――法輪大法の病気治療と健康維持の奇跡的効果
文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年8月29日】世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関(IARC)が2021年に発表した「世界の最新がん負荷データ(2020年)」によると、がんと診断された新規患者数は世界で1,929万人。中でも顕著だったのは、乳がんが226万人となったことでした。女性の悪性腫瘍による死亡者数は443万人で、乳がんはそのうち68万人で1位でした。
乳がん患者の中には、様々な事情で法輪大法を修煉して生き返ることができた人もいます。病気で絶体絶命の危機に瀕している方々が、こうした実体験を知ることで、新たな希望の扉を開くことができるよう願っています。
(前文に続く)
新世紀テレビの女優 「乳がんの母親が、法輪大法で新しい人生を得た」
私は台湾生まれの王虹文です。2013年にカナダに移民し、カナダの新世紀テレビの女優となりました。
私が高校生の時、母は乳がんに罹り、家族は不幸のどん底に陥りました。母は化学療法から帰宅するたびに病気に副作用が重なり、痛みや嘔吐で苦しみ、どんどん衰弱してしまいました。同時に、母は将来のこと、特にまだ子供である私の弟や妹の世話ができなくなることを考えると、心配でしかたがありませんでした。その罪悪感と生きることへの不安、死への恐怖から、母は次第にうつ病を患ってしまいました。
肉体的、精神的な苦痛で、母は毎日涙を流していました。そんな中、私は毎日学校から帰ると、学校で出会った面白いことを話して、少しでも母を元気づけようとしました。しかし、私がどんなに努力しても、母に心からの笑顔はありませんでした。
そんな時、母は友人に法輪功を紹介され、修煉を始めました。当時、勉強が忙しかった私は、母が毎日朝早く煉功に行き、夜は出かけて学法するなど、かなり充実していると思うだけでした。しかし徐々に、母が秘かに泣いたり体の不調を訴えることがなくなり、煉功場で起こった奇跡的なことを私に話してくれるようになりました。母の興奮と喜びの表情に、私は嬉しくて自分の部屋で涙を流しました。母はようやく安堵した表情で、心の底から微笑んでいました。
当時の私は、法輪功について何も知りませんでしたが、母が大法を学んだことは幸いだと思いました。法輪大法は母を救ってくださり、私の家族に幸せを与えてくださいました!
映画『鳳蘭花開時』の主役王虹文さん、師父に感謝 |
乳がんが脳に転移し命を脅かす 大法を修煉し1カ月で快復
2016年、香港の陳さんは末期の乳がんと診断されました。そして化学療法からわずか1年後、残念ながら乳がんが再発し、がんは脳に転移しました。医師からは「余命1カ月」と宣告され、家族に後の事を準備してもらうように言われました。
命の危険にさらされて最も絶望していた時期に、友人から法輪功を紹介されました。もともと仏教を信仰していた陳さんは、『轉法輪』を読み終えると宝物を手に入れたような気持ちになりました。人生の多くの迷いが解かれ、新たな希望が見えた陳さんは、法輪功を修煉すると決意しました。修煉を始めた陳さんは毎日煉功を続け、心性を高めることを重んじました。
最初は歩くこともままならず、家事もできず、お風呂も途中で上がって休まなければならない状態でした。煉功を習いに近くの公園に行く時は、手助けが必要でした。第2式の『法輪樁法』を煉る時、立つことすらできませんでした。しかし、陳さんの修煉への決意は固く、諦めることなく、できる限り修煉を続けました。徐々に一人で公園に行って煉功できるようになり、薬を一錠も飲まずに1カ月で奇跡的に快復しました。
あれから6年間、陳さんのがんは再発しないばかりか、発病前よりも健康な状態になっていました。「以前は階段を少し上がるだけで息切れしていたのに、今はどこまで歩いても疲れません。病気がなく、身がとても軽いのです。末期がんの私が治るなんて考えたこともありません! 大法は私の人生だけでなく、私の家族全員を救ってくださいました!」と、陳さんは目に涙を浮かべました。
現在、陳さんと母親は毎日出かけていき、人々に法輪功の真実を語り、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と伝えています。陳さんは「より多くの人が法輪大法を修煉して、心身ともに恩恵を受けることを心から望んでいます」と語りました。
