面と向かって真相を話す中で内に向けて探す
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文/遼寧省の大法弟子 

 【明慧日本2022年4月4日】明慧ネット3月10日付の「面と向かって真相を話す上で向上した事についての交流を希望する」という同修の文章を見て、私が真相を伝える中で体験したいくつかの事を書き出して、同修と交流したいと思います。

 一、協力し合うことの大切さ   

 ある同修と農村へ真相を伝えに行った時のことです。畑仕事をしている女性を見かけたので、私と同修は彼女の方へ近づいて行き、時候の挨拶をちょっと交わした後、私はすぐに本題を話し始めました。いくらか話し始めたばかりの時、突然後方からやって来た若い男が大声で喚き、私達2人を追い出そうとし、出て行かないと通報するぞ、と言いました。私達はそこを離れた後、私はまず話をするのは後にして、交流できる場所を探してからまた話しましょうと言うと、同修も同意しました。

 私は、「私が先程話していた時、どのように思いましたか?」と聞きました。

 同修は、「あなたは比較的話をするのが上手だと思いました。私はあなたがどのように話すのかを聞いて、学ぼうと思いました。その間、私が思ったのは、大事なのは言うべきでない言葉かどうかではありませんか、それによって彼女は聞きたくなかったのかもしれません」と言いました。

 私は、「私の考えはあなたとはちょっと違います。私はあの時私達2人は邪悪を取り除いていたと感じました。2人が一つにまとまって、あなたが話す時、私は発正念をし、私が話す時あなたが発正念し、お互いに加持していれば、話の良し悪しは関係ありません。私が話すことは法に対する私の理解で、あなたが話すこともあなたの法の理解です。私達の理解は違うかもしれませんが、法に則ってさえいれば、お互いに協力すればいいと思います」と言いました。

 彼女は、「その通りですね」と言いました。

 交流を終えて、私達は真相伝えを続けることにしました。畑仕事をしている老夫婦に出会い、ドアの側には打ち上げ花火が並べてありました。私は、「おめでたい事がありましたか?」と聞きました。彼らは、「息子が結婚したところなんです」と言いました。私は、「おめでとうございます、あなた方におめでたいことが重なって訪れましたね」と言いました。彼らは、「他に何かおめでたいことがあるんですか?」と聞きました。私は「私はおめでたい話をさしあげるために来たのではありませんか?」と言い、この老夫婦に法輪功の真相を話すと、彼らはとても喜び、私達に水をついでくれようとし、ご飯を食べて行くように言いました。何度も何度も、「ありがとう、ありがとう、こんなに遠い所から来て私達にこの事を教えてくれて」と言いました。

 その後同修は、「今回、私はあなたの話を聞かないで、発正念をしました。最後までずっと発正念をしていました。その効果がこんなに良いとは思いませんでした。やはり協力が上手くできたからですね」と言いました。

 私は、「さっきは話す内容を考える必要がない感じでした。口が勝手に動いて、出てきた言葉に今考えても驚いています。言葉の一つ一つが法理にあっており、私は話しながら心の中で聞いていました。私達はこのようにお互いに協力できましたね」と言いました。

 しばらくして、私は内に向けて探してみました。他の人が私のことについて話すのが上手いと言うのは、私に顕示心があることを物語っているということです。時々、三退させることができた時は得意になることもあります。自分は話が上手いと思い、他の人が認めてくれない時は心の中で喪失感が芽生え、さらには名を求める心もあります。今日どうして言葉が出てきたのかを考えませんでした。実は、みな師父が智恵を与えてくださっていたのです。それは大法の力であり、私達が協力し合えたからです。法の要求に符合したためで、法の現れなのです。今後、真相を伝える時には顕示心に気を付けて三退の話をします。私は心の中で「師父ありがとうございます、これは私が話したのではなく、大法の威徳です」と言いました。

 二、党文化の「相手を差別する心」を取り除く

 私が売店のドアを開けると廃品回収の人がいました。私は彼女の事を「お姉さん」と呼んでいます。私は彼女にどんな天気の日でも毎日会います。時には、彼女に私の店の中に入るよう促します。知り合いになった後、私はすぐに法輪功が迫害されている実態を話しました。しかし、彼女は三退に同意せず、態度も表明しませんでした。何度話してもいつも同じ態度でした。私は、彼女は私が渡した真相の本を読んでいないと思い、(彼女もそう言いました)、聞いても分からないようなので、もう話さないことにしました。

