1996年に師父に出会った至福の時を思い出す
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文/米国の大法弟子

 【明慧日本2025年4月14日】先日、明慧ラジオの「師父を偲ぶ」という明慧ラジオの番組を聴きました。とても感動しました。

 私は様々な同修の回想を聞く中で、師父が経験された苦難と、衆生への慈悲の心を深く感じました。また、この明慧ラジオを通して、私自身もより一層精進して修煉に励むよう促されました。

 私が師父にお会いする機会に恵まれたことは大変幸運で、一つ一つの機会が本当に貴重でした。ここでは、私が初めて師父にお会いした時の貴重な思い出を、同修たちと分かち合いたいと思います。

 1995年末、私はアメリカで法を得てから数カ月後に、北京に戻りました。私は法を得た後、北京に戻ったのはこれが初めてであり、また最後でもありました。私は馴染みのある匂いが、まるで故郷にいるかのような気分にさせてくれました。

 アメリカから他の学習者も北京に来ていました。最初は酒仙橋近くの小学校で、地元の学習者が餃子を作ってくれました。私は皆で小さな椅子に座って餃子を食べていた光景を今でも鮮明に覚えています。

 その後の数日間、私は北京から来た多くの大法弟子と交流しました。皆さん本当に良い方ばかりで、私に心を開いて法を学び、修煉する経験を分かち合ってくれました。当時のことを思い出すと、私は本当に心が温かくなります。私はこの修煉体験交流に参加した人の中には、後に間違った道に進んでしまった方がいらっしゃったのは残念です。幸いなことに、ほとんどの方は今も変わらず修煉の道を歩み続けています。

 何人かの古い学習者が、師父が一時期そこに滞在され『轉法輪 巻二』を執筆されたと伝えられている戒台寺を訪れるよう勧めてくれました。私は選仏場を見学し、最後まで修煉し、師父について真の家に帰りたいと心の中で静かに誓いました。

 幸運にも、第二砲兵講堂で開催された修煉体験交流会に参加することができました。私は修煉を始めてまだ数カ月しか経っていませんでしたが、修煉者同士の修煉体験交流から多くの学びを得ることができました。それまで、修煉の仕方を全く知らなかったと実感しました。

 私もその場で発言し、法を得た喜びを皆と分かち合いました。私は1995年に法を得、初めて読んだ本は『轉法輪』でした。両親が誰かにその本を持って来るように頼んでいました。初日は夜遅くまで読み続け、結局カーペットの上で寝てしまいました。私はその後も何度も読み返し、読むのを止めることができませんでした。

 私はこの本を読むたびに、まるで新しい本を読んでいるような気持ちになりました。今まで読んだことのない段落が多く、自分があまりにも不注意に読んでいたと感じました。どうしてこんな段落を見逃してしまったのでしょう? 時には、本を読みながら興奮しすぎて、何度も太ももを叩いてしまうこともありました。両親に手紙を書きました。「『轉法輪』を届けてくれてありがとう。これは私に第二の人生をくれたことよりも大切なことです」

 1996年1月1日は、私にとって忘れられない日です。月壇公園の会議室で、初めて師父にお会いしました。師父はとても優しく、慈悲深く、そして若々しい方でした。私が師父と握手をしたのは、この時が初めてでした。師父の手は温かく、まるで綿のような感触でした。ある古い修煉者がこう言っていました。「真の修煉者であれば、師父の手は温かく柔らかな感触を感じるでしょう。もしあなたの態度が正しくなく、問題を起こしたり、法に挑戦しようとしたりするなら、まるで鉄板を握っているような感触になるでしょう」

 法会にはスウェーデン、イタリア、フランス、シンガポール、香港、アメリカ、カナダなどの国から、多くの学習者が参加しました。師父はこれらの海外学習者からの質問に、辛抱強く丁寧に答えてくださいました。

