法輪大法のパンフレットのおかげで母は絶望から立ち直った
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年7月21日】物心ついてから小学校を卒業するまで、私たち一家は祖母(母方)の家に住んでいました。私の子供時代、母は毎日寝込んでいたという記憶があります。

 当時、母はベッドの枕元に椅子を置き、食事の時、腕で必死に体を支えて一口ご飯を食べるとしばらく休み、お腹に手を当てて、苦しそうに顔をしかめました。口からは常に息を吐き、まるでお腹に無限にガスが溜まっているかのようでした。私は母の立っている姿はほとんど見たことがなかったのです。

 家には毎日、同じ時間帯に漢方薬の匂いが漂っていました。台所にはいろいろな漢方薬を煮る容器があり、瓶の蓋に巻かれた漢方薬の匂いがするガーゼばかりがありました。無邪気な私は、いつも母に「おいしいの? なぜ、毎日何回も飲むの?」と聞いたのですが、母はため息をつきながら、「しょうがないんだよ。病気を治したいから、飲みたくなくても飲まなきゃ」と、返事をしていました。

 その後、私は「母は病気で、その病気は風邪のようなものではない。薬を服用したり、注射したり、点滴をしたりして、すぐ治る病気ではないのだ」と、母の病気を徐々に理解しました。私はそのとき、「いつか母が、他の子供の母親のように、私と手を繋いで学校まで送ってくれること」という願いを持っていました。私はこのようなことを望んでいましたが、願いは叶わず、幼い私はそのことが心の中で大きな傷となっていました。

 専門家は、「あなたの病気を治した前例は世界にはまだない!」

 母は若くして妊娠し、十分な栄養が摂れず、お腹の中の胎児にもほとんど栄養が行き渡らなかったため早産となりました。出産した私たち双子(1600g/1人)は生後1週間保育器に入れられてしまったのです。退院したとき、看護師長は母に「未熟児は病気になりやすいという例をたくさん見てきたから、家に連れて帰っても育てるのは無理だ!」と断言し、「家に帰って養生してください。また、元気な赤ちゃんを産めばよい」と言いました。

 当時の我が家が経済的に余裕がなかったのですが、母は私たちのことを諦めず、全力で世話をしました。母の母乳が出なかったので、私たちは哺乳瓶でミルクを飲んでいました。しかし、未熟児の私たちは吸う力さえなかったので、母は注射器で少しずつミルクを口の中に入れて飲ませて、3時間ごとに1回、1回に30分かけて与えてくれました。しかも、私たちは未熟児のため免疫力が低下していて、病気にかかることが多く、接触感染も発生しやすくて、よく通院していました。母は大変な苦労をしたと思います。

 母は産後、体がよく回復できないうえ、仕事も忙しくて、一家のために昼も夜も休めなかったのです。その積み重ねで、ある日母は突然倒れてしましました。

 今回の、倒れた母の病状は深刻でした。それで、父は休みを取って母を病院へ連れて行きました。県の病院では、医者は「こんな病気は見たことがない」と言い、合肥市の大きな病院へ行くよう勧めました。両親は合肥市の病院へ行きましたが、医者はまた、「こんな病気は見たことがない」と言い、北京や上海の病院へ行くよう勧めました。そして、父はいろいろな人に頼んで、やっと上海で婦人科の一流の専門医を見つけ、母を入院させるようにしたのです。

 母さんは、自分が助かることを願いながら、上海に行きました。病院で検査して、そのトップの専門医は「稀な病気だから、立ち合い診察が必要だ」と言いました。その後、専門医は母に、「あなたの病気は難病で、瘀血症候群だ。あなたの病気を診断できるのはうちの病院だけです。他の病院の医者は、あなたの病気がわからないでしょう。海外ではあなたと同じ病気の例があったのだが、あなたの病気を治した前例は世界にはまだいません。覚悟してください」という衝撃的な診断結果を告げられました。

 さらに母を絶望させたことがありました。専門医は週に1回の回診で、その他の患者には熱心に病状を聞くのに、母の番になると、何も言わずに病床から素通りすることでした。苦しんだ母は夜に眠れず、何度も死のうと思いましたが、幼い子供や老いた両親のこと、それに父が仕事が忙しくて私たちを育てられるかどうかなどを心配し、耐えていくしかないと改めました。

