【明慧日本2022年9月29日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は2011年に修煉を始め、2012年初めに幸運にも明慧プロジェクトに参加することができました。
明慧での10年の歩みを振り返ってみると、決して短い期間ではなく、私の修煉を成熟させ、多くの思い出を残してくれました。
今日は、私が明慧で歩んできた10年間の体験を皆さんと分かち合いたいと思います。
1. 師父がすべて按排してくださり、私達は確実に行うだけである
2012年初頭から、ベトナム明慧で英語記事からベトナム語に翻訳を始めましたが、中国語記事から翻訳をしたいと心に思うようになったのは、それから間もなくのことでした。当時、明慧プロジェクトの同修一人が文章校正をしてくださり、翻訳の誤りを指摘してくださいました。 翻訳チームに入ったばかりの頃、私が翻訳した文章には間違いが多くありましたが、彼は不満を言わず、それどころか「気落ちし落ち込まないでください」と励ましてくれました。時間が経つにつれて、私の翻訳レベルがだんだんと上がっていきました。 その後、中国人の翻訳者が増え、私は他の同修の翻訳を校正することになりました。
あるとき、ベトナム明慧の協調人から、真相を伝える中国語ビデオの翻訳の依頼を受けました。私のチームは翻訳できるのですが、映像の編集が出来る人がなく、当時は少し躊躇していました。その後、中国人の翻訳者が、彼はかつて真相を伝えるビデオ制作グループに参加していたので、ビデオに字幕をつけることができると言っていました。 私はとても嬉しくなり、この問題はこんなに簡単に解決できました!と自分に言い聞かせました。
ビデオの内容を翻訳した後、私はこの同修に渡して字幕をつけてもらいました。彼から完成したビデオを送ってきた時、見たあとの最初の一念は「なんて体裁が悪く不細工に作られているのだろう」と思いました。彼は文字の背景に赤色を使っていて、読みにくいだけでなく、字体も小さくて太く、見ていては本当に不快になりました。私は心の中ではとても失望し、いくら考えても、どうすればいいのか分からなくなりました。 そこで私は内に向けて探し、自分には歓喜心、同修に対する過度の依頼心、さらには自分を実証する心、つまり顕示心があることに気づきました。翌日、その同修と話し合い、修正を求めましたが、しかし彼は仕事が忙しく、すぐには修正できないと言いました。 そのビデオは一時的に、制作中止せざるを得なかったのです。 その時は、どうしたらいいのかわからず、ただただ奇跡を願っていました。
その2週間後、たまたま別のメディアプロジェクトで仕事をしていた同修が、真相を伝える文章の校正を手伝いました。 その文章の中に、彼は私が手がけたビデオと同じ内容の生体臓器狩りの調査の話がありました。彼は、このテーマで、もっとベトナム語で真相を伝えるビデオが欲しい、と言っていました。 早速、私が出遭った困難を彼に話しました。 驚いたことに、彼はビデオの編集を手伝うと言ったのです。私は心の中で疑っていました。ですから興奮することもなく、ビデオと翻訳した内容を彼に送り、字幕をつけてもらうことにしました。数日後、彼はそれを私に送り返し、まだ編集する部分が残っていたものの、ようやくビデオが完成したのです。 その後、明慧のために何本かビデオを作りました。 同修の手助けを按排してくださった師父に感謝しました。
さらにある時、プロジェクトの協調人が明慧ラジオのチームを増やしたいと提案されたとき、すでに何人かの同修がその任務を引き受けていました。 当時は、録音の後の処理が全然楽ではないと思ったので、参加しようとしませんでした。私は翻訳の仕事が好きで、他のことに時間を割(さ)きたくなかったのです。 当時、私はこの自分の考えが、自分の自我、失われることに対する恐れ、苦難に対する恐れからきていることに気づいていませんでした。 しかし、しばらくしても、ベトナム語の明慧ラジオのチームには進展がありませんでした。
その後、プロジェクトの学習者と学法する時、問題解決の糸口を見つけるための交流を行いました。以前、私は常人のメディア会社で解説員の仕事をしたことがありましたので、このチームに参加することに決め、一人の同修が録音用のマイク2本を買ってくれました。 私はプロジェクトに参加している翻訳の同修数人に相談し、彼らに録音のテストをしてもらい、彼らの声が適しているかどうか確認することを提案しました。 幸い、3人が参加してくれることになり、2本のマイクを使って録音をしました。
また、同修にお願いして、音声ファイルの編集技術も教えてもらいました。 当時は、これらの工程に不慣れだったこともあり、仕事が進まなかったのです。しかも、同修にとって初めての録音であり、未熟であったために間違いも多く、録音品質が基準に達していないこともあって、何度も録音し直さなければなりませんでした。収録は2時間かかりましたが、私も一つの音声ファイルの編集をするのに2時間近くかかり、言うまでもなく、収録のための文章の準備まで気が回りませんでした。時には悔しく感じ、心のなかでどうしてこんな面白味のない仕事をしなければならないのか、と思ったこともありました。この録音をどれだけの人が聴いてくれるかは分かりませんが、多くの人の努力と時間を費やしています。
師父は、私の考えをすべてお見通しのようです。師父は放送に対する好意的なフィードバックをたくさん聞かせてくださり、私の仕事を続ける原動力となりました。私の正念がだんだんと強まり、悔しさがなくなり、ただ、師父が私に行ってほしいと望んでおられ、しっかり行わなければならないと思いました。すると、思いがけず、映像の技術的な作業を手伝いたいという同修が増え、その後、ある同修がこのチームの全体の責任を担ってくれました。ラジオのチームに参加する録音や技術サポート者が増えました。 今では、ラジオチームは幅広いテーマを収録することができるようになりました。 チームが独立して仕事できるようになり、私は録音する文章を選ぶだけでよくなりました。
