私たちは大法に従い、明慧ネットの立場を重視すべきだ
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2025年4月14日】ある学習者が別のウェブサイトで共有した記事が大変好評を博し、学習者の間で広く伝わりました。その記事の作者は、自分の正念は他の空間でも威力を発揮すると述べていました。しかし、正念を発する際には、彼は師父の教えに従わず、師父が教えてくださった口訣を唱えるのではなく、自分の約500文字ほどの口訣の理解を述べてから正念を発していました。これは他の空間でも威力を発揮し、効果があるように思われたため、ある古い学習者が強く推奨し、学習者の間で広めました。その結果、一部の学習者が作者を崇拝し、同じように正念を発するようになりました。

 新たな正念発法を考案して伝えた学習者と、その記事を広めてその方法を利用した学習者は、法を乱していると思います。
私たちは法をよく学び、自分の好みではなく、法に基づいて善悪を判断するべきです。

 師父はこう説かれました。「法を師とする」(『法輪大法義解』「北京法輪大法輔導員会議での提案」)

 しかし、他の学習者を盲目的に崇拝する学習者もいます。彼らは、他の学習者の修煉がよくできている、法をよく暗記している、あるいは強力な神通力を持っていると信じています。

 明慧ネットは、法輪大法に関するニュースや師父の記事が掲載される信頼できる情報源です。私たちの修煉に役立つ優れたリソースを備えたプラットフォームです。明慧ネットに対する学習者の態度は、その人の修煉状態を反映しているように感じます。

 明慧編集部の「近日中に、7月22日以後の2つ目の真の新経文が掲載される」(2000年6月15日)には、師父が私たちにこうとかれたと書かれています。「…重大な問題の場合は必ず明慧ネットの態度を見てください」

 多くの学習者は長年修煉していますが、それでも明慧ネットに関心を示さない人がいます。彼らは他の学習者から学び、その記事を他のウェブサイトで広めることに熱心です。私は、それらの記事を読むべきではないと言っているわけではありませんが、注意が必要です。もし内容が法や明慧ネットの立場に合致しないなら、ダウンロードして学習者に広めるべきではありません。

 多くの修煉者は、新しく興味深いものや噂話、あるいは他人の功績を自慢する話を読むのが好きです。これは彼らの強い執着心を反映しており、こうした執着心の影響で、彼らが良いと考えるものも実際にはそうではないかもしれません。

 師父はこう説かれました。

 「佛家と道家が正法とされるのは、宇宙の特性が佛家と道家の修煉方法にかなったからではなく、佛家と道家の修煉方法が宇宙の特性にかなっているからです」。(『轉法輪』「第五講」)

  同修の皆さん、心性の向上と、修煉を深めたいなら、他の修煉者のやり方を読んだり学んだりするのではなく、法を学び、内に向かって探さなければなりません。

 師父はこう説かれました。

 「では、一部の僧侶は一旦常人の言葉、自らの見解で佛典を解釈したり、本を書いたりすると、ただちに人々を彼の枠に連れ込んでしまうことになります。彼は佛典の意味合いを定義したのです。釈迦牟尼佛の説いたそれほど高い話、それほど多くの意味合いを、彼は悟らなかったのです。次元が低いからです! しかし、佛を修めている人が彼の言った話を信じてしまえば、彼は人々を彼の思想の枠に連れ込み、制限してしまうことになります。このように、彼は人々に佛を学ばせているようで、良いことのように見えますが、彼は佛法を破壊しているのではないでしょうか? 佛法を破壊するには異なる形がありえます。破壊している人は佛法を称えているようですが、実は法を妨害しています。このような破壊は最も紛らわしく、見抜きにくく、最もひどいのです。これが釈迦牟尼佛の法がインドで失われた原因です」。(『轉法輪(巻二)』「佛教の中の教訓」)

 発正念の方法を変えた学習者たちは、法理から正念を発することをより良く理解し、その要領を身につけるために、師父が書かれた経文をよく読んでください。また、明慧編集部の関連文章も参考にしてください。「正念を発することについて」。(2001年11月26日)、「正念を発する時の要領と全世界同時に正念を発する時間について」。(2004年10月14日)などなど。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/22/491885.html
 
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