文/東北の大法弟子
【明慧日本2022年8月13日】1998年に法輪大法を修煉して以来、私は他の多くの大法弟子と同様に、大法の広大なご恩に包まれ、師父の教えに従い、真・善・忍の基準に基づいて自分を修めています。家庭や社会の中においても道徳心を高く持ち、他人を優先し自分を後にし、本当の無私無欲の人になるように努力してきました。以下では、私の修煉の中における「徳をもって恨みに対処する」「義母を大切にする」という話についてお話します。
私は22歳の時に結婚しました。結婚してからは義母とは同居せず、自分たちだけで暮らしていました。とはいえ、特に子どもができると年末年始は義母の家に行かなければならず、義母が子どもの面倒を見てくれるため、行く回数が多くなりました。その時初めて、義母の家庭内での地位が、まるで天皇陛下のようにこのうえなく大切な存在であり、義父は絶対に義母の言うことを聞かなければならないということに気づきました。
義母の強引で道理をわきまえず、人を許すことができない性格は、一緒に過ごすうちにどんどん不快になり、義母への恨みが深くなっていきました。例えば、結婚して半年後、アパートに住んでいた時のことでした。私たち夫婦は共働きなので、急用が出来た時のために、義母に家の鍵を預けておきました。ある朝5時、私たちが起きる前に、鍵でドアを開けて中に入り、義母がソファに座っていたのです。起きてきた私たちは、いつ義母が家に入ったのかわからず、ショックを受けました。
そこで夫は「お母さん、何事ですか?」と尋ねました。しかし義母は「用事がなければ来てはいけないのですか!」と反問しました。夫も少し動揺していましたが「ところで、どうやって一人で中に入ったのですか?」と聞いても、あえて母を挑発することはしませんでした。
夫の言葉を聞いた義母は、すぐに「私がこの家のお金を払ったのだから、もちろんいつでも入れるし、あなたに言っておかなければならないこともあります!」と言いました。2人の会話を聞きながら、私は思わず「びっくりしました! どうしてこんなに朝早くから訪れる人がいるのでしょうか?」と言ってしまいました。私が声をあげると、義母は自分の会話を譲ろうともせず「そんなに度量が小さいのですか?」と言いました。夫が「何も言うな」と言わんばかりに、私の腕を引っ張りました。私も面倒なことは嫌いなので、あまり口には出しませんでしたが、心の中では「これは手に負えない、今後の対処のしようがない!」と思いました。
それからの日々は、本当に対処のしようがありませんでした。私は自分のことを教養のある人間だと思っていたので、義母を無教養な専業主婦だと思っており、何かにつけて義母と言い争うのは好きではありませんでした。そう思いつつも、義母の口調はキツく、私のことを罵倒することが多かったので、やはり腹が立ちました。
1998年8月21日、私は幸いにも縁があり、喜んで法輪大法を修煉し始めました。師父は、真・善・忍の基準に基づいて、良い人、より良い人になるようにと説かれました。
師父は「常人の社会において、人々は奪い合ったり、騙し合ったり、個人のわずかな利益のために人を傷つけたりしますが、こういった心は全部捨てなければなりません。特に、今ここで功を学んでいる人は、これらの心をなおさら捨てなければなりません」[1]と説かれました。
こんなに良い功法なのだから、最後まで学び遂げなければ、と私は心の中で決めました。私は修煉の中で、人と人との争いは前世での借りがあり、その後に因縁関係が続くので、借りは返さなければならないことを学びました。私は師父の真の弟子になりたかったので、師父から要求されたことを実行し、家の内外において自分を厳しく律し、人と比べず、慈悲を修め、人に親切にしなければなりませんでした。もちろん、義母にも優しくしなければなりませんでした。
最初の数年で、偶然にも義母が私の後をつけてくるのを2回発見しました。私という人間はうっかりすることもありますが、2回見つけたということは「見つからなかったのは、何回なのかわからない!」と思いました。心の中は怒りで息が詰まるほどでした。夫は外で運転しているので、義母は私が誰かと会うのを恐れているのは明らかでした。
その後、義母への恨みが募り、同修に相談したところ、同修は「私たちは修煉者です、彼女とは違います。 彼女の立場になって考えてみてください。 もし自分の息子が外で働いていて、かなり長い時間に1回しか帰ってこなかったら、あなたは嫁のことが心配になりませんか?」と言いました。考えてみればそうでした。修煉者が何かに出会う時、それは偶然ではなく、心の内に向かって自分を探さなければならず、これが常人との本質的な違いでした。