 しかし、彼女はほとんど毎日やって来て、私はだんだん面倒に感じるようになりました。なぜなら、彼女の身体から臭いがして、彼女が帰った後、店の中に臭いが残るからです。 

 しばらく時間が経ってから、私は今までの事を振り返ってみました。彼女は法輪功とは何かを聞きに来たのではないでしょうか? 私に人心があったため、彼女が救われることが引き延ばされたのではないでしょうか? このことが分かって自分でも驚きました。真相を伝えない時にはとても親切にし、他の人に話しても認めてもらえなければ、あの人は教養がないと思い、彼女のことも相手にしたくなくなりました。このように感情的になっていいのでしょうか。彼女の身体が臭うのを嫌い、彼女をばかにしていました。それは党文化の「相手を差別する心」であり、人を見下すことも嫉妬心です。

 私は、心を修めこのように人に害を与える党文化を取り除く決心をしました。生命は平等で、貴重なものなので、みな慈悲をもって接するべきなのです。私は心の中で師父に申し上げました。「どうか師父ご安心ください。今後、私は生命を尊重致します。明日私は最初から彼女に話したいと思います」

 彼女が来ると、私はまた一通り真相を話しました。彼女が今回このように同意してくれるとは思いませんでした。一瞬ですが顔がほんのり赤くなり、まるで違う人に見えました。彼女は多くの質問をし、私は辛抱強くそれに答えました。彼女は、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」を必ず念じます、と真面目な様子で言いました。

 次の日、彼女はやって来てこう言いました。昨日の夜私は顔を洗って歯を磨いた後、オンドルの上で坐禅を組んで、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」を長時間念じました。薬を飲んでから寝ようとして、ふと私も佛様を信じるようになったのだから薬を飲む必要がないのではないかと考えて、睡眠薬を飲みませんでした。その結果、とても良く眠れました。私は長い間睡眠薬を服用していました、と彼女は言いました。

 彼女の身に多くの奇跡が現れ、ここではもう話しませんが、彼女が大法の本を護ろうとしたことを少し話そうと思います。

 彼女は廃品回収の仕事を通して多くの本を手に入れました。その中から6冊の本を選んで私にくれました。彼女はこれらの本が大法の本であると堅く信じていたと言います。彼女は字が読めませんでした。しかし、私が彼女に見せたある法輪の図を覚えていました。これら数冊の本を見て買いたいと言う人がいましたが、彼女は売らないと言いました。その人は彼女が高い値段で売りたいのだと思ったようで、値段はいくらでもいいです、と言いました。しかし、彼女はこれらの本には値段がありません、いくらであろうと売りません、と言いました。見るとそれらは本当に大法の本でした。彼女はこれら数冊の本を私にくれました。彼女の行いは私を驚かせました。なんと彼女の悟性は良いのでしょうか!

 この事を書き出したことで、同修も目覚め、私達自身の党文化を修煉によって取り除くことを重視しなければいけないと思いました。

 その後も彼女はやはりいつものように私の所にやって来ましたが、私は彼女の臭いを気にしなくなりました。

 三、色欲の心を取り除く  

 ある日、店に定年退職者らしき男性がやって来ました。彼に法輪功が中共に迫害されていることを話すと、彼は三退し、嬉しそうに帰って行きました。現在はみなWeChatで支払いをしますので、WeChatの顧客を増やさなくてはなりません。数日後、彼は意外にもまたやって来て、私と外地で数日間一緒に住まないかと誘って来ました。私は驚いてきっと私に問題があり、これは衆生を駄目にするのではないだろうかと思い、すぐに内に向けて探しました。

 鏡を見ながら、媚びた笑いをしていないかどうか見ましたが、そんなことはありませんでした。不適切な言葉遣いもしていません。数日間、どこに問題があるのか探してみても見つかりませんでした。彼は毎日「あなたのことを考えています」とメールをして来ました。

 私は心を静めて、彼が店に入って来た時からの自分の一思一念を探し、あたかも再現フィルムを見るように、原因を探すため間違った念がないかどうかフィルターをかけて見ました。彼が初めてやって来た時の瞬間の画像を一時停め、その場面を観察してみると、この時、私はこの人に対して「すぐれた気質をもっている」と感じていました。常人の言葉で言えば「職業病」です。長年商品を販売しているため、品物を買うかどうかすぐに勘が働き、それが習慣になっていました。これは「人を差別する」というとても単純なことだけではなく、「彼がすぐれた気質をもっている」と感じたこの念は色情の心です。

 そこで、私は詩を一首書くことにしました。紙に一筆一筆書き、書きながら正念を発しました。すべての功能が一筆一筆に入り、衆生を迫害する悪のすべてを解体しました。およそ7、8回書くと、横になっていたものが縦にまっすぐになった感じがし、叩くと邪悪はいなくなりました。これ以降邪悪は消滅されました。

 表現では、私達は真相を話していますが、もし私達が形だけに囚われてしまうと、党文化の「形式主義」に騙されることがあります。真相を話す時、私達は正念を発することを忘れてはいけません。私は基本的に話しながら正念を発します。個人的な悟りですが、実はこのようにすることは邪悪を取り除くための一つの過程であると思っています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/16/440098.html)
 
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