大法に出会って絶望から救われた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年10月17日】私は2019年の夏から法輪大法を修煉し始めました。新たな生命を与えてくださった慈悲なる偉大な師父に感謝いたします。修煉の道に入ってから、師父が啓発して下さったことや、自分の次元で感得したことを書き出し、同修と交流したいと思います。

 一、絶望の中で大法を得る

 2019年の夏、私は高熱を伴うひどい下痢に見舞われました。県の病院に9日間入院しましたが、点滴をしても良くなりませんでした。その後、治療のために市の人民病院に転院し、15日間入院しましたが、病気の原因はわかりませんでした。そして、血便が出たり、高熱が続いたりで病状は悪化する一方でした。

 家族の協力で私は北京友誼病院に転院して治療を受けました。その病院でも2週間入院しましたが、病気の原因は特定できませんでした。その後、医者は骨髄を穿刺して骨髄液(骨髄血)を吸引する骨髄検査をすると、非常に稀な難病だと告げられました。病院の治療方針によると、この病気の治癒率は1%未満で、しかも、非常に治療費用が高いものでした。私の入院ですでに家の貯金を使い果たしてしまったので、家族は治療費のために借金をしました。

 ついにある日、主治医が回診の際、私と家族の前で「この病気は治療しなくていい。治らないし、お金の無駄だ。病院の病床を無駄にしないで、家に帰って療養しなさい。せいぜい3カ月の命だ」と宣告しました。

 それまで家族は、私に本当の病気のことを隠していました。医者から「治療の必要はない。治らない」と言われたときは、本当に絶望的でした。私は当時、その医者を恨みました。その医者は傲慢だと思っていました。その医師は「他の病院で治療を受ける必要はない。私が治せないのだから、誰も治せない」と私たちに告げました。

 それを聞いて、私も家族も絶望しました。両親はどれだけ涙を流したかわからず、家族、友人、親戚は皆、悲しみました。それでも家族は、病院に頼るしかないと思い、私を県の中央病院に転院させました。父は「家で死ぬより、病院で死んだ方が安心だ」と言いました。

 県の病院に入院した翌日、親戚や友人たちが見舞いに来てくれました。叔母が来て、私に師父の説法の録音と『轉法輪』、『轉法輪(巻二)』を持ってきてくれました。

 この前、私が市の病院に入院していたとき、叔母は見舞いに来て「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を覚えるようにと教えてくれて、法輪大法の守り札をくれました。当時、叔母は泣きながら「私の身の回りの人さえ救っていない」と言い、とても悔しがって自分を責めていました。その時、私も涙を流しました。

 実を言うと、以前、私の家族と叔母の一家にトラブルがありました。叔母が話してくれた時、私は叔母に対する怨みを捨てて、叔母に感謝をしました。その翌日、私は北京の病院に転院しましたが、叔母から教えてもらった言葉をよく覚えていて、誠心誠意、暗唱していました。

 北京で入院している間、ある日、私は大出血しました。もうすぐ死ぬのではないかと思うくらい、寒気がし、眠たくてたまりませんでした。医者が緊急に輸血をしてくれたので、徐々に回復しました。というのは、その時、私は心の中で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱え続け、繰り返し唱えたからです。今思えば、その大出血は私の命を奪う可能性があったのかもしれません。法輪大法の師父は私の命を救ってくださいました。

 県の病院に戻ってから、私は法輪大法を得ました。法輪大法は私の心を惹きつけ、北京で入院した時、大法の本を読みたいと思い、叔母に電話をして、家族に大法の本を持ってきてもらうように頼みました。しかし、家族は北京にいるので、恐怖を感じて、大法の本を持って来なかったのです。

 大法を学んだ後、病院で師父の説法の録音を聞きました。数日後、師父の九講の説法を全て聞き終えると、大法はすごいと感じました。1回聴いただけで、自分の人生観が変わり、視野が広がったような気がしました。大法を学び続けることで、私の健康状態は日に日に良くなっていきました。

 入院して以来、(市の病院の入院から)医者は私に断食をさせました。私の体重は45キロから30キロ台まで落ち、痩せこけてしまいました。

 師父の説法を聞いて1週間後には、重湯を飲むことができました。その後、叔母から『轉法輪』を読んでみたらと勧められました。そして『轉法輪』を読み始めましたが、第一講を読み終えないうちに、10日間なかった血便の症状が再発したかのように再び始まりました。

