【ベトナム語明慧】師父が修煉を導かれ、師父を信じ法を信じることが鍵
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 文/海外の大法弟子

 【明慧日本2022年10月2日】

 尊敬する師父、こんにちは!
 同修の皆さん、こんにちは!

 明慧修煉交流会の体験論文募集を受け取った時、私はチームメンバーに投稿するよう励ましたものの、最初は自分自身について何を書けばいいのか迷いました。私の仕事は比較的静かで、修煉の中でほとんど人と接することはなく、そして長い間毎日同じ場所にいるため、自分には面白そうな事や共有する価値のあるものを見つけることができませんでした。例えば「どんな困難を経験したか? 自分はどう思ったか? どうやって心性を高めたのか?」など、細かいことはほとんど忘れていたので、どこから書けばいいか迷いました。そこで、私は過去の同修たちの体験文章を参考にして、ヒントを得ることができましたが、いざ自分のことを書こうとすると、なかなか進みませんでした。私は「ほかの同修に役に立つ素晴らしい体験談を書けるように」と、師父に助けをお願いしました。しかし、考えてみると、このような心も捨てるべきだと気づきました。こうして、ある点から書き始め、その過程で起きたことを思い出しながら自然に書くことで、この文章を完成することができました。

 一、明慧チームに参加する機会を大切に

 私は明慧チームに参加してもう10年近くになります。休日や祝日もほとんど休んだことはありません。修煉を初めた当初、明慧ネットで文章を読んでいる時、「もし訳文の文字がもっと細かく潤色され、言葉使いや表現がもっと自然になれば、読者に大法の素晴らしさや大法弟子の風采をよりよく感じることができるかもしれないし、彼らもそのために法を得られるかもしれない」と思いました。

 師父は、説法の中でこのように語られました。「明慧ネットは、一つのマスコミなので、直接大法弟子の修煉状態を報道していますが、マスコミとして後の人に残されると思います。後の人に残さなくても、未来の人は『明慧ネット』という名を極めて大切にし、場合によっては常人社会の大手マスコミになる可能性さえあります。私はこのようになると思います」[1]

 私は「後世の人々が歴史的文献の源として続けて明慧ネットの文章を読むだろう」と思い、明慧チームの一員になって、翻訳の質を向上させたいと考えていました。間もなく、私は同修に明慧ネットの仕事を紹介されました。責任者に「希望する部署はありますか?」と聞かれた時、「人手の足りないところがあれば、どこでもいいです」と言いました。こうして、私は ニュース報道部と大法の真実を伝える部署に配属されました。

 私は通常、読者の立場に立って、分かりやすく自然に聞こえる方法で翻訳しています。ほとんどの読者になじみのない用語や概念があった場合には、いろいろ調べたりしてよく研究をします。スペル、句読点、単語の選択、表現に気を配りながら、最高の品質で、できるだけ早く翻訳を完成させるよう心がけています。担当者は、私が翻訳した記事をほとんど修正する必要がなかったと言ってくれました。しばらく翻訳の仕事をしていると、校正者の不足で1日に掲載できる記事の数が限られていることに気づき、校正を担当することを申し出ました。その後、時事ニュースや真実を伝えるグループの担当者として配属されました。 このグループは主に翻訳の誤りを修正することです。私は定期的に翻訳におけるよくある間違いをグループで共有し、翻訳に一貫性と共通の基準をもたらすために、全員が使えるスペルやフォーマットのガイドラインを用意しました。

 新しい翻訳者がチームに参加した際には、翻訳文の誤りを訂正したり、改善点を提案したりして、指導しています。翻訳に繰り返し間違いがある場合は、何年経っても、何度でも訂正することを厭わないのです。このように一歩一歩積み重ねていくことで、メンバーはますますプロフェッショナルになり、翻訳の質も着実に向上していきます。しばらくして、1人の翻訳者が校正を分担できるようになり、もう2人もほかの翻訳チームの校正に携わることでスキルアップしていました。