この2、3年、義母の体調が悪くなり、咳が止まらなくなったり、息が続かなくなったり、寒くなると風邪をひいてしまい、風邪をひくと入院しなければなりませんでした。今回は一日中秋雨が降り、気温もぐっと下がり、義母はまた入院してしまいました。義母が入院するたびに、いつも夫の2人の姉と私が看病し、夫の叔父や夫の父方の一番上の伯父の姉は看病しませんでした。修煉していなければ、私も看病しなかったでしょう。
今回、インフルエンザにかかった私は、義母からの電話に出られませんでした。義母は仕方なく長男に電話をして、医者に連れて行ってもらうことにしました。義母が入院したことを知った時、すでに何日も経っており、入院している義母を夫の叔父が看病していました。私が来たのを見た夫の叔父はすぐに「私は帰ります!」というので、私は「どうぞ、帰ってください」と言いました。夫の叔父が出て行った後、義母が私に「兄(訳注:夫の叔父)はここ数日、私とのトラブルで嫌になりました! 誰も来させず、ここに一人残して目を離さないようにして、彼を苦しめてやったわ。もう、あなたが来たから大丈夫だわ!」と言いました。
こうして、私は義母の看病を引き継ぎました。翌日、義母は私に「兄(訳注:夫の叔父)はこの数日間看病してくれたので、家に帰ってもまだ怒ることのないように、私は彼にお金を払おうと思います」と言いました。私は「わかりました」と言いました。義母はまた「私は入院中だから、お金はあなたたちか、長女か次女が持っていくしかありません」と言いました。私はその言葉を聞いて初めて、ここが重要なのだと気づきました。私は「それでは、長女と次女の方はお金を持っているのでしょうか?」と尋ねると、義母は「彼女たちに話したらみんな納得してくれたので、後はあなたのところだけです」と言いました。
この話を義母から聞いた時、私の心は揺れ動きました。夫の叔父には数日分の看病の費用を払うのに、私には看病の費用を払わないのかと、とても嫌な気持ちになりました。払わないどころか、私がお金を渡さなければならないなんて、どこにこのような道理があるのでしょうか! 「私もそんなにお金を持っていないので、明日の朝帰って用意します」と言うと、義母は「いいですよ」と答えました。
翌朝、私は家に帰りました。やっとのことで一度帰って来れたので、私は急いで法を学ばなければなりませんでした。師父が「われわれの法門は、人心を真っ直ぐに指すもので、個人の利益や対人関係の軋轢において、それらのことを気にかけないでいられるかどうかが肝要です」[1] 、「今日、誰かがあなたの気に障るようなことを言ったとか、誰かがあなたを怒らせたとか、誰かが失礼なことをしたとか、あるいは誰かがあなたに不遜なことを言ったなど、いずれも常人の中でよく起きる状態ですが、そこであなたがどう対処するかが問題なのです」[1] 。「なぜなら、トラブルは突然現われるかも知れませんが、決して偶然なものではなく、みなあなたの心性を高めるためのものなのです」[1]と説かれるのを拝読しました。
ここまで学び、私の心は徐々に落ち着き、昨夜のように心が動じるようなことはなくなりました。これは私の心を向上させるために師父が按排してくださったのだとわかり、私は必ずこの関を乗り越えなければなりませんでした! 私も年上の同修に励まされながら、この関を乗り越えました。こうして、私は義母にお金を渡しました。そして、義母はさらに4,500元を夫の叔父に渡しました。この件は平穏に過ぎ去りました。
しかし、高齢の義母の体はどんどん悪くなり、動けなくなったので今年(訳注:2022年)も入院しました。はじめは旧正月15日以降に病院に行く予定でしたが、旧正月14日、義母が明らかに熱っぽく、座ったら立てない状態になってしまい、トイレに行った後、ズボンを上げる力もなくなりました。数日間、義母の世話をしていて私が見たところ、これは病院に行かなければなりませんでした。車いすを借りて病院へ行き、心電図とCTスキャンの結果、重症の心不全と肺炎でした。
