電波ジャックの勇士 懲役19年の重刑を経て九死に一生(五)
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 【明慧日本2023年1月23日】(前文に続く)

 (八)虎イス、死人ベッド灌食

 2016年の末、刑務所長の楚志勇は、1監区の管理が緩いことで経済目標が達成できなかったことに不満を抱いていました。そこで、囚人を殴打することで有名なあだ名「キラー」の王国臣が新しい監区長になりました。王は早く権力を握るよう、何度も1監区を調整、まとめました。

 最初の頃、王は私を弁公室に呼び出して状況を聞き出し、小さい作業場にいさせました。私を監視する囚人は生産ラインで働かせ、王の腹心が私についていました。半年後、監区の囚人はほぼ、まとめることができました。

 王の権力と地位が固まると、いつも迫害に協力しない私に目を向けました。王は、私が無断で点呼に参加しないという言い訳を作り、私を暗い小屋に拘禁しました。私を1日に12時間は虎イス(手足が椅子に枷をかけられる)に座らせ、12時間は死人ベッド(両足がベッドの下、両手がベッドの上に固定され、四方に引っ張られる)で寝かせました。

 私は迫害に抗議するため、断食しました。そして5日後に灌食されました。私は衛生所に連れて行かれ、そこの囚人に鼻から胃までチューブを挿されることが繰り返されました。胃の中には何もなく、呼吸が止まるほど辛いものでした。彼らはわざと私を苦しめ、断食をあきらめさせようとしました。

 3日後、もう1度私に灌食しようとしました。始めようとした時、私の鼻から血が出ました。彼らは私と話し合い、最後に私は飲み物を少し飲みました。監区に戻る途中、私は2回意識不明になりました。1回は階段の入り口で、1回は通路でした。目が覚めると、私はすでに死人ベッドに縛られ、十数日拘禁されました。その期間、指導員は私と話し、少なくとも表では協力してほしいと言いました。 

'酷刑图片:野蛮灌食'

拷問のイメージ写真:野蛮な灌食

'酷刑图片:睡死人床'

拷問のイメージ写真:死人ベッド

'酷刑图片:坐老虎凳'

拷問のイメージ写真:虎イス

 それまで、私はしゃがんで点呼の号令「番号」をかけることを拒否し、自由に作業場を出入りしました。十数日後、私は指導員の要求に同意し、暗い小屋から解放されました。私が拘禁される前、1人の若い囚人・杜さんもそこで拘禁されました。私が出てから、杜さんはまた2、3カ月ほど拘禁され、出てきた時はすでにひどいうつ病、精神異常になってしまいました。

 白銀市の学習者・盧永珍さん(60代)は私より前に王国臣に1カ月ほど暗い小屋で拘禁されました。王国臣は悪事を働きすぎ、2021年の10月のある日、帰宅の途中に数人から殴られて腕と足を骨折し、半年休養しました。張永維は王のやり方が残虐すぎで左遷を提案しましたが、通りませんでした。

 2017年9月20日過ぎ、新疆から多くの外国人(モンゴル人、カザフスタン人、タジキスタン人、キルギス人、アフガニスタン人)が移送されてきました。当初、新疆はウィグル人をたくさん逮捕し、拘禁する場所がいっぱいで、外国人うちの160人を蘭州刑務所に移送したそうです。彼らのほとんどは麻薬販売で、死刑猶予か、無期懲役でした。

 彼らの話によると、中共は2014年7月5日から新疆で弾圧を始め、多くのウィグル人の身柄を拘禁しました。ウィグル人は新疆の刑務所で虐待され、毎日死者が出ました。彼らは中共の極悪さを目撃し、法輪功がいいことも知っています。あるパキスタン人は私の上のベッドに配置され、私が出所するまで仲良くしていました。

 2019年、王国臣は新しく建てた9監区に異動しました。そこである囚人に枷をかけ、唐辛子の水をかけて電撃したため、その囚人の容貌が破壊されました。王国臣は5監区で囚人を指図して学習者・王有江さんを迫害し、転向を強いました。その結果、王有江さんは身体不自由になり、迫害で死亡しました。

(九)警官らに殴られ、肋骨2カ所骨折

 王国臣の異動後、監区長は馬になりました。2019年12月末、指導員・張は生産作業場のトイレに鍵をかけ、私たちにトイレに行かせないことにしました。

 作業場に300人余りの囚人がいて、張は「俺はならず者だ!誰も恐れない!」と叫びました。私は「飲食・睡眠・トイレに行くことは人間としての最も基本な要求です。トイレに行かせないことはひどすぎます」と言って抗議しました。お互いに妥協しないなか、他の囚人は私に戻るように勧めました。10分後、私はまた張と話し合おうとしました。その時、トイレのドアが開けられました。

 翌日、張は5、6人の警官を作業場に連れ、セキュリティ検査すると言いました。私は張と話したいと言いましたが、張は「俺と話してもいいけど、ほかのやつと同じようにしゃがんでしゃべってくれ」と無理な要求を言いました。私は彼の話を気にせず、警務室に入ると、張に大きな力で机に押付けられ、それから床に落ちて上がれませんでした。

