「物事の善し悪しは人間の一念によるもの」という体験
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年2月8日】修煉者にとって、一つの考え一つの念がいかに大切かと私は深く理解しています。修煉者の正念は大法から由来するものであり、師父と大法を信じさえすれば、乗り越えられない困難はありません。

 大法弟子になって本当に幸せだと思います。私は20数年間の修煉の中、逆境の時も順調な時も、師父と大法を確実に信じてきました。私自身は大法の数え切れないほどの素晴らしい体験をしてきましたが、そのすべてを言葉や文章で表現することはできません。大法を実証するため、昨年、私の身に起きたいくつかの出来事だけを書きます。

 (一) 2022年2月のある日、私は髪を切りに行きました。美容師が髪を洗ってくれるとき、突然沸騰した湯のような水流が頭皮にかかり、私は痛くて大声を上げました。本当に耐えられないほどの痛みでした。「頭皮がやけどしていたらどうしよう、髪の毛が抜けたらどうしよう。このままではいけない。美容師はどう対応してくれるのかな?」などと、つい習慣でいろいろな常人の考えが頭をよぎりました。しかし、私は間髪入れず、この常人の考えに従ってはいけないと思いました。すぐに「私は法輪大法の修煉者なのだから、出会ったことは偶然ではなく、外的要因とは無関係で、自分の修煉に関係しているのだ」と考え直しました。

 師父は「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」[1]と説かれました。

 その前後、数秒足らずの間に、人間の念と神の念の変化で違う結果が出ました。最初の数秒間は耐え難い痛みで人心が湧き上がり、あとの数秒間は師父の教えが頭に浮かび、大法の法理が私を支配したのです。それで再び現れた思いは「店の人にやけどのことを知らされてはならない。ばれたらその美容師が処分されるかもしれない」と、他人のために考えました。さらに「美容師に困らせないこと、損失をさせないこと」など、その美容師のために考えました。そして、美容師の慌てた表情を見て、私はすぐに「あなたがわざとやったんじゃないし、怖がらなくてもいい。私は大丈夫だよ」と安心させました。すると、その痛みが消えたのです。美容院から帰ってきて、頭皮を手で触ってみると、厚いかさぶたができましたが、数日間で治ったのです。

 (二)昨年の3月末に4回血便があり、そのうちの2回は、完全に噴射状態でトイレ周辺も血だらけになりました。しかし、私は心が動ぜず、かえって、嬉しい気持ちになりました。というのは、いいことだと考えていたからです。いいことだから、いい気分になったのです。「これは病気だ、旧勢力の按排だ、修煉の漏れによるものだ、発正念で取り除こう」など、考えもしなかったのです。師父が私の体を速めに浄化してくださっているのだと考えました。その念が正しかったので、あっという間にその現象は去っていったのです。

 (三)  ある日の朝4時過ぎ、煉功する前にトイレへ行こうとしました。前夜遅くまで起きていたので、トイレに座った瞬間に泥丸宮のところが1回転したと感じてめまいがし、意識を失いそうになりました。私は隣の洗濯機をつかみ、倒れないようにしました。その時「これは睡眠不足のせいなのか?」と、パッと頭に浮かびましたが「いや、違う」とすぐに打ち消しました。「私は宇宙の大法を修めており、金剛不壊の体を修煉しているのだから、問題はない。師父の法を正すことがまだ終わっていないので、私の使命は完成していないし、倒れるわけにはいかない。元神は不滅であることを知っているので、私は死を恐れないが、死ぬことができない。もし、このようにこの世を去ったら、大法にマイナスの影響を与えるのだ。私の家族、友人、同級生、同僚に大法のことを理解する影響を与え、彼らに救われる機会を失わせることになる」と考えました。

 また「私は、本当の修煉者で、大法弟子だ。私がトイレで倒れてこの世を去ることは、師父が按排した道ではない。大法弟子がこの世で話したことと、行うことは、この世における大法のイメージを表している。私は大法の素晴らしさを実証したい、師父に按排してくださった修煉の道を歩みたい」と、そう考えているうちに、次第に意識がはっきりしてきました。しばらく休んだ後、私は通常の煉功、発正念、学法をしました。日中はいつもの通りに家事をこなし、孫の送り迎えをしました。私の身に起きたことは、家族には気づかれませんでした。

 この20数年間、何度体調を崩したかは分かりませんが「修煉者に病気はない」と肝に銘じています。体に生じたトラブルは、業力と借りだけだと私は悟っています。修煉するなら、業力の消去や借りを返す必要があります。師父が業力を多く消去してくださったとはいえ、自分でいくつか耐えなければならないものもあり、一つ一つの難関をしっかり乗り越えなければなりません。私は自分の体に何か問題が起きたとき、どんなに耐え難くても、家族に知られないようにしました。心配させたくないからです。修煉者は、他の人のことを配慮して、無私無我で他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。

 法に則っていないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/1/25/455934.html)
 
関連文章