 医者からはまた断食をするように言われました。不安になった私は、法を読まず、聞かずの状態になってしまいました。その時、これは大法を学ばせないための妨害だとは知らなかったのです。日に日に体が弱くなっていき、他の病院に移ろうかとも考えました。この状態が十数日間続きました。

 毎日のように血便が出て、医者は私に輸血をしました。肝不全、腎不全の症状も加わり、目まいもしました。毎日さまざまな薬を注射しており、白血球が少ないので、白血球の増殖を促す薬を1日1回注射していました。医者は通常、正常な白血球が成熟して、ウイルスとの戦いに挑みますが、私の場合、白血球が減りすぎているので、未熟な白血球を補うことで精一杯でした。しかし、このようにすることによって、さらに体に害を与えてしまいます。そして、私は「もう注射をやめてください。これではうまくいきません」と言いました。

 そのとき、私はとても機嫌が悪くて誰にも会いたくなく、毎日目を閉じて誰とも話したくありませんでした。昼間、太陽の光が嫌でカーテンを閉めて光を遮りました。付き添ってくれた家族にも話をさせないようにして、毎日とてもイライラしていました。

 ある日、叔母が再び私に会いに来ました。母は私の事情を話し、それを聞いた叔母は心配そうに、「どうして大法を学ばないの? それではいけないよ! 転院したいのか? それらの考えが正しくない。すべて旧勢力からの妨害だ」と話しました。母は、私のことを叔母に頼みました。叔母は「ちゃんと大法を勉強して。じゃないと、とても大変なことになるよ」と色々話しました。可笑しなことに、他の誰かが話すと、私はイライラしますが、叔母の話は聞きたくなるのです。

 それから、再び『轉法輪』を手に取り、真面目に読み始めました。その夜、師父が私の病床のそばにいて、私の腸を洗浄した後、お腹の中に戻してくださる夢を見ました。そして、私は「私は大丈夫だ、師父は私の腸を修復して下さったのだ」と感じました。

 翌日からは血便が出なくなり、3日連続で血便が出なくなりました。4日目、医者から「アワの重湯を少し飲んでください」と言われました。母がスプーンで食べさせてくれました。スプーン2杯を少しずつしか飲めませんでした。初日は合わせて重湯を小さじ6杯ほど飲みました。1日観察してみると、問題ありませんでした。その後、連日、重湯の量が徐々に増えていきました。

 それで、私は家族に「大法を学んで元気になった。大法の師父が救ってくださったからだ」と言っていました。私と家族は再び、法輪大法の奇跡を目の当たりにしました。

 その後、薬を飲むと嘔吐し、飲まないと吐きませんし薬も効かなくなっていました。それで私は、薬を飲むのをやめたのですが、家族は最初、納得しませんでした。しかし、家族はその後、薬を飲むと必ず嘔吐するのを見て、薬を飲むようにと言わなくなリました。注射もやめ、点滴の回数も徐々に減り、毎日普通に食事をすることができました。4カ月の入院生活を経て、ようやく家に帰ることができました。

 私を救ってくださったのは法輪大法です。私を救ってくださったのは師父です。大法の奇跡を目の当たりにした母も大法を学び始め、師父の説法の録音を聞くようになりました。素晴らしい大法を私たちに伝えてくれた叔母に感謝しています。

 母と私が大法を学んだ後、叔母とのトラブルが解決されました。もし、大法を学んでいなかったら、叔母との争いは一生続き、解決できなかっただろうと思います。今、叔母と私は親子のように仲良くしています。叔母には息子が1人しかいないので、私は叔母に「叔母さんの娘になる。親孝行な娘になる」と本心から言いました。私は叔母を母のように身近に感じています。これは大法の修煉をしていなければ、絶対にできなかったことだと思います。私を変えたのは法輪大法です。

 二、病業の関を乗り越える

 退院して帰宅後は毎日多く法を学びました。その後、師父の各地での説法や経文ももらって読みました。私は徐々に煉功することができ、体が回復したので、食事も多く食べられるようになりました。2カ月後には元の体重に戻りました。

 しかし、正月の少し前、お腹の痛みが続き、大法に基づき、悟ることができず、ただ我慢し、毎日法を勉強し続け、乗り越えることができました。年が明けてから、髪の毛がかなり抜けてハゲそうになりました。「これは師父が私の体を浄化して下さったのだ」と悟り、その後、新しい髪の毛が生えてきました。

