文/北京の大法弟子
【明慧日本2022年4月5日】私の母は80代で、軍の関連部門を定年退職し、現在は離婚した妹と暮らしています。50代の妹はある企業で働いており、子供も病気のため学校を中退して家にいます。母は数年前から、妹の郊外の一戸建て住宅に同居しています。妹は出張が多いため、高齢の母に病気の子供と大きな家の管理を任せていることに不安があり、お手伝いさんを雇うことにしました。
母は法輪大法を修煉してから、真・善・忍に従って自分を律し、他人のために考え、トラブルに遇った時相手に譲るようになりました。最初、母は自分で家事をこなせると思い、お手伝いさんを雇うことに反対しましたが、外で働く妹を安心させるために、妹の意見を尊重して同意しました。
妹はお手伝いさんに家全般の清掃、買い物、食事の準備、それに犬の散歩などを任せました。しかし、お手伝いさんが来てから、母は生活のリズムが一気に変わったと感じました。お手伝いさんは60歳近い田舎の女性で、学校に通ったことがありません。せっかちな性格で、声が高く、他人の意見を受け入れない傾向もあります。彼女は自分の話によると、若い頃から外に出るのが好きで、結婚後、夫は家のことをし、彼女は出稼ぎをしていて家にいないのですが、家の大きなことはみな彼女が決めていたそうです。それに対して、母は生涯教育に携わっており、何をしても真面目で丁寧な性格でした。このような二人が一緒になると、トラブルが発生しないわけがありません。
母はお手伝いさんの雑な仕事ぶりが気に入らず、何でもやり直さなければなりませんでした。また、お手伝いさんは家電製品の使い方をなかなか覚えられず、いくつかの家電製品を壊してしまい、母のお気に入りのガラス製品を割ったこともありました。ある時、彼女はうっかりして、通電状態のヒーター棒をフローリングの上に放置して、床とその横にある木製のソファーの脚を焦がしてしまいました。スーパーで野菜を買う時も選り好みし、硬い葉っぱをその場で取り除いて捨てています。今まで建設現場の作業員が食べる大鍋の料理しか作れないため、彼女の料理はとてもまずいのです。特に、母は毎日トマトが欠かせませんが、酸っぱいものが嫌いなお手伝いさんが来てから、母はトマトを食べることはありませんでした。少し注意すると、納得がいかず、すぐに言い返しました。
トラブルが多くなるにつれ、母の忍耐も限界に達し、毎日怒りがちでした。大法弟子として、「忍」を修めなければならないと分かっていましたが、とても抑え切れず、落ち着いて話すこともできなくなり、穏やかな表情も消えました。それにしても、母は「どんな時でも喧嘩をしてはいけない」と自分に言い聞かせ、ひたすら我慢していました。
私は妹と別の地域に住んでいるため、年に1回か2回しか妹の家に行くことはありません。お手伝いさんが来て、私は初めて妹の家に行った時、母は「もうこのお手伝いさんは使いたくない、疲れすぎた」といろいろ不満を漏らしました。私は妹の家に数日間滞在し、お手伝いさんと共に家事をする中で、静かに様子を見ていました。その後、私は母に「このお手伝いさんは正直で、ある程度の伝統的な美徳を持っています。私が遠くから来た客だと思い、いつも新しい料理を作り、残り物を食べさせませんでした。夕食の後、ソファーに座るのではなく、わざわざ小さな腰掛けを持ってきて、そこに座って私たちと丁寧に話をしてくれました」と言いました。
大法弟子として、私と母は大法に則って交流し、師父のお教えに従って行なうべきだと思いました。つまり、トラブルの中で、相手の欠点を探すのではなく、相手を鏡として自分自身を見つめるべきです。話を通して、母は「私はいつも彼女に、私のように働いてほしいと望んでいて、それができないと、気に入らなくなり、彼女の具体的な状況を理解しようとせず、彼女の欠点ばかりを見ていたため、彼女の良いところに気付かなかった。要するに、自分の心の容量が小さい。実は、修煉する前、私も彼女のような欠点がたくさんあったが、修煉して少しずつ取り除くことができ、修煉していない人に求めてばかりで、自分こそ、真・善・忍の基準から遠くかけ離れている!」
「お手伝いさんが急に来たことで、私はなかなか慣れなくて、毎日些細なことで心が乱され、心を静めて学法することができなかった。環境が変わると、求められることも異なり、自分の忍耐力と包容力を高めなければならない。これこそ大法弟子のあるべき姿だ!」と言いました。
第三者である私も部外者とは思えません。「なぜこのようなトラブルを見聞きさせられたのか? 自分にも同じような問題があるのではないか? 他人のことを鏡として自分を照らし、さらに高める必要がある」と反省しました。