 現在、私たちのチームは主にニュース報道を担当しており、報道はできるだけ早く翻訳し、掲載する必要があります。「5.13」や「7.20」など大法の重要な日はもちろん、中秋節、クリスマス、元旦、旧正月などに当たると、1日に20本以上の記事を処理しなければならず、それが2週間から3週間続くこともあります。

 明慧チームの同修たちは多くの場合、大法の他のプロジェクトにも参加しており、そして通常の仕事と家のこともしなければなりません。そのために、ログシートを設定し、各メンバーに自分に可能な毎週の目標を設定してもらい、それによって自分の進捗状況を確認するようにしています。さらに、私は各メンバーと話し合い、個人の能力と希望に合った作業を割り当て、翻訳、校正、チェックの各セクションに、それぞれ少なくとも2人が担当することを確保することができました。このシステムによって、私たちはお互いに協調して翻訳の品質を保ち、時事ニュースや評論部分のすべての記事を完成させることができます。また、臨時的に心性交流の文章があった場合、その翻訳も分担することができます。

 二、明慧は、師が法を正すことを手伝う私の使命

 明慧での仕事は私に多くの知識と経験を与えてくれました。修煉の中でトラブルに遇った時、私は明慧ネットで自分の問題を正確に反映した交流の文章を探して読み、自分を向上させるようにします。法輪功迫害の真実を伝える文章を処理する時、迫害の中での中国国内の同修たちの苦痛を、身をもって感じています。何回か『轉法輪』を読む時、師父がすでに弟子たちにこの迫害を事前に伝えられ、なぜ起きたのか、さらに、拷問の具体的な形とどのように乗り越えるのかまで言及なされたことを感じました。師父はすべてを予見なされています! 時事ニュースを処理する時、私はまるで師父が世の中で一歩一歩法を正される過程が見えたような気がしました。また、人々が法輪功迫害の真実を知り、大法と大法弟子を保護する記事を読むと、時々感動して涙が流れます。これは私がほとんど寂しさを感じない原因かもしれません。私の修煉の環境が比較的に孤独であると言えば、この状態は、実は師父が私に按排してくださったことを理解させ、悟らせるためです。

 明慧チームのメンバーはみなボランティアですが、同時に高度な安全性が求められています。みんな黙々と仕事をしており、 対面でのミーティングはなく、コミュニケーションはすべてオンラインで行われます。グループリーダーである私もほかのメンバーとほとんど面識がありません。私たちの仕事は、長年同じような内容で繰り返され、効果を測ることもできず、人を退屈にさせることもあります。だんだんと意欲を失い、落ち込んでしまう同修もおり、最後にはチームを離れることもあります。私自身も疲れ果てて、学法煉功をする時間もなくなり、心身ともに苦しくなった時期もありました。

 衆生済度の緊迫性とプロジェクトの潜在的な発展性から、私は大法の別のプロジェクトに参加するようにと説得され、それに応じました。しかし、これでは明慧の仕事をする時間が足りませんでした。そこで明慧の仕事をある同修に依頼し、私は別のプロジェクトに専念することにしました。しかし、しばらくしても、その同修は私の仕事を引き継ぐ時間がとれませんでした。ほぼ同じ時期に、グループのもう1人の校正者も忙しすぎて、グループ全体に頻繁に間違いがありました。その時、私は、どのプロジェクトもうまくいかず、自分の修煉の状態にも問題があったことに気づきました。以前のように朝早く起きて煉功することができなくなり、学法する時は眠ってしまい、頭の中に常人の観念が浮かび上がり、そして、体に病業の状態まで現れました。

 師父は、「ほかのマスコミが一つなくなれば、別のマスコミがその代わりになり得ます。明慧ネットがなくなったら、どのマスコミもその代わりにはなれません。ですから、明慧ネットは続けて運営されるだけでなく、しっかり運営しなければなりません」[1] と説かれました。