 私は大きな声で「ごみ、クズ、ならず者!」と叫びました。張と警官5、6人は私を殴りました。その後、囚人2人は私を作業場に連れて、午後6時まで両手を後ろ向きに柱に手枷をかけられました。その間、副指導員が私に状況を尋ねたので説明すると、「衛生所に行くか」と聞かれました。私は「大丈夫です。二、三日休養すれば良くなります」と答えました。しかし今回、私の肋骨2カ所が骨折し、呼吸するだけも激痛で、両足も紫色になりました。

'酷刑图片:警察群殴'

拷問のイメージ写真:警官らによる殴打

 私は毎日激痛の中、みんなと一緒に出勤しました。1カ月ほどで、やっと呼吸する時の痛みが消えました。それまでは痛くて咳や深呼吸も出来ませんでした。私の歯は全部揃っていましたが、2017年から歯茎が縮み、出所の時は3本しか残っていませんでした。

 私はまだ完璧に治らず、しゃがんで「番号」をかけることができないとの理由で、新しい中隊長・賈に枷をかけられました。賈はその後も囚人を指図し、私に枷をかけました。退勤したら、私はまたベッドにかけられました。ただ旧正月の直前は、私は枷をかけられずにいられました。寝る時は自分もなんとか手枷を開けることができました。

(十)自由に戻り、良心の目覚め

 中共ウィルスが蔓延し、警官らは刑務所内で半月、外で半月、戻る時また半月隔離する生活となっていました。私が出所する一週間前、中隊の警官が言うには、甘粛省政法委員会(治安・司法などを統括する機関)が私と話をしたがっていると聞いたとのことでした。

 彼らは私が「転向」を認めれば、全てが帳消しになる。「転向」を認めないなら、甘粛省から出られるか、そして、黒竜江省に戻れるかは分からないと言いました。私はそれはもう何でもない、私は絶対に「転向」を認めないと返事をしました。彼らは私の態度を見て、それ以上何も言いませんでした。

 出所の日、甘粛省政法委員会ではなく、ジャムス市公安局郊区支局の国内安全保衛部門、司法局、政法委員会の3人が待っていました。当日の航空券を購入できず、蘭州市内のホテルに泊まりました。彼らは私の部屋に来て今後の予定を聞きました。私が「状況は刑務所からお聞きになったと思います」と言うと、彼らは「法輪功をやり続けるの」と聞きました。私が「はい」と答えると彼らも何も言わず、自分の部屋に戻りました。

 翌日、私は政法委員会の人と市内を歩いていた時、自分が法輪功に出会ったきっかけ、恩恵を受けたこと、なぜ19年の不当な判決を宣告されたのかを伝えました。彼は中共が法輪功に対する迫害は一刻も止まったことがなく、戻ったらもう電波ジャックをやめてほしいと言いました。

 夜11時、私は飛行機に乗ってハルビンに行き、それからジャムスに移動しました。彼らは私の弟と妹に駅前まで迎えに来るように連絡し、早く戸籍と身分証明書を申請するようにと言いました。

結び

 中共による学習者への迫害は、23年続いています。私は21年の迫害を経験しました。囚人による殴打や辱め、警官による嫌がらせ、手段を選ばない「転向」、未曾有の圧力と怒りの苦難を乗り越えました。もし「大変でしたか」と聞かれたら、「大変でした」と答えるでしょう。しかし、私は幸運なことに師父が世に伝えた大法に出会い、慈悲なる師父に救い済度されました。その幸せと比べると、私が経験した苦難は何でもありません。

 拘禁された19年間は、言葉で表せないほど辛い経験でした。私は自由を失い、周りの人と違う考えを持ち、どんな言葉でもその孤独を表現できない、誰も私の孤独に共感できませんでした。

 苦しめられた時、囚人に辱められた時、「転向」を強いられた時、無力を感じた時、耐えられない時、限界を感じた時、私は自殺を考えたことがあります。しかし、法輪功の修煉では自殺が許されません。それは大法に泥を塗ることになります。そのように私は悪い念を排除し、少しずつ乗り越えてきました。

 学法煉功ができない時、私は覚えている師父の経文と詩を暗唱します。私は自分のやっていることは正しい、法輪功を学ぶことは正しいと強く信じています。

 『西遊記』にこんな言葉があります「東土(中国)には生まれ難い。正法は得難い。人身は得難い。その三つを揃った者は善[ぜん]焉[これ]より大なるは莫[な]し 」。尊い中国人よ、この宇宙大法、「百利あって一害なし」の法輪大法に対する態度は、あなたの未来を決めています。邪悪を助長することはしないでください。

 学習者が危険を顧みずに真相を伝えることで、悪の手から人を救っているのです。私は刑務所でよく警官にこう言います。「大法弟子に優しく接することは、あなた自身に優しくすることに等しいのです」

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/12/14/453091.html)
 
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