文/純清
【明慧日本2022年6月14日】私は大学で教師をしている大法弟子です。私は一男六女の七人兄弟の末っ子です。母が先日97歳で亡くなりました。母の唯一の息子と息子の妻は母より先に亡くなったので、葬儀は孫が執り行いました。
母は農民で収入がなく、姉妹6人の中で私だけが固定収入がありました。私は法輪大法を修煉してもう24年になります。師父はいつでもどこにいても人のために考えて「無私無我」[1]の人になり、完全に人のために行動する良い人になるよう修煉すべきだと教えて下さいました。姉たちと甥に配慮して、私は葬儀の全ての費用を負担すると言いました。
私たちは葬儀当日に友人や親族からもらったお金は全部甥に与えると決めました。
私の娘と義理の息子は、葬儀が行われる前に弔問しました。義理の息子は私に気持だと言って6000元をひそかに渡してくれました。私は、「農村での葬儀は無駄遣いばかりで、自分がたくさんお金を使わなければならないから、この6000元は誰にも言わず、目録に記入せず、甥に持っていかれないように、自分のお金にしよう」と考えました。
その日の夜、寝る前枕元のかばんの中に入っている6000元を見て急に考えが変わりました。このお金は娘と義理の息子からの、私の母親に対する親孝行の心と敬意であり、娘夫婦の誠意と善良の表れです。私が誰にも話すことなく、自分のものにしようとするのは、2人の子供たちの善良を隠すことになるのではありませんか?
そこで私は、次の日にこの6000元を甥とほかの親族たちに公開して、葬儀の日に目録に記入することに決めました。このことを広範囲の人に知らせ、年寄りに親孝行をしない大人や子供の心が揺さぶられるようにするべきだと思ったのです。
母の葬儀の当日、目録には私が1万元を出し、娘と義理の息子が6000元を出したと記入されました。このことは村でとても大きな反響を引き起こしました。みんなは私が親孝行の良い娘で、私の娘と義理の息子は親孝行の良い孫だと褒めました。
毎回このことを思い出すと安らかな気持ちになります。自分がやっと大法の道を正しく歩み、師父のおっしゃった「法は一切の執着を打破することができ」[2]という法理の通りになっていると感じ、「実修」の意味を深く考えさせられました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」