私は母に「私たちはこれから、修煉者であることを自覚し、真・善・忍の基準で言動を律し、他人のあら捜しをせず、自分の悪いところだけを改めましょう」言いました。交流のあと、母に笑顔が戻り、自分の感情を抑えることができるようになりました。思い通りにならないことがあっても複雑に考えず、お手伝いさんを尊重し、自分のやり方でやらせました。不意に物を壊してしまっても責めず、できるだけ彼女を理解するようにしました。また、自分で布団を畳んだり、下着を洗ったりして、お手伝いさんに余分な面倒をかけないように心掛けていました。時には自ら料理を作って、味を変えました。母は思いやりを持って彼女に対して娘のように接し、良いところを褒めてあげました。母は「私も子供の頃は、田舎の学校に通い、田舎の食事がとても懐かしい」と言いました。
お手伝いさんの眼差しから喜びと少しの驚きが見えました。母の態度が180度変わったことに、彼女はまだ理解できていないようでした。
一般の家庭なら、このような場合では対立がエスカレートすることが多く、お手伝いさんが辞めるか、それともお手伝いさんを解雇するか、たいていこのような結果となります。しかし、大法弟子の家ではそんなことは起きませんでした。長女の私が来て、火に油を注ぐのではなく、火を消すことで、母も優しくなりました。お手伝いさんは上手に表現できませんでしたが、ただ「お姉ちゃんは素晴らしい、素晴らしい!」と何度も言ってくれました。 本音で言ってくれているのが伝わってきました。
「私たちは法輪大法の修煉者で、師父が私たちに教えてくださいました」と、彼女に伝えるべきだと思いました。
その後、母はお手伝いさんに「誠実で、善良で、寛容を持って譲り合う人こそ、本当の良い人です。私はできるだけ『真・善・忍』に従い、良い人になろうとしています」と言い、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を唱えることで、災害や困難から守られると伝えました。彼女は母の話を聞いて賛同しました。それ以降、彼女は母を警戒しなくなり、精神的にとてもリラックスするようになりました。2人はよく話したり、笑ったり、和気藹藹で仲良くなりました。彼女は、自分の母が亡くなり、私の母を自分の母のように思っていると言い、私の母を「おばさん」と呼び、私のことを「お姉さん」と呼んでいました。
しばらくして、また妹の家に行ってみると、お手伝いさんはわざわざ田舎の名物料理を作ってくれました。食べきれないものを丁寧に包んで「電車の移動で疲れているから、これを家に持って帰って温めて食べて、早めに休んでください」と言ってくれました。
去年の年末に、私はまた家を訪ねた時、彼女に「私は法輪大法を修煉してから、とても健康になり、20年以上薬を飲んだことはありません。修煉後、私は心が広くなり、短気な夫も包容するようになりました。しかし、中国共産党は虚偽、悪、暴力で政権を維持するために、真・善・忍を修める大法と大法弟子を迫害し、さらに学習者から生きたまま臓器強奪を行い、高額で売買し巨額の利益を得ています。このような悪事を行う中国共産党について行くと、天罰がくだされることになります」と、はっきり伝えました。
彼女は目を大きくして驚いた様子で、真剣に聞いていました。
私は「昇進や金儲けのために大法弟子を密告する人もいますが、それは自分を害する愚かな行為になります」と言うと、彼女はすぐに「そんなことをするはずはありません!」と言いました。
この間、母から電話がありました。ある日、母は用事で出かけ、乗る予定のバスが目の前の停留所に到着したのを見て、それに乗ろうと走った結果、足首をくじいたのです。バスに乗って座ると足が痛くなり、「用事があるのに、歩けなくなったらどうしよう?」と心配しました。その時、自分は大法弟子であることを思い出し、すぐに師父に助けを求めました。それから何も考えず、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を繰り返して唱えました。バスから降りた後、普通に歩いて用事を済ませました。翌日、ふと足首が捻挫したことを思い出し、確認したところ、足が赤くなったり腫れたりすることもなく、何も起こらなかったようでした。心からの九文字を唱え、師父が守ってくださったと分かりました。母親はお手伝いさんに「必ずその心からの九文字を忘れずに唱えてね! 本当に効きますから!」と言いました。母の出来事を聞き、彼女はその奇跡に感心し、喜んでくれました。
先日、電話で母と話したところ、お手伝いさんが大きく変わったと聞きました。「彼女は以前より家事を丁寧にするようになり、片付けも上手になり、料理もうまくなった。それから、頭も良くなって、たくさんの事を覚えるようになった。私たちは冗談も言ったり、毎日が楽しい。今、彼女はたまに休みを取って家に帰ると、自分の家が汚くて、どこを見ても気に入らないから、すぐに戻って来たいと言っています。嫁には『姑は外に行って、レベルが高くなった』と言われて、喜んでいるそうだ」と言いました。
法輪大法の輝きと暖かさが彼女に自信と幸せを与えてくださった、と私と母親は分かっています。