 2020年2月のある日、病気になって8カ月後に生理が初めてきたので、本当に嬉しかったです。と言うのは、元気になったら、生理が来ると知っていたからです。以前、生理が来ると下痢をしていたので、今回も下痢になりましたが、嬉しくて全然気にしませんでした。生理の4、5日目、もうすぐ終わるころ、昼食後に下痢をして、突然、血便が出ました。驚きながら「なぜ、また血便になったの?」と不安になりました。

 しばらくして「どこか良くない行いをしたのかな」と落ち着いて考えました。そして、ベッドに座り、『轉法輪』を学び始め、第六講で師父は「昔、ある人が一生懸命修煉して、やっと羅漢になれるところまで成就しました。もうすぐ正果を得て、羅漢になれるのだと思うと、これを喜ばずにいられるでしょうか? やっと三界から抜けられるのです! しかし、喜ぶこともまた執着心で、歓喜心なのです。羅漢は無為であるべきで、心が動じてはいけません。結局その人は堕ちてしまい、それまでの修煉が無駄になってしまいました。無駄になったからやり直すしかないので、一から修煉し直し、ずいぶん苦労をして、また上がってきました。ところがその人は、今度は心の中で「喜んではいけない。喜ぶとまた堕ちてしまうから」と言って、怯えました。怯えた途端、また堕ちてしまったのです。怯えるのも執着心の一つです」[1]とおっしゃったところを読みました。

 私は、はっと悟りました。大法に自分を照らし「歓喜心と恐怖心が生じたことによるものだ」とわかりました。生理が来たとき、歓喜心が現れ、血便のときに恐怖心が生じました。この二つの心はどちらもあってはならないものだと気付き、すぐに取り除くように正念を発しました。次の日には元気になりました。師父が私を啓発してくださり、私の心性と次元を高めてくださいました。師父にとても感謝しています。

 その後、右腕の内側に小さな膿瘍のようなしこりができ、外側の皮膚は赤く腫れました。少し痒みがあり、掻くと非常に痛かったのです。しかし、下痢だと、この膿瘍の腫れが引きましたが、通常の便だと腫れ上がりました。この症状は4〜5カ月続きましたが、その時は、どういうことなのかが悟れませんでした。

 10月のある日、腹痛と下痢が始まり、1週間ほど激しい下痢が続きました。下痢が治ってからは、体力もつきましたし、腕にあった膿瘍がなくなっていることに気がつきました。皮膚は平らで、色が少し濃いだけで、もう全然痛くありませんでした。これは師父が私の体を浄化してくださったのだと実感しました。このことを通じて、師父と大法を信じようという気持ちがさらに強くなりました。

 2021年の春、私は再度、病業の関がありました。本当に生死の関門でした。

 病業の前から、私は精進せず、学法も煉功も怠けてしまい、仕事を探そうとし、修煉が三日坊主になってしまいました。学法や煉功、発正念をすることもほとんどしなくなりました。家の農作業があるとき、手伝うこともありましたが、暇があれば携帯電話をいじっていました。

 ある日、体に異変を感じ、食欲もなかったのです。お腹が張って痛みがあり、熱っぽい症状を伴っていました。そのとき、あまり気にせず「関が来た」と思っただけで、小さい関だと思っていました。

 しかし、病状がどんどん悪化していき、お腹の痛みは3日ほど続きました。ある朝、血便が出て、しかも大量でした。ちょっと怖くなって、叔母に電話して事情を話しました。叔母がすぐ、家に来てくれて、私と一緒に心性のどこに問題があるかと、内に向けて探しました。しかし、何も見つかりませんでした。

 そして、私と叔母は約1時間、法の勉強をしました。血便が出るようになって、体に力が全く入らなくなり、ベッドに横たわることしかできず、学法も長く続けられなくなりました。それで、叔母は、「しばらく休んで。明日、また一緒に学法しましょう」と言いました。叔母が帰った後、私はベッドに入りました。夕方、夕食を作り、あわの粥を頑張って食べました。主人は私の状況を知らず、夕食後には当直のため、出勤しました。

 その後、母が来ました。母に血便のことを話すと、ちゃんと大法を勉強しなさいと言われました。怖がっている様子がない母を見て、私も正念が出てきました。それで、母に帰宅するようにと勧めました。

