【慶祝513】千載一遇の機縁に師父の恩を思い出す(上篇二)
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 【明慧日本2022年6月15日】(前文に続く)

 三、天津第1期功法伝授クラスに参加した体験

 1、超常な功法

 初めて李先生の功法伝授クラスに参加した時、私のように気功を煉ったことがなく、中共の無神論の支配下で伝統文化の思想を失った人間は、本当に心身の生まれ変わる過程でした。開講の初日に、師父が私の体を調整して下さり、私の身体は非常に軽やかになりました。2日目に師父が天目について説法される時、自分の天目に小さな回転するものがあることを感じ、それは毎日そこで回転していました。何日目のことか忘れましたが、私は突然説法される師父の身体から無限の光が発し、特に師父の頭の光が屋根まで突き抜いたのが見えました。心の中では疑いながらも「これは佛ではないか?」と思いました。

 師父は2日目には、「今日から、身体中寒気がして、ひどい風邪を引いているかのように骨まで痛く感じる人がいますが、多くの人は足が痛いとか、めまいがするとか、身体のどこかが具合が悪いと感じるでしょう。今まで、他の気功をやって完治し、あるいはどこかの気功師に見てもらって治ったと思う病気は、今後再び発病します。それは実際その病気が治ったわけではなく、先送りされただけで、当分は発病しないが将来発病するように、そのままそこに残っていたからです。われわれはそれを全部掘り出して、追い出してしまい、徹底的に取り除いてあげます」[1]と説かれました。

 その時の私には、師父の言われた症状が全て出ていて、足の痛み、頭痛、風邪のような寒気、そして昔の「出血」は奇跡的に治ったものの、生理はいつも不順で2、3カ月に1回来ることが多くありましたが、すべてが講習クラスで師父に調整していただきました。今60歳近くになっても生理が通常通りあります。

 初めての参加で、師父の説法を聴くのも初めてでしたが、些細なことも含め、分からない時、説法の中で師父が適時に回答して下さいました。たとえば、師父が「法身」の話をされたとき、私は法身が影のようについてくると思っていたので、トイレに行くのがどんなに不便だろうと思いました。すると、師父が「彼がずっとあなたの後ろについて行くようなことではありません」と話されました。師父が煉功の動作の話をされたとき、当時おしゃれが好きだった私は、煉功のときはおしゃれな服を着ないほうがいいのかなと考えました。そのとき、師父は「煉功の時はなるべくゆったりした服装をして下さい」と説法されました。

 当時は、「師父」という尊敬する呼び方を知らず、いつも「先生」と呼んでいました。他の学習者が「師父」と呼ぶのを聞いて、工場や食堂の「シェフ」のことだと思っていました。ある日、授業が始まる前に、修煉者たちは皆、講堂の外にあるラウンジに行って交流していました。自分は新しい修煉者ということもあり、講堂の入り口にある植物のそばで一人で授業が始まるのを待っていました。ふと、師父が外からラウンジを通り歩いて来られるのに気づき、すれ違ったときに、私は小さい声で「李先生」と呼びかけました。師父は立ち止まられ、ゆっくりとこちらを向いて何も言わずに、厳粛な表情で片手を胸の前に立てられました。私は当時どうしたらよいか分からなくなり、挨拶を返そうと思って、慌てて師父と同じように片手を胸の前に立てました。師父は何も言われず振り返って講堂に入られました。

 講習クラスの授業中、師父は「合掌は佛家の礼儀で、私は片手を胸の前に立てますが、あなたは私に対して片手を胸の前に立ててはいけません」と説法されました。

 みんなの笑い声の中、私は顔が熱くなり、穴があったら入りたくなるような気持ちでした。私のように修煉の基礎ができていない修煉者を相手にするとき、師父はどれだけご苦労をされるのだろうと思いました。

 続いて師父は道家の修煉の物語を語られてから授業を始められました。私は恥ずかしくて、物語の意味を理解することができませんでした。それから二十数年が経ったある日、自分がうまくできず、落ち込んだ時、この物語が頭に浮かび、ふとその意味がわかりました。私は、自信がつきました。