手付金を払った後、医師の張羅さんが手配してベッドを探し、私は荷物を取りに戻りました。義母は以前と違って、身の回りのことができなくなり、寝たきりになって、大小便もベッドでしなければなりませんでした。毎日排泄物を処理し、さらに洗わなければなりませんでした。義母は背が高く、太っており、身長165cmで体力のある私でも、義母には排泄のたびに汗をかかされました。義母は申し訳なさそうに「あなたのお母さんに、こんな風に世話したことはないのでしょう?」と言いました。私は「大丈夫、これは病気ではありませんから」と言いました。
義母が入院していても、私は心の底から何の不平もなく、金銭的援助をし、骨身を惜しみませんでした。何度もの煉磨で、私の心は広くなり、心の容量が大きくなり、義母には心から優しく接することができました。修煉者はみな慈悲深く、これもまさに法輪大法の不思議な力とすばらしさの本当の現れであり、誰に対しても慈悲心と優しさを持って接することを教えてくださったのは師父でした。
半月後、義母は退院しましたが、病気は治っていませんでした。医療保険証は半月入院すると、自動的に無効化されるようになっていたからでした。有効にする場合は、新たに入院する必要がありました。2番目の義姉(以下、義姉)は「母を私の家に泊めて、薬は飲み続けることになるけど、入院はさせず、なんといってもこの年齢ですから」と言いました。私は「わかりました」と言いました。義姉と私は、彼女の家で細心に注意を払い、義母に喜んでもらえるようできるだけ栄養のある食事を作りました。
義姉の家は3LDKの家で、夫は南方で仕事をしていて家を空けており、子供たちも南方にいたため、私たち3人は1人1部屋でした。毎朝、義母の部屋でしばらく座り込んで話したのですが、義母はとても喜んでいました。毎晩、寝る前にも行ってしばらく座っていると、義母はとても幸せな気持ちになるそうです。
ある夜、義母の部屋のソファに座っていると、義母が私を見て「ほら、あなたの顔はツルツルで、顔色もいいです。以前はできものばかりだったけれど、今はすっかりなくなりましたね」と言いました。私は「煉功をしっかり行い、私は大法を学んでいます! 私がお母さんの世話をしているのは、大法を学んだからであり、師父にそうするように言われたからです! 師父に感謝しなければなりません! 大法に感謝しなければなりません!」と言いました。義母は「ああ! 以前、顔にニキビが出来ていたのが幸いし、そうでなければ、私の息子のことなんか見ていなかったのではないですか?」と言いました。私は「前世で彼との縁が大きかったから結婚したのであって、他の人とは縁がありません! これは因縁関係です!」と言いました。このように毎日日常のありふれたことを話すことで、義母の善良な本性が知らず知らずのうちに導かれ、義母は大法を修煉する人は、本当に良い人であることを知ることができました。
ある朝、義母に呼ばれ、私に「唐さん、これが私の家の戸棚と箱の鍵です。戻ってその中の貴重品を全部持って来てください」と言いました。私は「貴重品ですか? どれくらいの値打ちの物ですか?」と驚きました。義母は「一番価値があるのは家の権利書で、ビルと平屋建ての家のを探してください。あと金の指輪も! 他にもあったら探してきてください」と言いました。この時、義姉もやってきて「母は初めての例外を作り、あなたを信頼したのよ。この機会にしっかり捉えてね」と言いました。私にはまだ意味がわかりませんでした。義姉は、私を外に呼び「他に何か価値がある物があれば全部、注意深く探してください。昔の母にこんなことはあり得なかったので、今日は普通ではありません! 昔は、私たちに彼女の所有物がバレるのを恐れていましたが、今日はどうしたのでしょうか?」と言いました。
この時、義母が「唐さん、まだ話したいことがあります!」と私を呼びました。私が部屋に戻ると、義母は「金のネックレスも持っているのですが、どこに置いたか分からないので、それも探してみてください。他に、銀のブレスレットが二つ、金の指輪が一つあります。銀のカップ、銀のお椀のセット、銀の箸、銀のスプーンはあなたの家に持ち帰ってください。それから毛糸のセーターも。義姉が私に買ってくれたシャツやズボンも何セットもあって、どれも良い状態だから、持ち帰ってあなたが着てください」と言いました。私は「そういえば、金の指輪と金のネックレスはどこに置いたのですか? 私もやたらに家探しするわけにはいきません!」と言いました。義母は荒い息で「ああ、私も思い出せません! 順番に探してみてください」と言いました。
