年に幸運にも法輪大法の修煉を始めました。しかし、当時は仕事が忙しく、法を学ぶ時間が少なかったため、法に対する理解が浅かったのです。1999年7月20日に邪悪な共産党が法輪功を迫害し始めたとき、社会的な圧力や家庭環境の影響を受け、「良い人でさえいればいい」と思い、修煉を放棄してしまいました。

 大法の修煉に戻る

 私は良い仕事に恵まれ、家庭の経済状況も良好でした。しかし、同修たちと一緒に学法し、煉功していた楽しい光景が何度も思い出され、どうしても心にぽっかりと穴が空いたような感覚が拭えませんでした。特に退職後、その空虚さは一層強まりました。

 ある日のことです。私は白く積もった雪の上をゆっくりと歩きながら、「やはり修煉しなければ、生きている意味があるのだろうか?」と考えました。そう思った瞬間、心がとても落ち着き、幸福感に包まれました。「いつから修煉を再開しようか? 春になり、花が咲く頃から始めよう」と、心の中で決めたのでした。

 この一念のおかげで、2008年の春、ある親族の同修が私の家を訪れました。そして、私は幸運にも再び大法の修煉に戻ることができました。

 それ以来、私は毎日欠かさず学法し、煉功に励み、さらに真相を伝え、衆生を救う活動にも加わりました。私はとても充実した日々を送り、心からの喜びを感じています。これこそが、私の人生の本当の目的なのだと悟りました。それでは、私が真相を伝え、衆生を救う過程で体験したいくつかの不思議な出来事についてお話ししたいと思います。

 師父が私を見て微笑んでおられる

 ある日、同修が私を連れて真相の紙を貼りに行きました。貼っているうちに、ふと頭上を見上げると、なんと師父の法身が現れ、座ったまま私を見つめて微笑んでおられました。私は驚きと喜びで胸がいっぱいになり、さらに腰をかがめて下から見上げるようにしました。すると、やはり師父は私を見ながら微笑んでおられるのです! 私は感動し、その興奮した心情は言葉では表しきれませんでした。

 私は心の底から、修煉することがこの世で最も幸福なことだと実感しました。師父の励ましに心から感謝し、私は修煉の道をこれからも揺るがず歩み続け、師父のご期待に決して背かないと強く誓いました。

 一幅一幅の画面が私を励ましている

 私は修煉の道を10年間も無駄にしてしまったため、とても惜しく思っていました。そのため、心の中では常に「もっと学法し、もっと人を救い、この遅れを取り戻さなければ」と考えていました。幸いなことに、夫(同修)と娘婿は車の運転ができます。娘婿は修煉はしていませんが、大法が素晴らしいことを深く認めています。

 ある年の春の陽光が明るく輝き、そよ風が心地よく吹く朝、私は200冊の真相冊子を持って、娘婿の運転する車で出かけました。道中や田んぼの中で出会った人々に、車の窓から一冊ずつ手渡していました。

 道中で一人の妊婦に出会いました。大きなお腹を抱えていたので、私は「彼女には渡さなくていいよ。かがむのは大変だから」と言いました。すると、娘婿は「大丈夫、みんな救われるのを待っているんだよ」と話しました。そこで、私は急いで彼女に一冊投げ渡しました。車が通り過ぎた後、振り返って見ると、彼女はすでに拾い上げて読んでいたのです。私は嬉しくなり、「あげてよかった!」と言いました。

 車が村の中に入っていくと、私と娘婿はそれぞれ車の窓から各家の門の中に真相資料を投げ入れました。ある家の庭では、3~4歳くらいの子供が真相資料を拾い上げて、「おばあちゃん、見て!」と言いました。すると、おばあちゃんは急いでそれを受け取りました。

 ふとある家の門前に立つ大きな木に目を向けると、幹には「法輪大法好(法輪大法は素晴らしい)」と書かれていました。木の下では数人の村人が座って語り合い、3人の子供が楽しそうに遊んでいました。すべての生命が法の光に包まれ、和やかで幸福な雰囲気が広がっていました。その光景に胸が熱くなり、同時に「もっと多くの人を救わなければ!」と改めて決意を固めました。

 家に戻った後、午後には再び200冊の真相資料を持って出かけました。家族(同修)が「同じ道を通らないように」と一言注意してくれましたが、娘婿はまた同じ道を選び、私も特に反対しませんでした。配り続け、残りが四、五十冊になった頃、後ろに警察の車がいるのに気付きました。私たちはすぐに速度を上げ、前方の角を曲がり、舗装されていない道へと入りました。しかし、先へ進むと道が途切れ、そこは一つの村でした。「来たからには、この場でやるしかない」と覚悟を決め、私たちは素早く残りの真相資料をすべて配り終えました。その後、何事もなかったかのように堂々と元の道を戻り、警察車両の横を通り過ぎて、無事に家へ帰りました。

 危険に晒されながらも無事であった体験

 ある夜、私たちは車で村を回りながら真相資料を配っていました。ところが、一度うっかりして、車の右側の車輪が肥溜めに落ちてしまいました。そこは養豚を営む家で、門の前に肥溜めがあったのです。

 その時、すでに夜の10時を過ぎており、多くの家では休んでいました。車に乗っていた同修たちは皆降り、運転手は車を引き上げるための助けを探しに行きました。幸いなことに、近くの家の人がちょうど水槽の水を抜き終えて休もうとしていたところで、私たちの話を聞くと快く手伝ってくれることになりました。その家の人は車を使って私たちの車を引き上げてくれたうえ、汚れた車まできれいに洗ってくれました。私たちは感謝を伝えた後、最後まで真相冊子を配り終え、それから家へと戻りました。

 次に資料を配りに出かけた途中、車のタイヤに小指ほどの太さで、約60センチもある曲がった鉄の棒が刺さってしまいました。「どうしよう?」と一瞬焦りましたが、私と同修はすぐに師父にお願いし、「タイヤの空気が抜けないように」と祈りました。

 車を走らせると、鉄の棒が地面に当たって「カランカラン」と音を立てましたが、驚くことにタイヤの空気はまったく抜けませんでした。私たちはそのまま資料をすべて配り終え、無事に家へ帰ることができました。この時すでに夜の11時を過ぎていました。

 家に着いてから鉄の棒を抜くと、その瞬間にタイヤがぺしゃんこになりました。本来なら、こんなに太い鉄の棒どころか、小さな釘一本でもタイヤの空気はすぐに抜けてしまうはずです。これは間違いなく、師父が私たちを守ってくださったおかげです。こうした不思議な出来事は数えきれないほどあります。師父の慈悲なるご加護に、心から感謝いたします。

 ある時、隣県へ真相資料を配布しに行きました。その際、車にナンバープレートを装着していませんでした。帰路で後方に警察車両が追ってくるのに気づき、私たちは速度を上げて逃げました。警察車両は追いつくことができず、私たちの車が自分たちの県の市街地に入った後、運転手は急いでナンバープレートを取り付けました。師父のご加護のおかげで、無事に家に帰ることができました。

 師父に感謝を申し上げます!

 同修に感謝します!

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/12/488842.html
 
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