マレーシア法会 | 家族への情の難関の中で精進して着実に修める
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 文/マレーシアの大法弟子

 【明慧日本2023年3月13日】

 師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は中国系のマレーシア人で、今年69歳です。2003年2月に大法の修煉し始めました。この19年間、私の本当の幸せ、健康な体、幸せな生活はすべて大法を修煉してから始まりました。

 私は幼い頃からいつも熱を出しており、地元の公立病院によく通院していたと母から聞かされていました。小学生の頃、教室の扇風機の下に座るのが怖かったのですが、中学生になっても変わることはありませんでした。そのため解熱剤をたくさん飲んでいました。生理が来ると、翌日からお腹がものすごく痛くなり、鎮痛剤を大量に飲み、経血も異常に多かったのです。その状況は40年も続きました。婦人科に行って子宮を洗浄してもらったりしたのですが、それでも改善されませんでした。

 私は1980年代に結婚し、2人の娘に恵まれましたが、相変わらず長く立っていることも、座っていることもできず、ますます苦しくなってしまって、次第にしゃがむことすら困難であることに気づきました。そのため、ランニングをしたり気功を始めたりしたのですが、1年間やってみても何も改善されることはありませんでした。

 ある時、ミルクティーを飲んだ後、胃の調子が悪くなったことがありました。ただの胃酸過多症だろうと思い、特に気にも留めなかったのですが、その後、しばらくして何かを食べると、胃痛が襲ってきました。少し時間が経つと胃痛が始まり、嘔吐感があり、背中に痛みを感じることもありました。専門医からは、胆石と診断されましたが、手術台に上がるのが怖かったので、「クアラルンプールへレーザー手術を受けに行く」という医師からの手紙を捨て、治療を諦めることにしました。

 しかし、夫や娘には分からないほどの痛みが繰り返し起きるたびに、ベッドに5、6時間横になっていました。痛みが絶えず襲ってきましたが、その痛みが消えるのを待つしかありませんでした。

 その後、夫とのトラブルもあって、食事も睡眠もうまくとれない状態となり、その葛藤はなかなか解消されないまま、私たちは離婚してしまいました。その後、私は教会に行き、牧師の聖書の説教を聞いたり、祈り方などを学びましたが、1カ月もしないうちに、もう行きたくなくなりました。なぜなら、彼らが何を話しているのか分からず、何も得られなかったからです。

 一、法を得る経緯

 1999年、『自由時報』を読んでいたとき、「中国が法輪功を取り締まる」という趣旨のニュースの見出しと、法輪功学習者が写っている写真を目にしたことがありましたが、その時は記事を読むこともなく、ただ「法輪功ってなんだろう」と思っていました。

 偶然にも、2002年頃のある日、鍵屋さんに合鍵を作ってもらいに行ったとき、店内のガラスの棚の上に赤い文字で「世界は真善忍を必要としている」という7つの文字を目にしました。私は、この言葉を自分への記念と思い写真を撮りました。

 しばらくして、友人が私の家に来て、ある功法がいかに良いかを教えてくれて、見に行くように勧められましたが、私は「行かない」と言いました。翌日その友人はまたやって来て、その話をしたのですが、その時もやはり、「興味がない」と言いました。その1週間後、その友人は法輪功の功法のDVDを持ってきました。友人は、それを私に渡しながら「これがあなたに役に立つかどうか試してみましょう」と言ってくれたので、私は無造作にDVDをプレイヤーに入れたのでした。こうして私は、DVDの李洪志師父の教えのビデオに従って法輪功の功法を学び始めたのでした。

 その時は、宗教や気功にもう絶望していた私だったのですが、友人からの好意を辞退しがたく、DVDを受け取り、プレイヤーに入れて見ることにしたのでした。ディスプレイに「法輪功」、「真善忍」が出てきた時、突然胸に衝撃が走りました。以前に鍵屋さんで目にした言葉と、数年前に新聞で読んだニュースを思い出しました。私は、一気にDVDの全ての内容を見ました! 見終わってから、「李洪志師父が宇宙のことを説いておられる! これこそ、私がもっとも欲しいものだ」と心から思ったのでした。

 そして私は、李洪志師父に教わった動作に従い学び始めました。独習を始めてから4日目、驚くべきことが起こりました。当時私は、10分さえ立っていられなかったのですが、その日はビデオに従って、1時間も立ち続けて煉ることができたのです。これは考えられないことでした。