 崩壊、絶望から生還へ

 上海から家に帰った母は漢方薬を飲み続け、健康のため武術を学んだり太極拳を学んだり、いろいろな気功を学びました。どんなものを学ぶにしても、どれも最初は少しは良くなっているものの、徐々に効果がなくなっていくという繰り返しでした。私たちが中学生になった頃、ある日突然、母が再度、倒れてしまい、寝たきり状態になりました。その時、私たちは母の状態に絶望を強く感じ、我が家は以前の暗い日々に戻ってしまったのです。

 それから、母は数え切れないほど私たちの手を握り、息も絶え絶えで、「今回は本当にもう耐えられないの。もし、私が死んだら、あなたたち2人はちゃんと元気でいてね」と何度も話しました。持病がある祖母は、私たちに温かい食事を食べさせるために、腫れた足を引きずり、毎日歩いて家(中学生になってから、祖母の家から引っ越した)まで来てご飯を作ってくれました。そして母にも、薬を煎じて飲ませました。

 私たちはいつ母を失うかわからない恐怖の中で過ごし、奇跡が現れるようにと願い、母の前で泣くことは我慢しました。私たち姉妹はよく家の隅に隠れて抱き合って泣きました。学校から帰ると、まず母の部屋に走って行き、母がまだそこにいるかどうかを確認していました。

 祖母は、母を救うため、いろいろな民間療法を探しました。祖母はいつも「うちの子は本当に死んでしまうのだろうか? この子を先に送るのだろうか?」と自分に聞いていたそうです。

 「捨てる神あれば拾う神あり」というように、ある日、祖母は偶然、家の前で法輪功を紹介するパンフレットを見かけました。祖母(字が読める)は、パンフレットを母のところに持っていき、「これをやってみたら」と言ったそうです。そして、母はパンフレットを少し読んで、他の多くの気功と同様に役に立たないものだと思い、試そうとはせず、パンフレットはそのまま置いていました。

 ある日、祖母が自分の家の浴室で洗濯をしていると、突然、誰か家に入ったきた音がして、誰だろうと何気なくドアのほうへ見ると、驚いてしまい、思わず「あなたはどうやってきたの?」と、大声を出したそうです。祖母が見たのは母の姿でした。

 母は、あの日の祖母の表情が忘れられないと言いました。洗濯をしてしゃがんでいた祖母が母を見て、両足を地面から離して飛び上がり、目を大きく開け、力強い声で「あなたはどうやってきたの?」と聞いたのでした。そして、母は祖母に「私は寝ていましたが、なんとなく起き上がれるような気がして、ベッドから起き上がってみたら、起き上がれました。ついでに昼のご飯を作りました。体に力が出てきたようで、久しぶりに実家に帰ってみようと思って、歩いて来たの」と話しました。

 その後、母は元気になった理由を考えました。母は「前回倒れた後も、漢方薬を飲み続けたが、あまり効果がなかった。他に何もしていないし、ただ毎日横になっているだけだった。ただその日、置いてあった法輪功のパンフレットを手に取ってよく読んで、『このパンフレットに書いてあるように、本当に病気が治り、健康を増進することができるなら、どんなに素晴らしいことでしょう』と思った。もしかして、その思いだけで、効果があったのか? それなら、本当に素晴らしい功法だ! こんな奇跡的な出来事は自分で体験しないと信じられない。この気功をまだ習っていないのに、すでに効果が出るなんて!」と話しました。

 その後、母は法輪功の功法の動作を学び、毎日煉り続け、漢方薬をすべて捨て、飲まなくなりました。そして、病気は再発せず、病院へ行くこともなかったのです。どの治療法を試しても治らなかった難病が、パンフレット1枚で奇跡的に治ったのです!

 母がいると、温かい家庭を築くことができました。ですから、母は、以前の自分と同じように病気で苦しんでいる人たちに、この素晴らしい大法を学ぶ機会があるように願っています。人々が健康で健やかな生活を送ることができるように願っています。

 これを読んでいる皆さんが、幸せで穏やかに暮らせることを願っています!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/7/1/445645.html)
 
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