【慶祝513】千載一遇の機縁に師父の恩を思い出す(下篇一)
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 【明慧日本2022年6月17日】(前文に続く)

 四、天津第2期功法伝授クラスに参加した体験

 1、師父は言葉だけでなく、模範を示しておられる

 1994年3月、私は天津で開催された第2期功法伝授クラスに参加しました。古い学習者の入場料はわずか25元でした。当時、天津第1期功法伝授クラスに参加した一部の北京の学習者は、第1期のクラスが終わった時点で第2期のチケットをすでに予約しましたが、開講直前にチケットが届きました。その日、届けられたチケットを見ると、まるで誰かが選んで残ったかのように、座席番号はすべて後ろの席で、しかもバラバラになっていて、中には演壇から遠く離れている2階席もありました。早くから予約したチケットは最前列のはずで、チケットの番号に疑問を持つ他の学習者の声も耳に入りました。

 私は「功法伝授クラスの開催を待っていたのに、師父の近くで聴くことができない」と思って、少し納得できない部分もありましたが、その瞬間「第1期功法伝授クラスにすでに参加したのに、何でこれぐらいのことにこだわるのだろうか、どこでも聴くことができるから大丈夫」と考え直しました。そこで、数枚のチケットの中から2階の最後の列を取りました。このクラスでは、私はずっと一番遠いところで聴いていました。クラスの終了に向けて、目を閉じて第五式の静功を習っていた時、ひそひそと話しているのが聞こえてきたので目を開けると、師父が2階の前の通路に立っておられるのが見えて驚きました。2階の席の列が少ないので、師父は私たちのすぐ近くで、後ろの列の私たちに微笑んでおられました。「師父は何でも知っておられるのだ!」と、とても嬉しくなりました。同時に、本当に「放下」できた意外な喜びも体験しました。

 2期クラスでは、ある日曜日の授業は昼間の時間帯に行われました。普段、いつも夜の時間帯に開催されていました。その後、同修が書いた師父の恩を思い出す文章を読んで、師父は昼間働いている学習者を配慮して夜のクラスを用意されたのだと分かりました。本当に、師父に感謝いたします! その日、私たちは早めに講堂の外の中庭に着きました。ほどなくして、師父はスタッフたちと一緒に来られて、中庭の入り口の近くで立ち止まられました。私も師父から数メートル離れた入り口の脇に立っていました。学習者たちは師父を見て、どっと師父のそばに集まり、その日には師父と学習者の記念撮影も予定されていました。師父が毎日どれだけ忙しく、どれだけ休む時間がなかったかと、スタッフが話しているのを聞いたことがあります。こんなにたくさんの学習者と一緒に写真撮影することは、どれほど大変だろうと思って、私は動きませんでした。心の中では「もしかしたら、天上で師父に会えるかもしれない」と思いました。突然、後ろへ押されたような力を感じた私は、びっくりしました。師父の方を向いて見たら、師父は学習者の話を聞いておられました。自分はそこに立つべきではないと思って、静かにその場を離れました。後日、師父が「私はあなたの顔を見なくても、功がすでに届いています」、また「良いエネルギーは後ろへ押される力があります」と説法された時、師父は良いものを与えて下さったのだと分かりました。

 当時、私は母に写真を撮らないようにと言ったので、母も写真を撮らなかったのですが、他の学習者が師父と写真を撮っているのを見てずっと羨ましく思っていました。当時、母はすでに退職しており、講習クラス開催中に現地のホテルに滞在していました。後日母と会った時、母は「師父が私たちと写真を撮ってくださったよ」と興奮して教えてくれました。母の話によると、その日の授業の後、母が親しい同修を待つために、一番後ろを歩いていました。その時、師父が突然横に現れ、「写真を撮りたいですか?」と聞かれました。皆は「写真を撮ってもいいですか?」と聞くと、師父はとても喜んで受け入れて下さいました。カメラを持っている学習者にお願いして、数枚撮ったそうです。これが師父のおっしゃった「求めずとも自ずから得る」[1]だと思います。

 2、功法伝授クラスにおける妨害

 2期の講習クラスに参加したとき、北京の学習者は日帰りのバスを借りて午後から天津に通っていました。2日間連続して、バスが故障して運転手が修理するのに時間がかかり、家に着いたのは夜中になってしまいました。ある日、講義に向かう途中でまたバスが故障し、修理に時間がかかってしまい、講義に遅刻してしまいました。

 「バスの状態が良くない」とか、「運転手に問題がある」という学習者がおり、「講習会に来るべきでない人が乗っている」という学習者もいました。私はこの状況について、どう悟るかはまだ分かりませんでした。その日、私たちは静かに講義を聞いていた時、突然奇怪な叫び声が聞こえ、それから賑やかな泣き声に変わりました。師父は講義を中断され、スタッフに彼女を連れ出すように言われました。2階から見下ろすと、座席で身震いして泣いている人がいて、私たちと同じバスで来た人だと言われました。師父は講義で「北京の学習者はなぜバスが壊れて、みんな講義に遅れたことを悟るべきです。それは妨害です……」と言及されました。師父が啓示されたので、私ははじめて憑き物の存在と、魔の妨害を実感しました。師父が説かれたことはたとえ見えなくても、すべて真実だと確信しました。

