文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年10月21日】(前文に続く)
4.当時の小さな神童の物語
私の家族は全員、法輪大法を修煉しており、1998年、母親が法輪大法の修煉を始めました。中共による大法迫害の後、母親は師と法を固く信じて、2回北京に陳情に行き、3回不当に家宅捜索を受け、7回不当に拘禁され、数日から1年近くも不当に拘禁されたことがありました。母親の前夫(私の父)は軍人で、迫害の重圧に耐えられず、巻き込まれることを恐れ、仕方なく母親と離婚し、家族はバラバラになりました。
私は大法を修煉する前、遠いところまで知れ渡った小さな神童でした。5歳半で小学校、6歳半で飛び級で3年生、8歳半で中学校に入学した私のことを、先生もクラスメートもみんな大好きでした。その頃、母親の目標は、私が中国科学技術大学の少年クラス(訳注:才能児教育として10代半ばの学生を受け入れる制度)を受験することでした。
中学に入学して2ヶ月後、私は法輪大法の修煉を開始しました。『米国法会での説法』の中で微笑む師父の写真を拝見して、すばらしいと思い、次の法輪の図形のページをめくると、四つの太極が回っていました・・・。今までたくさんの本を読みましたが、数冊の大法書籍を一気に読み、こんなにすばらしいものを見たことはありませんでした。『轉法輪』の中に説かれている功能は、私自身、天目が開いて宿命通効能を持つということを体験しました・・・。それ以来、私は大法書籍とともに成長してきました。
中共が法輪功を迫害し始めた後、私は北京に陳情に行き、普通の生活、学業、家族、父親を失いました。幼い頃、母親と一緒に連行され、洗脳班に連れて行かれ、集団で包囲され洗脳されました。父親が洗脳班に私を迎えに来て「煉功はしない」という誓約書を悪人が私に書かせようとし、それなら出て行きません、と私は言いました。腹立たしいことに悪人が私を追い出しました。どんなに苦しくても、強さと楽観性で持ちこたえてきた私は、地元の警察署の警官から「お嬢さん」と感心されました。
私の夫も中学生の時に法輪大法の修煉を始めました。夫はかつて出稼ぎ労働者の戸籍所在地に残された学齢期の子供であり、大法が彼の信念の支柱を支え、夫の知恵を開きました。大学入試では夫は600点以上を取り、重点院校に入学しました。大学時代には、夫は夜中に起きて煉功し、法を学び続け、信仰を堅持したために、中共から迫害を受けました。私たちは、信仰によって結ばれていました。
この数年、私たち家族は、南から北へ、そして北から南へと、同修から無私の助けをたくさん受け、明慧ネットの場を借りて、私たちに協力と温かさを与えてくれた大法弟子にお礼を申し上げます!
かわいそうな捨て子だった浄蓮は、奇跡的に生き延びて、きちんとした家庭と、浄蓮を愛する家族がいました。私たちの家は小さく質素で、浄蓮と浄蓮の妹は2段ベッドで寝なければなりませんでした。私たちは生活費を稼ぐのに必死で、浄蓮と浄蓮の妹はよくおばさんやおばあさんが持ってきた古着を着ていましたが、子供たちは健康で幸せで充実していました。浄蓮は学校に行けませんでしたが、法輪大法の中で知恵と知能を開花させることができました。浄蓮は、幼い頃から読み書きができ、教養があり事理に通じており、浄蓮はとても静かで、理解力があり、道理をわきまえており(他の人による評価)、浄蓮のすべては法輪大法のおかげであり、浄蓮の体験は法輪大法のすばらしさを証明するものでした!
(完)