文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年1月2日】私は64年前、貧しい農民の家に生まれました。母は45歳で他界し、9人の子供が残されましたが、末っ子はわずか4歳でした。真ん中の子である私は、当時18歳でした。
そして、私は4人の弟妹の面倒を見ることになったのです。その苦労は、私の体をむしばんでいきました。母のそばにいたい一心で、命を絶とうと思ったこともありました。あるとき、姉が私を村の占い師のところに連れて行きました。その占い師は、私が45歳以上生きられないと予言したのです。
結婚するとき、夫にこう言いました。「私の家は貧しく、母が亡くなった後、私は自分のことだけでなく、家族の面倒も見て、結構苦労してきました。 これからは仲良く暮らしましょう、私を叱らないで、私も叱らないから」。彼はそれを承諾しました。それから10年間、本当に何一つ叱られることはありませんでした。
1996年、私は法輪大法の学習者になりました。私の健康状態が劇的に変化するのを見て、夫は私の修煉に干渉しませんでした。
しかし、1999年7月、中国共産党の前トップである江沢民の指示で、法輪大法に対する執拗な迫害が始まりました。警官は私の家に頻繁に出入りし、私と家族に嫌がらせをしました。私は拘束され、金銭を強要されました。また、警官は私が大法を学んでいるだけで、夫の職場にも行って脅かしました。迫害のために家族全員が苦しみました。
夫は、私がいつ連行されるかわからないという大きなプレッシャーを感じていました。夫は怒りを爆発させるために、私を殴り、罵るようになりました。
私は天安門に行き、法輪大法への迫害を止めるよう訴えたかったのです。夫は、私が天安門に行くのを阻止するために、私の法輪功の本を燃やすと脅しました。私は息子に助けを求め、すぐに家を出ました。同修の家で一晩を過ごし、翌日、天安門広場に向かいました。連行された後、私は1カ月間拘留され、その後、親戚の家に住むことになりました。
偽りの天安門の焼身自殺がテレビで放映されたとき、夫は犠牲者の中に私がいるのではないかと心配しました。その後、親戚から私が生きていることを聞いたそうです。夫は私に帰宅を促しましたが、私は拒否しました。「家に帰ったら、煉功も学法もさせてもらえない」と言いました。
夫はこう話しました。「どうか帰ってきてください。中国共産党が迫害を続けても、私はあなたのために大法の本を隠し、一冊も燃やしませんでした。もうあなたが法輪大法を実践するのを止めさせようとは思いません」
ある時、夫は私が持っていた『精進要旨』を持って外に出て、「燃やす」と言い出しました。私は、夫が本を庭に埋めようとしているところを追いかけました。私は夫に大法の本を壊さないようにと頼みました。彼は私の身の危険を感じ、修煉を禁じました。彼は棒で私を殴り、私の腕と足にあざを作りました。
私は彼を座らせ、なぜ私が修煉にこだわるのかを説明し、大法のよさを伝えました。彼は落ち着いた後、『精進要旨』を隅から隅まで読みました。
私は夫に新唐人テレビで『中国共産党についての九つ論評』などの番組を見させました。また、法輪大法に関するニュースレターやパンフレットを読ませてあげました。彼は徐々に法輪大法が何であるかを知り、今では法輪大法の修煉に賛成しています。私は、彼が困難な状況に陥ったとき、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えれば、李洪志師父が彼を助けてくださると言いました。
夫の変化は劇的でした。冬、私が法輪大法のポスターを貼るために外に出ると、夫も一緒にいてくれました。私の身を案じて、夜中、夫1人で大法のスローガンを掛けに行き、翌朝、私にスローガンの点検をさせることもありました。
夫の行いは、彼に幸運をもたらしました。ある日、仕事中に足を滑らせ、高さ10メートル以上の崖から転落しました。崖の下には深い池がありました。池の中央には大きな岩があり、中央が窪んでいました。窪みの中央には柔らかい土がありました。彼は岩の上の柔らかい土の中に着地し、意識を失いました。
救助され、救急病院に運ばれました。片方の腕に裂傷があり、縫う必要がありました。背中の骨も折れましたが、1カ月で回復しました。
数年後、別の治療院を訪れた夫が、あの日のことを話してくれました。崖から転がって落ちているとき、長い白髭の老人に捕まり、岩の窪みに入れられたそうです。そうでなければ、彼は池で溺れるか、そのまま転落し岩に体を打ちつけて死んでいたことでしょう。法輪大法の慈悲深い師父である李洪志先生は、私の夫を救ってくださいました。
夫は、私の修煉にとても協力的で、他の人に法輪功の素晴らしさを教えています。私が法を勉強し、人々に法輪功迫害について明らかにする時間を増やすために、彼は家事を始めました。彼は料理の仕方も覚え、気性も良くなりました。