師と大法を信じ、固くに正念を保ち、よく協力すれば、進む道は必ず広々なり、どんな困難でも克服することができるのです。そして、師父はすでに私のために道を切り開いてくださり、ただ、私が歩き通すことができ、心から望めば、師父が私のためにすべてを細心に按排してくださいます。
2. 全体の協調が巨大な力を生み出す
ラジオチームは2017年後半に結成され、現在15人のメンバーがいます。私はこのチームに関わる中で、同修を尊敬し、敬服をしていました。家族が修煉していない同修は、安定したレコーディングスタジオもない中で、5年間続けてきました。ある同修は、小さな子供がいて、あるいはプレッシャーのかかる仕事をしながらも、根気よく続けています。 また、忙しい同修もいますが、緊急の問題があれば、いつでも解決に協力してくれます。
チームの中で、文章を選択する人、収録前に文章をチェックする人、公開前にファイル全体をチェックする人など、役割分担を明確にしています。また、ナレーターにも、それぞれの各自の文章の分類、ラジオの長さ、週や月に発表されるラジオの数を確保する責任を担ってもらっています。 技術チームもそれぞれの役割を担っています。一見、順調に進んでいるように見えるラジオチームですが、実際には衝突や軋轢が多くありました。 同修はみんなボランティアでやっているので、しばらくは録音の品質が基準に達していませんでした。
私たちはこの問題について調べ、いくつかの解決策を見出そうと話し合いをしました。
まず、参加する同修にノルマを設定し、一定期間を経て結果を再確認します。 もし録音状態や編集したファイルが基準に達していない場合は、同修に声をかけ、何が原因なのか、どうすれば改善されるのかをさらに話し合います。
その次に、私達は週1回のグループ学法と交流を行い、各メンバーが月に少なくとも1回はグループ学法に参加するようにしています。 毎回の学法の後、グループのメンバーに修煉体験を発表してもらっています。
しかし、ある時期から上記のようなプロセスが達成できなくなり、グループ学法にもいくつかの問題が生じました。 私は、グループ学法の状態は、ラジオチーム全体の状態も反映していることに気づきました。
まさに師父は「法をしっかり勉強できなければ、多くのことをしっかり行うことができません」[1]と説かれました。
実際には、メンバーが増えた直後から、ラジオチームはオンラインで学法を始めました。 一時期は月1回、対面で学法できましたが、その後、中共ウイルスの流行もあって都市封鎖となり、私達は対面での学法が続けられなくなりました。当初は、メンバーが良くグループ学法に参加していましたが、しばらくすると徐々に欠席者が増えました。 時にはグループ学法に参加するメンバーは2、3人しかいませんでした。
また、グループ学法後の交流もよくありませんでした。時には、同修一人ひとりに交流をお願いしていましたが、しかし少し無理強いするようなところがあり、全体の雰囲気がよくありませんでした。
グループ学法への参加については、当初、一部の同修にショートメッセージを送り、学法の時間を知らせていましたが、その後、送らなくなりました。 私は落胆し、あきらめたくなり、もう世話をしたくなくなりました。 心の中で不満不平を言い、私は忙しく多くの仕事をかかえているので、私は小さい子供の面倒を見なければならず、あなた達はどうですか、まだ独身で子供のいない人もいる、忙しい訳がなく、私より忙しく学法に参加できないと言えますか? このまま続けば私達はもう一緒に学法できなくなります。
しかし、この時、私は師父の説法を思い出しました。「皆で一緒に法を勉強することは私が皆さんのために切り開いた環境であり、皆さんのために残した形式です。やはりこのようにすべきだと思います。なぜならば、これは実践してきたことであり、このような修煉が学習者を最も早く向上させることができるからです」[2]
この学法グループは、師父がラジオチームのために按排してくださった環境であり、何があっても絶対放棄しないと思いました。 たとえ2、3人しか学法に参加しなくても、師父が私達に堅持するようにと言われれば、私達は最後まで続けます。 私にこの考えが現れた時、次のグループ学法の際、より多くの同修が参加してくれました。そして、私達はどのようにして学法の環境を守ればいいのかについて交流し、全員一致で心を開いて自分の修煉を分かち合い、プロジェクトでの仕事上の困難と問題を交流したことによって、同修間のトラブルと隔たりをなくし、よりよい協力関係を築くことができました。
交流を通して、私達はメンバー一人ひとりの状況をより深く把握し、お互いを叱責するのではなく、問題解決に協力する方法を見つけることができました。 また、お互いに励まし合いながら、一緒に誓約を果たすことを約束しました。
これまで、ラジオチームはマイホームのような存在で、心を開いて協力し合い、よりよく仕事を行っています。 今回の交流を通じて、同修の皆さんは一緒に仕事できる環境と機会を大切にし、より一層仕事に邁進され、師父にについて家に帰れることを願っています。
私の修煉や法を正す良い環境を按排してくださった師父にとても感謝しています。同時に、長年にわたり私を包容し、支えてきてくださった同修に感謝します。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」
(2022年明慧多言語部門法会の発表文章)