 私はとても興味があったので、師父の話を録音して、後で自分で聞きたいと思っていました。アメリカから持ってきたビデオレコーダーを使いましたが、動画を撮るつもりはなかったので、レコーダーを人に向けず、ただ音だけを録音したかったのです。後になって、ビデオテープには何も録画されていなかったことに気づきました。録画ボタンを押したことは覚えていたので、本当に奇跡だと感じました。

 その時、私は自分が間違っていたことに気づきました。大法の要求を守らなかったからです。師父が各地で行った説法は後に正式に書籍として出版され、師父は録音テープをすべて破棄するよう指示されました。私は師父の説法テープをたくさん集めていました。本当に気が進まなかったのですが、今回は法の要求を守ろうと決意しました。

 法会中に私はある質問をしました。仏陀、道、そして神は皆圓満を得た存在で​​す。ですから、彼らは既に名利や縁への執着を捨て去っているはずです。師父は以前、あらゆる階層に高次の存在がいるとおっしゃいました。では、彼らはそれぞれの階層に固有の執着を持っているのでしょうか?

 師父は、私はそのように理解すべきではないと答え、別の観点から道の様々な段階を説明されました。

 この経験を通して、私は自分の中に問題があることに気づきました。それは、大法を研究し学ぶ際に、自分の知識、論理、概念を当てはめてしまうこと、言い回しや言葉遣い、言葉の選択に過度にこだわっていたことです。

 他の人が見つけられなかった深遠な神秘を見つけたいと思い『轉法輪』を何度も読み返しました。例えば、頭韻詩や特別な秘法などです。本に記された法理はすべて受け入れることができましたが、それでも一つ疑問がありました。「法はどこにあるのか?」これほど広大な法は、決して容易に得られるものではないと感じていました。その後、修煉を深めるにつれ、ついにこれが法であると理解しました。師父は、この宇宙における法理の最高峰を、最も平易な言葉と最も明確な論理で説明してくださいました。

 かつて『轉法輪』を読んでいた時、『第四講』の第一章を最後の段落まで読んだ時、突然光明(こうみよう:明るく輝く光)が見えたような気がしました。私はまるですべてを理解したかのようでしたが、どんな言葉でもそれをはっきりと表現することはできませんでした。私は一瞬にして心は千里も離れたところまで駆け抜け、そして突然戻ってきたかのようでした。私は全身が自由になり、素晴らしい感覚に包まれました。師父の法が全てを包み込んでいるように感じました。私はあの素晴らしい感覚を言葉では言い表せません。

 師父は私たちに大法を授け、法を学ぶための秘訣を辛抱強く教えてくださいました。大法を学ぶには、自ら実践し、日常生活の中で実践しなければなりません。そうして初めて、その奇跡的な本質を体感できるのです。これは、低次元の法や低次元の道教の手段では決して得られませんし、法を読む際に言葉遣いや、言葉の選択にこだわることでも、得られるものではありません。

 法会の後、師父は会合に出席した人々と集合写真を撮られ、さらに全員に、師父自らの言葉が下部に書かれた師父の肖像画をプレゼントされました。

「幻のために迷っている世人を静かに観ています」。(『精進要旨』「境界」)

 出発前に、アメリカから来た同修が師父の手を握り、アメリカに来てくださるようにと誘いました。師父は少し間を置いてから「いずれ分かるでしょう」とおっしゃいました。

 法会の終わりに、北京の古い学習者が、師父が最近出版された詩(『洪吟』「洪」)を朗読しました。

「蒼窮は無限に遠く 
 念を移せば眼前に到る 
 乾坤は無限に大きく 
 法輪は天地に旋る」

 あっという間に20年以上が経ちましたが、師父に初めてお会いしたあの至福のひとときを、私は今でも鮮明に覚えています。師父の法を正すために20年以上お供をしながら、私は様々な困難を乗り越えてきました。私たち同修が皆、法を得た時のように修煉し、残された修煉の道を正し、正しく歩んでいくことを願っています。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/8/436431.html
 
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