末期の乳がんで命の危険にさらされた陳さん 幸運にも大法に出会い、師父のご恩に感謝 |
絶望で人生の道が見えず、大法を修煉して生き返る
台湾の羅美華さんは早産で生まれ、小さい時から体が弱く、普段から薬が欠かせませんでした。2003年のある日、羅さんはポストに入っていた法輪大法のチラシを見て、病気治療と健康のためにやってみようと思いました。しかし、法輪功について何も知らず大切にしなかったため、大法とは、すれ違いました。
羅さんは2006年、病気を治療する気功に没頭しました。しかし2011年に乳がんの手術を受け、術後の放射線治療を受けるたびに体がとても弱り、めまいがして、生命力がどんどん抜けていくのを感じました。「もう生きていてもしかたない」という思いが、しばしば頭から離れませんでした。羅さんは落ち込み、人生に絶望していました。
2013年2月、羅さんは板橋で知り合いの法輪功学習者(以下、学習者)に出会い、神韻公演を観るように勧められました。
舞台の幕開けと同時に、羅さんは心を打たれました。最後まで感動の涙を抑えることができませんでした。その後、羅さんは「法輪大法の9日間セミナー」に参加し、一緒に煉功と学法をするようになりました。そして古い学習者や世話人について、大法を実証することや大法について伝える活動に参加し、本格的に修煉を始めました。
羅さんは、何度も9日間セミナーに参加しました。新しい学習者のように時間を守り、真剣に李洪志師父の説法ビデオを見ていました。法輪功を修煉して十数年が経ちましたが、羅さんは一度も健康保険カードを使ったことはなく、薬を飲んだこともありません。体はとても健康です。「私は生き返りました! 師父は私を救ってくださいました。新たな人生を与えてくださったのです! 師父のご恩に感謝します!」と羅さんは心から感謝しています。
「私は生き返りました! 命を救ってくださった師父に感謝します!」 という羅美華さん |
乳がんが治り、枯れた木に花が咲く
聶歌さんは「私はとても不遇な人間で、この世の不幸をほとんど味わいました」と以前の自分の人生を振り返りました。
1990年に聶さんは乳癌になり、病院で手術を受けました。手術後、化学療法と大量の薬を服用したため、骨粗しょう症になりました。しかし当時、その薬が原因で重度のカルシウム欠乏症となっているとは知りませんでした。1994年5月のある朝、長春市吉林工業大学に勤める聶さんは、自転車通勤中に足をひねったところ、左腿脛、腓骨の2カ所を骨折してしまいました。
「そこで、乳がんの術後の薬の飲みすぎによる重度のカルシウム不足だと初めて知りました。病院で1カ月間ギプスをして、続く1ヶ月間は添木で固定しましたが、骨は一向にくっつきませんでした。結局、もう一度手術をして鉄板を体に埋め込み、鉄のホッチキスで固定することになりました。肉体労働はできないし、重い物を持つこともできません。歩く時は小さな石ころさえ避けなければならない状態でした」と当時を振り返ります。
4年後、聶さんは2回目の乳がん手術を受けました。病気の苦しみは耐え難いものでした。
転機が訪れたのは、1995年5月21日です。その日、勤務先で昼休みの時、同僚から「私と一緒に煉功に行きましょう!」と誘われました。聶さんは好奇心から、同僚について法輪功の煉功場に行きました。そこで、穏やかな音楽を聴きながら煉功をしていると、すぐに体が軽くなり、非常に心地よく感じました。
当時、法輪大法の書籍はとても人気があり、なかなか手に入りませんでした。「『轉法輪』を読んでいた同僚は、私に『法輪功』を貸してくれました。家に帰った私は、一気に読み終えました。この本に魅了され、何度も繰り返し読みました。病気を治そうとは思っていませんでしたが、読んでいるうちに体が急速に快復し、しっかり歩けるようになりました。足元で石などにぶつかっても、問題ありませんでした。それからは家事もでき、自転車に乗ることもでき、うつの症状もなくなりました。がん患者として毎年手当を受けていましたが、修煉して病気が治ったので、自ら手当を辞退しました」
1999年7.20以降、中国共産党は法輪功を迫害しています。聶さんは大法の修煉を放棄しなかったため、1年6カ月の間に、4回の連行、不法監禁、そして拷問を受けました。2009年4月、聶さんは西側諸国のカナダに移住し、新たな人生を始めました。
聶歌さん |
(続く)