 私は仕事柄、新聞に触れることが多いのですが、ある日、ある新聞に小さなブロック記事があり、実は法輪功を批判しているのを目にしました。記事の作者は師父の講義に参加したことがあり、法輪功は科学に符合していないと言っていました。このような良い功法に異論を唱える人がいるわけがないと、不思議に思いました。当時、私は講習クラスに通っていたので、その記事を切り取ってスタッフに見せました。その時、「このような人を講義に参加させてはいけない」と思いました。

 五、済南第2期功法伝授クラスに参加したときの不思議な出来事

 1994年5月、公安講堂で行われた師父の講演会に参加し、その時の映像の一部が教材ビデオに収録されたのです。

 1994年6月21日、私は済南で行われた第2期クラスに参加し、再び師父にお会いすることができ、師父の説法を聴くことができました。

 1、夏の暑さが涼しさに変わる

 済南第2期クラスは山東省済南市の皇亭体育館で開催され、全国から4000人以上が参加しました。多くの同修が師父の恩を思い出す文章の中で、扇子で扇ぐことに言及しましたが、私も鮮明に覚えています。

 6月下旬の済南は本当に暑くて、7月の北京のサウナのような日々でした。 当時の体育館には冷房設備がなく、体育館の座席は段差式になっているので、私は師父の演壇から遠く離れている後ろの高いところに座っていました。最初は師父の講義をじっくり聴いていたのですが、いつの間にか目の前で扇子を上下に揺らしているのに気を取られ、「普段、会議に出席するときでも迷惑な動作をしてはいけないのに、師父はこんな暑い日に説法されているのに、なぜ聴く側は扇子で扇いでいるのだろう。師父に大変失礼ではないか」と思っていました。

 左側に座っている母親と、右側に座っている女性も扇いでいたので、私はその様子を見ていて、自分がよそ見をしていることに気づきませんでした。その時、師父が「扇子で扇いでいる学習者は置いた方がよいのではないですか、暑いということは良いことではありませんか」と注意されました。私は慌ててすぐに講義に集中しました。しばらくして、扇子を使うのをやめた母親の方はとても涼しくなった気がしましたが、右側は蒸し風呂のように熱く感じました。しかし、右側の女性はまだ悟らず扇いでいました。

 その後、さらに驚いたことがありました。日中は講義を受け、済南青年技術センターの寮で休んでいました。済南の夜は特に暑く、蚊がたくさんいました。黙々と奉仕してくれる学習者が多くおり、ボランティアで各部屋に水をかけて蚊取り線香を置いてくれますが、それでも暑くて眠れない人もいるほどでした。あの日、ふと西遊記の孫悟空を思い出しました。当時、私が知っている中で最も神通力があるのは孫悟空でした。心の中では「師父も孫悟空のように雨を呼んで済南を涼しくして下さらないかな(実は不敬な考え)」と思いました。その結果、翌日には本当に雨が降り、それまでの暑さと変わって涼しくなりました。私は師父の限りない能力に驚き、深く感動しました。

 2、歓喜心が生じた

 初めて法を得た時、私は喜びに溢れました。師父に出会うことができ、こんなに素晴らしい大法を学べたことに毎日幸せを感じていましたが、大法をよく理解しておらず、常人の状態に符合することが分かりませんでした。当時、まだ若くて、修煉する前には服装に気を遣っていましたが、大法を学んだ途端、芸術作品に登場する僧侶の姿を思い出してしまい、身なりを重視しなくなり、話も同僚に理解されなくなりました。同僚たちはみな、私が煉功してから別人のようになり、変になったと思い、私とあまり話をしなくなりました。「お寺に行けばいいんじゃない」と言う同僚もいました。

 済南功法伝授クラスの休憩時間に、同修にこの話をしました。講義の後半で師父が厳粛に次のように説かれました。

 「つまりこうして嬉しくなったがために、必要のない歓喜心が生じてきます。そのため彼は形の上でも、常人社会の人と人との付き合いの中でも、常人の社会環境の中でも、常軌を逸することになります。これではいけないとわたしは言っておきます」[2]

 師父はまた、「修煉の他の方面と過程の中でも、歓喜心が生じないように気をつけてください。この心は非常に魔に利用されやすいのです」[2]と説かれました。

 その後に、自分が理知を失ったことが原因で、常人の状態に符合して修煉しておらず、多くの妨害や取り返しのつかない損失をもたらしました。その教訓は深刻なものでした。

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/21/443903.html)
 
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