 大法のプロジェクトは、ほかの空間で一つの生命の体系であると悟りました。明慧チームの一員として、私の存在自体はその体系に属するかもしれません。私の明慧に対する責任を無視したことは、自分の命に対する無責任です。他のプロジェクトに支配されて明慧を無視している間、私はずっと調子が悪く、何か足りないような感じで、そして自分の修煉にも影響を受けました。明慧は私が最初に参加したかった大法のプロジェクトです。私の心の中で、明慧は、師が法を正すことを手伝う私の使命であり、誓いでもあり、私は自分の誓いを果たさなければなりません。

 そこで、私は別のプロジェクトの仕事を調整して、明慧の時間を確保することにしました。私の修煉も素早く精進した状態に戻りました。この過程で、師父が常に私たちを見守ってくださるのを感じました。例えば、人手不足に直面しても、私たちは動揺せずに努力を続け、しばらくすると新しい人が入ってきて助けてくれます。これも私が明慧を持続できるかどうかの試練かもしれません。

 三、佛法無辺 固く師父を信じ、法を信じる

 2020年8月、私が発正念をしている時、娘は私たちが読めない4つの漢字を見たと言いました。私は娘にそれを描いてもらい、中国語が分かる同修に聞いてみると、その4文字はなんと「佛法無辺」でした。

 この件の前、私はベトナム語の『轉法輪』を学びたがりませんでした。たまに、私は『轉法輪』の中で自分を啓発できる内容を、翻訳ツールで中国語にして読んでみます。中国語の『轉法輪』が読めるようになりたい気持ちが強かったのです。中国語で学法できないことは、私にとって最大の遺憾になると思いました。

 また、私は多くの中国語の明慧の文章が英語版の内容より詳しく、法理における認識もより深いことに気づきました。私は文章のすべての内容を伝え、読者に全文をよりよく理解し、修煉に役に立つことができればと思いました。しかし、当時中国語が出来ない私には、正式な中国語の授業を受ける時間がないため、中国語の『轉法輪』を学ぶことで勉強するしかありませんでした。その過程で、たくさんの奇跡が現れました。

 その後、私は翻訳ツールを使って明慧の文章を翻訳する練習を始めました。最初は、中国語の文法や入力に慣れていなかったため、間違いが多かったのです。そのため、私は中国語の文章の中で、いくつかの観点だけを抜粋して英語版の翻訳に補足します。そして次第に、より長い段落を翻訳することができました。私は毎日中国語で学法し、そして中国語で法を暗唱しています。今、私は中国語の明慧の文章をベトナム語に翻訳することができ、英語版を参考にすることもできます。最初は、中国語の一段落をベトナム語に翻訳するのに長い時間がかかりましたが、だんだんと読みながら理解して翻訳することができるようになり、特に修煉の状態が良い時には、作者の本意をより正確に翻訳することができます。

 向上する過程は平凡で、毎日三つのことをしっかり行う以外には、特別な努力はしていません。振り返ってみると、私の修煉と翻訳がまた一歩前進したことに気づきました。私に知恵を与えてくださり、私を導いてくださり、修煉を高めさせてくださる師父に感謝します! 今は早く起きて学法と煉功をすることができ、発正念も以前よりしっかりと行っています。

 私にはまだまだ十分にできていない面がたくさんあります。しかし、私は師父の按排してくださった道を歩む限り、必ず向上する方法を見つけると信じています。

 明慧のような高いレベルのセキュリティを必要とする重要なプロジェクトに参加して、私たちは黙々と仕事をしなければなりません。仕事においても修煉においても、直接会って支え合う機会はほとんどありません。しかし、私はとても恵まれていると思います。それは、長年無私で献身的な同修たちと仕事をする機会があったからです。不足のところがあれば、ご理解、ご指摘をお願いします。

 私を見守ってくださり、導いてくださる師父に、心から感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『明慧ネット十周年法会での説法』

 (2022年明慧多言語部門法会の発表文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/9/29/450131.html)
 
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