 夜9時頃、私は嘔吐し始め、食べたお粥を吐きました。さらに、大量の血便が出て、歩けなくなりました。目まいがして、息苦しくなったので、怖くなって不安になってきました。 家に2人の子供しかいなかったので、母に電話をして「体調が悪いので、泊まりに来てくれる?」と言いました。次の日が清明節(せいめいせつ)(春分の日から15日目、毎年4月5日頃は「清明節」と呼ばれる祝日で、この日はお墓を掃除して墓参りをする)だったので、父は、母を阻止しました。父に詳しく説明することができなかったので、嘔吐がひどいことを伝え、母に一晩だけ面倒を見てもらうことにしました。

 話を聞いた父は怖がって、私の体のことを心配して、我が家に来たのです。父はゴミ箱の中の嘔吐物を見て怖くなり、病院へ行くようにと勧めてくれました。父は夫に電話をかけ、家に戻ってきて私の面倒を見るようにと言いました。母は父より少し早めに私の家に来たので、血便している私を見て怖くなって何も言えませんでした。幸い、父がその血便を片付けた後に来たので、血便のことを知りませんでした。今にして思えば、すべては師父のご按排でした。

 翌朝、明け方5時に、私はベッドから起き上がりました。母が「何をするの?」と聞いたので「煉功したい」と答えました。そこで私はベッドのそばに立ち、第一式の功法を煉りました。しかし、2分間煉ると疲れ、ベッドで横になり、しばらく休んでからまた煉りました。このようにして、10分間の第一式の功法を煉るのに30分かかりました。第一、三、四式の動功を約2時間かけて煉りました。母は、私の正念が十分あると見て、安心して帰っていきました。

 その後、私は学法し始めました。朝食に重湯を少しだけ飲み、昼も夕方も少しだけ飲み、横になって寝ました。次の日、第一、三、四、五式の功法を煉りしました。第二式の功法は時間が長いので、煉るのをやめました。

 横になると、お腹が張って、不快感がありました。「もしかしたら、これは私に煉功させようとしているのか?」と考えて、起き上がり、第二式の功法を煉り始めました。このようにして、第二式を頑張って煉り終えました。その後、お腹の張りがなくなったと感じました。師父のおっしゃった「『忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる』。実際その通りです。皆さんは帰ってからぜひ試しにやってみてください。本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試してみてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗 花明 又 一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません!」[1]の通りでした。

 このようにして、私は毎日法を学び、功を煉り、体が奇跡的に回復しました。師父と大法を100%信じることができれば、生死を放下して関を乗り越えることができると悟りました。師父が按排して下さった関は、弟子の心性に合わせたものだと思います。師父は弟子が乗り越えられると信じ、弟子も師父と大法を信じれば、必ず乗り越えることができるのです。師父の説法を読んで激励されて、前向きになれました。

 今回の関で、自分が法を学ぶこと、功を煉ること、発正念をすること、法輪功の真実を伝えることをよく行っていなかったのだと悟りました。今回のことを教訓に、今後は師父が要求されている「三つのこと」をしっかり実行していきたいと思います。

 大法を得て、私は心身ともに大きく変わりました。より優しく、より寛容になり、人と争うことを考えなくなりました。子供たちを教育するときも、大法の法理に従って教えています。 長女はよく、他の空間の景色を見ることがあり、次女は師父の説法を聞くのが好きで、娘たちは時々、私と一緒に煉功しています。長女の体に大きな反応があったとき「師父が体を清めて下さっているのよ」と教えてあげました。娘たちは師父を尊敬し、よく師父の写真のところに行って跪いて拝んでいます。 これは、本当に「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」[3]ということです。夫も大法を認めており、私の修煉を支持しています。

 師父への感謝の気持ちは、言葉で表現することができません。今後、私にできることは、法をしっかり学び、自分の体験を生かして人々に法輪大法の素晴らしさを広め、より多くの人々を救うことだと思っています。

 以上、私の体験談です。同修たちと共に向上し、名声や富に対するあらゆる執着心を放下し、大法の中で自分を修め、返本帰真し、師父について本当の家に帰りたいと思います。

 私は新しい学習者で、次元が限られているので、不適切なところがあれば、同修の慈悲なご指摘をお願いします。

 注:
 [1]李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2]李洪志師父の詩:『洪吟』「師徒の恩」
 [3]李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/20/428475.html)
 
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