江沢民を告訴した王玉芳さん 迫害されて死亡(二)
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 【明慧日本2023年1月29日】(前文に続く)

 (4) 佳木斯労働教養所で迫害に抗議、帰宅後嫌がらせを受ける

 2001年5月、私は街を歩いていたところ、警官に連行され悪名高い佳木斯西格木労働教養所に連行されました。私は断食して迫害に抗議し、生命の危険に晒されたため解放されました。

 2002年春、子供と銭湯から帰ってきて家に入ろうとした瞬間、私服警官2人が現れ、私を連行しようとしました。私は必死に抵抗しましたが、体が極度に弱っていたため、気絶してしまいました。2人の警官は、その場を立ち去りました。

 (5) 佳木斯留置場で薬物の注射によって半身不随となり記憶を失う

 2003年、私は佳木斯留置場に連行されました。子どものことが心配でご飯が喉を通らないので、留置場側は私に点滴を打ちました。ある日突然、全身が動かなくなり、手足は硬直し、両手の10本の指も動かなくなり、記憶がなくなりました。同じ監房の人に「子どものことは心配しないの?」と聞かれたとき、私は「私には子どもがいるの?」と答えたそうです。

 (6) 嫌がらせを受け、派出所に連行される

 家に戻ってから、私はしっかりと学法煉功をし、体が速やかに回復しました。法輪大法の奇跡は、再び私の体に表れたのです。

 2006年春のある日、私は市場に野菜を買いに行ったとき、西林区の女性警官を見かけました。私は家に帰って食事をした後、派出所の警官に呼び出され、「王玉芳、お前はまだ法輪功をやっているのか」と言いながら、私に向けて写真を撮り始めたのです。その時、私は警官らに対して憐憫の気持ちが生じ、これ以上罪を犯させたくないと思い、「この話は今したくありません」と答えました。すると、数人の警官は車で去っていきました。

 2012年12月13日午後4時頃、私は学習者の靳彦傑さんと一緒に資料を配布し、法輪功迫害の実態を人々に伝えていたところ、迫害の実態を知らない人に通報され、長勝派出所に連行されました。私は迫害に抵抗して腰を痛め、立つことも座ることも横になることもできず、激痛が走っていました。靳彦傑さんは2回意識を失った後、翌日、私とともに佳木斯留置場に拘束されました。その1週間後、私は生命が危険な状態に陥ったため、12月22日に解放され自宅に戻りました。

 (7) 王玉芳さんは迫害により死亡

 2021年の7月、警官は王さんの写真を持って、王さんの妹の近所の人たちに「この人を知っているか、ここに住んでいるのか」と尋ねた。その頃、王さんはすでに引っ越しをして別の部屋を借りていた。

 王さんは法輪功を放棄しないとして、何度も連行され迫害され、嫌がらせを受け続けたため、定まった住所がなく、精神的なプレッシャーが大きく、経済状況も厳しかった。ついに身体が衰弱した王さんは、外に出られなくなり、ずっと家にいる状態になった。

 2022年7月11日以来、黒龍江省の多くの市と県は、学習者に対する嫌がらせと連行を頻繁に行うようになった。佳木斯市の警官は学習者を連行できなければ、家族を人質として連行し、脅迫したのである。

 2022年9月28日の朝5時30分頃、王さんは亡くなった。

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/1/15/455045.html)
 
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