【明慧日本2022年6月19日】(前文に続く)
3、会得したもの
済南第2期功法伝授クラスで、私は「師父は誰なのでしょうか?」という疑問がずっと残っていたのですが、他の学習者も同じように考えていたと思います。ですから、師父は済南の講義で「わたしは李洪志そのものです。決して釈迦牟尼佛ではありません」[3]とはっきりおっしゃいました。
私が読んだ限られた佛教の物語から、この時期には未来の弥勒佛が説法され人を済度することを知っていたので、「それでは師父は?」と思いました。その時、私の頭の中に「救世主は決して存在しない」という歌詞が浮かんできました(後で中共の歌だと知った)。「救世主」という三文字が出てきたとき、私の心が突然開けたような気がしました。「誰が救世主なんていないと言うのでしょうか、救世主はすでに来られたのではありませんか? 師父以外には誰がこんな素晴らしいことができるでしょうか」と思いました。
ある日、講義の合間の休憩時間に私は会場の真ん中でガードレールの外を歩いていたところ、会場の真ん中に立っておられた師父がちょうど振り返って私たちの前に来られました。師父は壇上にいた係の学習者に「録音しましたか?」と聞かれ、その学習者は「録音しました」と答えました。師父は「録音したら、持ち帰って聞くこともできます」とおっしゃいました。その時、私は師父のすぐ近くにいたのですが、抑制されたように師父に合掌するのを忘れてしまいました。師父に質問したかったのですが、頭が回転しなくなり、ただぼんやりと師父を見つめていました。師父は微笑んで話しておられました。その後、「録音したら、持ち帰って聴くこともできます」という言葉も、自分に言われたように感じました。北京に戻ってから、すぐ講義の録音を探し始め、ようやく済南での師父の説法録音テープを手に入れ、「毎日師父の説法が聴ける!」と、とても嬉しくなりました。
人生には四つの喜ばしい出来事があり、「長く続く干ばつに降る恵みの雨、つまり待ちこがれたものが手に入った時、故郷から遠く離れた場所でばったり旧友に会う時、新婚初夜を祝うこと、最も難関の試験に合格する時」と言われていますが、どれも大法を得たときの喜びにはかないません。次の物語もあります。ある男性が老道士のところに行って、どうすれば得道できるかと尋ねると、老道士はバケツで水を汲んできてくれと指示しました。男性はバケツで水を汲んできた途端、老道士は突然、男性の頭をバケツの中に押しつけ、男性が窒息しそうになったところで、老道士は男性の頭を放しました。そして男性に、「水の中で何を考えたのか」と聞きました。男性は「空気を吸いたい」と答えました。老道士は、「水の中で空気を吸いたいという心で修めれば、得道できる」と言ったそうです。
当時、師父の説法を聴いたとき、師父は私に新しい生命と比類のない貴重なものを与えて下さったことを知り、私は大法を大切にし、大法を尊敬し、大法が自分の生命よりも大事だと思いました。大法は、小さな自分を含む最高のすべてを作り上げられました。弟子は大法から離れることはできません。それは、生命が呼吸から切り離せないのと同じです。法を得た当初は、とても上達が早いと感じていました。
済南講習クラスの最後に、師父は体育館の全体を巡って大法輪を押し回されました。私は天目が見えないので、殊勝な場面を見ることができませんが、その時は感激のあまり、一生懸命拍手をしました。心が湧き立ち、舞い上がるようでした。師父は本当に私たちを高い次元へと導いて下さっています。そのとき、「この世界のすべてを持って、この大法と交換すると言われても絶対に交換しません」と思いました。伝授クラスの最後に、「このまま師父について行きたい」と名残り惜しさを感じました。
私は師父の3期の功法伝授クラスに参加しました。師父は毎回皆に体験文章を書くように望まれましたが、私は修煉の基礎が足りず、うまく書けないと心配し、書きませんでした。済南講習クラスの最後には書かなければならないと思いました。私の体験は、師父に自分の苦労や凸凹な人生を話しましたが、私が耐えてきた苦労が現世で法輪大法に導かれるのなら、私は喜んで受け入れると書いたのを覚えています。師父が私たちの身体を浄化され、ピカピカの黄金の法輪を与えて下さり、さらに天国への梯子を下さいました。師父は、人々を苦しみから救われる救世主だと感じています。より多くの善良な人々が師父の法を得られるよう願っています。
済南功法伝授クラスが終わって以来、私はずっと師父にお会いしていません。
六、修めて他人のための生命となる
1999年7.20、邪悪な江沢民集団は法輪大法と師父への誹謗中傷を繰り広げました。
私自身の立場から言えば、邪悪な中共に対して以前から嫌悪感を抱いていました。曾祖父は信仰のある裕福な資産家でしたが、中共が政権を確立すると同時に曾祖父の資産を没収しました。祖父と母方の祖父は国民政府に勤めたことがあるために投獄され追放されました。父親世帯の家族の中には政治運動で殺され、追放になった者もおり、「六・四事件」以降、私はこの偽善で凶暴な中共から離れたいと思うようになりました。しかし、法輪大法を修煉した後、私はすべての個人的な恨みや不満を放下しました。中共の江沢民集団が大法と師父に対して行った、悪質な中傷とでっち上げの罪名に直面しても、学習者たちは依然として中共政府を信じて、事実を反映させるために外に出て、執権者(江沢民を含む)が大法の真実を理解し、師父の名誉を回復し、大法の汚名を返上し、彼らの間違った判断を修正することを期待していました。