帰宅後、私は義母の家に行き、探し物をしました。二つの証書や権利書はすぐに見つかりました。しかし、金の指輪と金のネックレスはどこにも見つかりませんでした。義姉の注意深く探すようにという言葉を思い出しながら、それぞれの袋を開け、衣服のポケットを探ってみると、赤いショールの中にハート型の小箱があり、かなり繊細な作りで開けてみると、中にはペンダント付きの金のネックレスと金の指輪、それに白い指輪が入っていました。
翌朝、見つけたものをすべて義母のところに持って行き「これを見ていただけますか? 足りないようでしたらまた探しに行きます」と尋ねました。義母は一つ一つ見終わると、満足して「そうです、これです! 数も合っています」と言いました。そして、義母は金の指輪と金のネックレスを手に取り、私に「この二つをあなたに差し上げます!」と言いました。それを聞いた時、こんなことは許されないので、私は「全部はいただけません、この指輪を義姉に渡してください」と言いました。義姉は料理をしに台所に行きましたが、わざと避けているのが私には分かりました。しかし、義母は「いけません、この指輪はあなたの舅(訳注:義母の夫)が若い時に私にくれたもので、家宝なんです。部外者にあげるわけにはいきません!」と言いました。私は「それなら、このネックレスを義姉にあげてください!」と言いました。考えた末、義母は「それなら、このネックレスは彼女に渡しましょう」と言いました。
私は本当に恐縮でした! 義姉の料理を食べ、飲み物を飲み、義姉の家に住み、さらに義母の世話までしている義姉を部外者(嫁にやった娘)のように扱うのでしょうか? これを聞いた人はどう感じるでしょうか? 義母は義姉にネックレスを渡したものの、夕方には義姉がまた私に返しにきた時、「母はすべてをあなたにあげたいと言っています。あなたに返しますが、あなたの優しさに感謝します。私もネックレスを持っています」と言いました。これは私に対する義母の認可なのだとわかっていましたが、恐縮しました。私はどうしても義姉に渡したいと言いましたが、義姉はいらないと言ったので、私は「あなたがいらないなら、私は家に帰ります!」と言いました。すると、義姉はそれでは困ると思ったのか、しぶしぶ受け取りました。
それでも私は毎日義母と話をし、法輪功の真相と人の体の徳と業の関係を伝え、人はもっと徳を積んで業を作らないようにしないといけないと義母に伝えました。このように、義母の善の本質を引き出そうとすることは、身体的にも、その他の面でも自分にとって良いことでした。
ある日、私は義姉と2人で餃子を包みました。食べる分だけ包んで、残りの皮や具材は明日の分にしようということになりました。結局、お昼に完食した義母は「おいしい」と言い、午後からまた包んでほしいと言われました。午後4時に再び2人で餃子を包みました。饅頭も蒸しあがり、お粥もできあがったので、義母にご飯を食べるように言いました。しかし、義母は「食べません! 餡を入れてある入れ物には蓋もしておらず、埃だらけです!」と言いました。義姉はそれを聞いて唖然として、落ち着くのに半日かかりましたが、それでも怒ったように「私たちの家はそんなに汚いですか? しかも、全部埃ですか!」と言いました。私も楽しくなり「埃はどこでしょうか? 家の中はとてもきれいです! それに、餡を入れた入れ物は私が蓋をしました。見てください、この蓋はまだここにありますよ!」と言いました。今度は、義母は話をやめて、座って食事をしました。
食べ終わった後、私は食器を洗いました。その時、義母が義姉に「怒らないでください、私が間違っていました! こんな話を取り上げて言ってしまい、あなたを非難してしまいました」と言うのが聞こえました。義姉は笑って「お母さん、今後このようなこと言ってはダメですよ。人を傷つけますから」と言いました。私もうれしくなりました。なぜなら、ずっと強かった義母が、ついに自分の過ちを認め、謝ったことに私は驚きました。これはまるで太陽が西から出てきたかのようで、初めてのことでした!
このちょっとした出来事で、家の中に優しい春風が吹き込んできたような気がして、私はとても感激し、深い印象を残しました。
私はまだ自分がしっかり修煉できていないのはわかっていますが、真・善・忍の基準に従い、すべての事柄で他人を思いやり、法輪大法のすばらしさを自分自身で表し、反映させるよう努力することを決意しました。
法輪大法の穏やかで素晴らしい法の輝きが、永遠に世の中の善良な人々を照らすことを願います!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』