起きなかった交通事故
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 【明慧日本2022年3月22日】私は北京第23中学の二年生で、法輪大法の講習会に参加して、直接李先生の説法を聞いたことがあります。当時はただ好奇心をもって聞いていましたが、それから私は修煉の道を歩み始め、どんなに忙しくても、毎日必ず時間を割いて学法していました。ここでは、私の2年間の修煉過程での出来事を簡単に紹介したいと思います。

 (1)煉功者の基準をもって自らを量る

 修煉前の私は、校長先生や先生方に気に入られて、早くも小学2年生の時にクラスの代表に選ばれました。

 しかし、法輪大法を修煉してから、トラブルが相次いでやってきて試されました。ある日、誰かに暴言を吐かれましたが、私は言い返しませんでした。なのに、先生は相手を叱るどころか、私が黙認したと責め、私の両親に話をつけに行きました。 

 別の日に、宿題を手伝うために同じクラスの友達の家に行った私は、帰りにジョークを言いました。それがなぜか先生の耳に入りました。先生は私の冗談を真に受けて、全員の前で私を批判しました。その時、私はこう思いました。「私は法輪功の学習者です。学習者であれば、『真・善・忍』にしたがって自分を律するべきです。どんなトラブルに遭遇しても我慢すべきです。常人である彼らと違って、私は煉功者なので、細かいことにこだわる必要はありません」。それ以降、学校で先生たちにどんな良くない話をされても、私は気にしませんでした。 

 (2)名門校に行くチャンスを失った時

 修煉前の私は、クラスの代表として、常に身をもって模範を示す事を意識し、高い基準で自分を律していました。勉強の面において、私は真面目に勉強し遅れをとることを嫌がり、常に一番を目指していました。

 成績を例に挙げると、99点を取った私は、満点を取った人がいると知った途端に心のバランスを崩していました。私が100点を取った時も、誰かが更にプラス点を取っていると知ると、帰ってから必ず泣き崩れ、次のテストでは1番を取ろうとばかり考えていました。 

 私はクラスの仕事にも真剣に取り組み、先生から与えられた仕事を必ずよくこなすように頑張り、家に帰るのがどんなに遅くなっても、どんなにお腹が空いても、必ず仕事をきちんと終わらせてから帰るようにしていました。

 私の特技は書道で、全国及び北京市で受賞したことがあります。 

 常識的に考えて、私のような優秀な成績と特技を持つ生徒は、名門校への試験免除がないにしても、推薦を受けてもおかしくありませんでした。しかし、推薦どころか、私は平均以下の中学校に入学させられ、しかも600元も払わされました。それだけでなく、「君は優秀だからこの学校に入れたんだ」と、学校側から告げられました。

 両親は学校側に是非をはっきりさせようとしましたが、私は両親を引き留めました。勉強も仕事もよくできた私は、良い学校に入り、将来は大学に進学して出世しようとも考えていました。しかし、今の私は煉功者なので、超常の理で自分を要求すべきだと考えると、悲しくはありませんでした。私が修煉して得たものは、常人には得られないもので、更に良いものです。名門校に行かせてもらえなかったのは、私がいつも負けん気を起こす執着心を取り除くためだったのかもしれません。

 (3)肉への執着をなくす

 肉への執着が私の一番大きな問題点であるかもしれません。以前の私は肉がなければならず、毎食主食にしていると言ってもいいほど多くの肉を食べていて、肉がないと食事とは言えないと思っていました。1食目の肉抜きは我慢できても、2食目も肉がなければ必ず泣いていました。そうすると、母はすぐに買いに行ってくれました。法を学び修煉してから、私は肉への執着を捨てなければならないことが分かりました。

 師父の説法を聞いて2カ月が経った時、私は急に肉が食べられなくなりました。執着心を取り除いてまもなく、再び肉が食べられるようになりましたが、欲はなくなりました。しかし、食べていくうちに、その執着心がまた現れてきました。 

 ある日の夕食、お皿に数枚の肉がありました。その肉が良い味だと思った私は、何枚か多めに食べました。最初は何の反応もありませんでした。しかし翌日、私はお腹が痛くなり、下痢をしました。お腹の中に脂身の多い肉が入っていると考えると、私は吐き気がして、座禅中もその匂いが込み上げてきて、しまいには熱まで出ました。その時初めて、これは師父が私の肉に対する執着心を取り除いて下さっているのだと思い、肉への執着を更に放下するようにしました。

 (4)学法と煉功を通じて業を滅し、外へは求めない 

 修煉を始めた当初、私は法を多く学んでいませんでした。学校で風疹(ふうしん)が流行したとき、私にも風疹の症状が現れたため、自分も罹ったと思いました。それが病気だとは思っていなかったため、病院にも行っておらず、薬も飲まなかったものの、それが業力を滅しているのだとも考えていませんでした。修煉すれば保険をかけたかのように、師父は私が病気や災難に遭わないように保証してくれるのだと誤解していた私は、家にある大法の本を全部取り出して、本にある師父の写真に向かって、早く治してくれるように師父にお願いしました。

 その後、絶えず学法し心性も高まっていくにつれ、私は人間がなぜ病気になるかが分かりました。常人は業力を返しているのに対し、煉功者は業力を消去しているのです。それ以降、似たような状況が再び現れると、私は師父に業力を消去して下さることをお願いするのではなく、自ら積極的に法を学び、より多く煉功を行うようにしました。

 ある日、かなりの高熱を出した私は、業力を消去しているのだとすぐに気づき、起き上がって煉功することにしました。「佛展千手法」の3回目が終わらないうちに、服が汗でびしょ濡れてしまい、体温も平熱に戻りました。

 (5)起きなかった交通事故

 去年の夏休み、私は母と一緒に親戚を訪ねて承徳市に行きました。車は密雲区を通過して、くねくねした山道を登っていくとき、対向車線の大型トラックが中央線をはみ出して、私たちの車に向かってきました。当時、私と母はそれぞれ『法輪功』と『轉法輪』を手にして読んでいました。大きなブレーキ音と共に、ある力によって車が止められました。

 車の後部座席に積んでいた荷物が前に飛んでいきました。私の頭は前列の座席の背もたれにぶつかり、足も座席の下にはまってしまいました。車に乗っていた人たちは皆、呆然としていました。

 しばらくしてから、誰かが「車がぶつかっていないか調べてみよう!」と言いました。

 不思議なことに、今にも車が衝突しそうなところでしたが、車から降りて見てみると、車同士は50センチしか離れておらず、交通事故は起きていませんでした! 車内で皆は困惑していましたが、私と母だけが分かっていました。李先生の法身による保護がなければ、私たちは無事でいられなかったはずです。車に乗っていた人たちも私たちと一緒に恩恵を受けました。そう考えながら、私たちは再び『轉法輪』を開き、先生の慈悲深い顔を眺めながら、より一層親しみを感じました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/1999/7/14/144602.html)
 
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