 功法伝授クラスでは、私はいつも泣いていました。授業が終わって自分のところに戻ってきたときに、感激せずにはいられない状態になり、胸が張り裂けそうになるくらい泣いたこともあります。泣きながら「一生懸命、あなたを探していました」と考えましたが、その時はなぜだか分かりませんでした。私は普段からなかなか涙を流さない人間で、両親からは「情が薄い」と言われていましたが、師父に会うと、思わず涙がこぼれました。授業中時々、じっと師父を見つめながら、どこかでお見かけしたような気がして頭の中で記憶をたどっていました。その時、法を得たばかりで、10代の頃、死にそうになって探していた本が、当時聴いていた法輪大法、つまり師父の著作である『轉法輪』だったとは想像もつかなかったのです。

 2、清らかな世界へ入る

 師父が9日間のクラスを開かれていた頃、新しい修煉者の授業料は僅か50元でした。当時、北京で行われた歌手のコンサートのチケットは数百元もしました。しかも師父は、言葉では言い表せないほどの偉大なものを、みんなに与えて下さいました。

 師父の功法伝授クラスに参加することは、世間のあらゆる乱れたものから切り離された清らかな世界に入ったようであり、師父の説法を聴くことは、甘露を飲み心が浄化されるものであったと感じました。もしあなたが怒りや恨みを抱いたとしても、師父の説法を聴けば、あなたの怒りや恨みはなくなるのです。もしあなたが人生は不公平だ、社会は不公平だと感じても、師父の説法を聴けば、すべての不平不満が消えるはずです。

 これらはすべて、師父が「多くの人間の乱れし事 重々なる恩怨を経歴す 心悪く、業大きく、望み無し 大法はすべての淵源を解く」[2]と言われたものです。

 師父は本当に、人々や社会に対して責任を持っておられるのです。クラスでは、拾ったものを持ち主に返す、黙々とトイレ掃除や衛生管理を手伝う、困っている新しい修煉者を積極的に助けるなどの善行が多く、クラス全体が平和で和やかな雰囲気に包まれていました。当時、「人間の心は鉄の如し実はそうではなく、佛法は炉の如し確かに炉のようである」という言葉がいつも頭に浮かんでいました。それ以来、彷徨っていた私の心には帰るべき場所ができ、困惑していた私の人生には希望が見えてきました。

 クラスの最終日には、師父は修煉者の質問に回答されました。その時、質問するつもりはありませんが、質問の中に、私が聞きたかった「母への愛は執着なのでしょうか」という質問がありました。私は母に対する情が深いのです。いつも母に優しくしてもらって、母に恩返しするためなら何でもしようと思っていたので、母に執着しすぎていないかと心配していました。師父は、「修煉者としての愛はもっと広くあるべきで、お母さんへの愛と同じように、世界中の人を愛するべきです」と答えて下さいました。師父の答えを聴いたとき、私は涙がこぼれ、師父の言葉がずっと心に響いていました。

 功法伝授クラスが終わり、私は大法の浄化された生命となり、今後どのように行動すべきかが分かりました。仕事では、自分を傷つけた人を許し、私利私欲のために争うことをやめ、社会では、自分を傷つけた人に復讐する気持ちを捨て、個人利益のために複雑な人間関係を保つことをやめ、家庭では、父親との関係を改善し、友人や家族に大法の素晴らしさを伝えました。トラブルの中、被害を受けている中、自分の利益を奪われる中で、「もし相手が自分の母親だったらどうするか」と考えるようになりました。当時、まだ修煉が足りなかった私は、母を愛する気持ちが当時の私にとって最も純粋な心であり、最も純粋な心で人に接し、無私の心ですべての人に優しく接するべきだと理解しました。

 以前、古人が書いた「天下の憂いに先立って憂い天下の楽しみに後れて楽しむ」、「吾が老を老として、以て人の老に及ぼし、吾が幼を幼として、以て人の幼に及ぼす」という良い文章を読むと、それが文人の願望であり、実現し難いものだと思っていました。しかし、師父の功法伝授クラスに参加してから、古書に眠っているすべての高徳は、法輪大法を修めることによって、それ以上に実現することができることを知りました。師父は私たちに良い人になるようにと教えられ、法輪大法は奇跡を起こしています。

 (続く

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「大劫を解く」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/21/ 442904.html)
 
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