その間、私はとても悲しく、特に師父がずっと発言されておらず、どうなされているのか分からないので師父のことを懐かしく思いました。その時、毎日あらゆる圧力に直面していました。私に大法を放棄させるため、勤務先は特別チームを形成して毎日私を説得しました。彼らは世界各国の領事館のいわゆる非難ビデオを持ち込んで、まるで世界中が反対しているような印象を与えました。私は彼らに「世界中のすべての人が修煉しなくても、私は修煉します!」と言いました。勤務先の人たちは私がよく外出するのを見て、「一体何をしたいのですか」と聞いてきたので、「大法の事実を反映させるためです」と答えました。 彼らは「私たちに教えてもいいのですか? あなたの意見を直接上に反映することができるのです」と言いました。自分はそれもありえると思い、何と言っても上部レベルの部門ですから、私は、大法の健康増進効果や、国や国民にとって有益であることを伝えました。その後、彼らは本当に最高層の部門まで反映したのですが、返ってきた答えは、「あなたの反映したことは上にも知られているが、中国では『生き佛』の存在は許されない」というものでした。学習者はみな善良で考え方も単純なので、その言葉の裏にある殺人的な動機は、当時は想像もつきませんでした。
2000年3月、江沢民集団は北京軍事博物館で「科学と文明を提唱し、迷信と無知に反対する」というテーマの大規模な写真展を開催し、大法と師父を攻撃しました。私は見ていられなくなり、軍事博物館に行って大法を実証することを決めました。同修と一緒に行くことを約束しましたが、軍事博物館の入り口に着くと、同修の姿がありませんでした。どうしたらいいのか? 一人で行くべきか? 迷った末に、「行かなければならない、師父が罵倒されているのに、このまま何もしないでいいのだろうか? 刃の山でも火の海でも行かなければならない、少しでも師父への誹謗中傷が軽減するようになればいい」と思ったのです。
私は振り返らずにその中に入り、展示会の責任者を探し、事前に書いておいた手紙を手渡そうと思いました。展示会場に入った途端、真っ暗な感じがして、嘘だらけの情報を見ずに主催者代表をどうやって探そうかと考えていました。ちょうど目の前にスタッフが現れ、彼について行き、「某某指揮部」と書かれた仮設の部屋にたどり着いて、中に入りました。
部屋に入ると、何人もの男が座ってタバコを吸いながらトランプをしていて、傍らに立っている女性が「副総指揮」の名札を付けていました。私は女性に「私は大法の修煉者です。法輪功は人々の心身を健康にすることができます。あなた達が展示会を開催するのは、おそらく法輪功について知らないからだと思います。法輪功は国に対しても国民に対しても百利あって一害なしです。私はあなた達の責任者に手紙を書いたので、ぜひ読んで下さい」という内容のことを言いました。他の人は無反応でしたが、その女性があごでテーブルを示したので、手紙をテーブルの上に置きました。帰ろうとするとすぐに目の前に警官の列ができたのに気づき、「自分を逮捕するのか」と一瞬思いましたが、彼らのそばを通り過ぎても彼らは何の反応もせず、まるで木のようでした。
その時、ふと会場にある大型テレビが目に入り、師父の姿が見えたので行ってみると、流れていたのは師父が講義中に手を振って学習者の病気を除去される時の映像でした。人間の体が小さな宇宙だとしたら、師父はどれぐらいの宇宙を浄化されて、どれだけの天体が清められたのでしょうか。しかし、彼らはこの映像を利用して偉大な師父を悪質な嘘で攻撃しているのです。テレビの前に半円状に集まった老若男女の人々は、毒害されてぼんやりとした表情で見ていました。
私は、師父が伝え出された真・善・忍の大法のすべてが生命の根本であると考えました。その日、どうやって博物館を出たのか分かりませんが、バスに乗ったとき、涙が止まらなかったのを覚えています。師父の講習クラスに参加して以来、こんなに涙を流したのは初めてでした。私が無事に軍事博物館を出ることができたのは、師父のご加護だと分かりました。同時に、大法の無限の慈悲を少し悟りました。それは、他人のための生命になることです。その後、私は人に会う度、法輪大法の素晴らしさを伝えました。大法の素晴らしさを理解した生命は、生命の根源を守ることができ、救われるのです。
私は修煉して28年目になりましたが、十数年間拘禁されたことがあり、時には真の大法弟子らしくない点もありました。師父と大法に申し訳ないと感じています。なかなか自分の体験を書くことができませんでしたが、利己的な生命から徐々に他人のための大法弟子になったことを思うと、この過程は師父の計り知れない慈悲と救い済度であり、そして大法の広大なる佛恩だと思います。様々な邪魔を克服し、大法によって私の人生にもたらされた喜ばしい変化を記録し、この記事を完成しました。
弟子から師父への感謝の気持ちは、人間の言葉では言い表せないほどです。法輪大法が広まって30周年を迎え、再び精進する初心を師父に捧げたいと思います。師父、お誕生日おめでとうございます!
合掌
(完)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』