ウイルスに感染した母親の世話をする修煉体験
■ 印刷版
 

 【明慧日本2022年11月7日】9月18日、日曜日午前4時過ぎ、母はベッドに横たわることなく、1時間以上も床に倒れたまま起き上がれず、私が気づき、母を抱き起こしました。数日前から咳をしている母の様子がおかしいことに気づき、すぐに簡易PCR検査をし、母は新型コロナに罹ったと確診し、急いで救急車を呼び、成大病院に運び、診察を受けました。

  母は、手足の脱力感、咳、微熱、食欲不振などの症状が見られ、90歳で高齢のため、新型コロナウイルスの予防接種を受けておらず、救急外来でいくつかの診断と血液検査、胸部X線検査、心電図などを行い、医師から入院して様子を見るように勧められました。実はこの時、私は少しパニックになっていて、これから始まるトラブルやストレスなど、悪いことばかりが浮かんでくるようになりました。

 一方、この頃から師父の教えが頭に浮かぶようになり、師父の説法される声が耳に響くようになったのです。「本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試しにやってみてください。耐え難いものに耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと「柳暗花明又一村」というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません!」 [1] 私はすぐに落ち着いて、母に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えるように頼み、師父に御加持、守って下さるようにお願いして、そして、正念で思想への干渉を取り除きました。

 待ち時間に、介護士をしている同級生に電話をして、母の面倒を見てくれる介護士を探してもらおうと思いました。「今は1日5000元(10万円)でもやりたがらない、そんな報酬と引き換えに、命や健康を危険にさらす人はほとんどいません」と同級生が答えました。

 救急室での検査後、母は成大病院の8階の病室に入院しました。そこは4平方メートルほどのスペースで、1人用の隔離部屋になります。入院中は病室から一歩も外に出ることはできません。元々身の回りのことができないお母さんは、このときさらに介護が必要になりました。母の世話をするため、隔離病棟にいなければならず、また、部屋から出ることも許されなかったのです。

 いくつかの説明を受けた後、看護師からは、新型肺炎患者さんの看病をする多くの人が感染しているため、覚悟した方がいいと言われました。それを聞いて、私は迷わず即座に否定しました「あなたの話を聞くと、それは旧勢力に妥協することになるのでは? 私は大法弟子なので感染しないはずです。大法弟子の身体には正のエネルギーが満ち、ウイルスを滅することができます」

 師父は、私たちに「本当の大法弟子はエネルギーがあり、業力とウイルスを滅することができ、最後の時期に衆生を救い済度するための使者として、人を救い真相を伝えるとき理性的に行動するのです。」 [2]と教えくださいました。

 看護婦さんが行った後、病室で再び師父に守って頂くことをお願いし、師父の説法の録音を母に聞かせました。入院している間、母に1日三講、師父の説法の録音を聴かせていました。ちょうど師父の説法を全部聴かせる機会でもありました。九講の説法を聞き終わった後、時には「普度」と「済世」の音楽を流し、この空間場全体を清めました。

 母の身体は早くも回復し、血液検査や胸部X線検査も正常で、退院することができました。母が入院していた4日間、抱きしめたり、入浴、おむつの交換、食事の世話など、介護行為全般を行いました。子供としてすべき親孝行をし、修煉者の心性基準に基づき、正念で正しく行動しました。

 入院して4日足らずで、退院できました。母は家に戻り、すべてがすぐに整い、ほぼ完全に日常生活を再開することができました。大法の威力を目の当たりにして、師父と大法にとても感謝しています。

 日常生活上、日用品や食料の買い出しに出かけることがあり、国の予防接種規定では、密接接触者に該当するため、2日以内に簡易検査証明書を発行してもらう必要があります。母が退院した翌朝、国の定めで、PCR検査を受け、入院中の4日間を母と同室で過ごし、生活の大小さまざまなことを手伝いましたが、検査の結果は、やはり(陰性)ウイルスに感染していないとのことでした。母が入院する前に、母の世話をすることもあり、病院で必要なPCR検査をしましたが、それも陰性でした。私は予防接種を受けておらず、ウイルスに感染したことがなかったので、修煉者は強いエネルギーをもっていることを見証することができました。

 今回の母の入院で、私欲の心を発見しました。私は非常に親孝行で、あらゆる面で母の面倒を見ましたが、実は内心では、この家庭のこと、そして母のわがまま、自己中心、若い頃から現在まで、自分が楽しむばかりで、娘のことを考えなかったことについて、よく文句を言いました。そして、この「私欲」から脱却するためには「忍耐」を修めなければならないことに気づきました。

 修煉者が苦労したり、嫌なことに遭ったりすることは良いことで、どうして母を責めることができるでしょうか。母への恨みはなくなりました。今回の件で、母の業によって私がこの世に生を受け、大法に出会い、大法を得ることができたことに感謝します。

 不足があれば、ご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』「済南での説法 質疑応答」
 [2] 李洪志師父の経文:『理性』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/27/450474.html)
 
関連文章