 その後、『轉法輪』という本を家に持ち帰って読みました。修煉を始めて、腰痛やそわそわ感が消え、気分が良くなり、生理痛も消え、胆石の痛みも再発することはなく、30歳も若返ったような気がしました。

 二、法輪功迫害の事実を伝える

 2004年、論説『九評共産党』が発表された後、学法煉功発正念以外に、真相を伝えることも重要だとわかりました。まず身内に伝え、次に友人や見知らぬ人へと、法輪功迫害の事実を伝えました。その後、パソコンが使えるようになると、インターネットで知り合った人(私は元プロの歌手)たちにも真相を伝えました。

 2004年、私たちの輔導員は、煉功点と学法のグループを立ち上げ、国慶節と国家挑戦日のパレードにも参加を申請し、大法を広めました。政府主催側から賞状を受けたこともあります。

 2019年より前、つまり中共ウイルスが流行る前には、マレーシアの有名な観光スポットのツインピークスパゴダに、週末には何台もの観光バスが中国人の観光客を乗せて来ていました。私と他の法輪功学習者(以下、学習者)たちは、早くからそこに行って観光客の到着を待ちました。私たちは法輪功を紹介するパネル資料掲げ、そして中共が法輪功を迫害し生体臓器摘出を暴露する横断幕なども掲げました。

 三、師父からのご保護

 ある時、観光スポットでバスを待っていると小雨が降ってきました。私は傘をささずにレインコートを取り出して羽織りました。やがてバスが到着し、満席だったので私は通路に立ちました。バスが発車した直後、突然人が道路を横切ったので、運転手が急ブレーキをかけました。立ったままレインコートを片付けている最中だったので、私は運転席の左側に背中から倒れ掛かり、頭と後頭部を打ちました。その瞬間、頭が熱くなりましたが痛みは感じませんでした。乗客の中年の男性が、あわてて私を起こしてくれて、事故のことを教えてくれました。帰宅後、頭を触ってみると、腫れることもなく怪我もないようでした。ただ指に少し擦り傷があるくらいだったので、「師父が慈悲で守ってくださったのだ」と実感しました。

 四、不思議を経験する

 ある日の昼食後、午後の歌のレッスンする前に、リビングルームのソファで横になって昼寝をしようと思いました。横になって間もなくして、目を少し閉じた状態で、大きな風車が高速で回転するような音が、背中の下から耳に入ってきました。その時はリビングの扇風機はついてはいなかったのです。突然のことで私は少し怖く感じ、目を開けるのが怖かったです。すると、仰向けに寝ていた自分の体が浮き上がり、ゆっくりと窓際に移動し、またゆっくりとソファに戻っていると感じました。渦を巻くような音が消えた後、目を開けることができました。すべてが平穏に戻っていました。

 師父が説法で、「煉功する人が浮き上がるということはとても簡単なことですが、現在の科学者には解釈できないのです。実は人の身体の全ての脈が通じた時、その人は浮き上がることができます。浮き上がらなくても、軽やかに歩き、山を登るのも、階段を上がるのも疲れを感じないのです。これは脈が通じたからです。こうなるはずです。元神が出て来たことに至っては、人によっては、元神が身体から簡単に離れる人もいれば、なかなか出ることができない人もいます。元神が身体から離れると、法輪はあなたの浮かび上がった身体を率いて回るので、回転がとても速いわけです」 [1]と説かれました。

 五、真相を伝える物語

 ある日の朝、屋台の前で『大紀元時報』を配っていたとき、突然後ろから「おい、新聞をよこせ!」という叫び声が聞こえました。私はあわてて、その人に渡そうとしましたが、その人は魚屋さんであることがわかりました。彼は私が渡した新聞を受け取らず、「お前ら、毎日あれこれを配っているが、皆共産党を批判している」と言いました。私は冷静に、「中共は中国ではありません。中共とは何か、どのように始まったのか、なぜ法輪功を迫害するのか、『大紀元時報』は真相を報道し、プラスのエネルギーをもたらしています」と話しました。それを聞いた彼は顔が穏やかになり、一部の新聞を受け取ると「隣の友達にも一部あげてください」と頼みました。

 その後、私はまた屋台の前に戻って新聞を配り続けていましたが、30分もしないうちに、ふと「法輪功迫害についての資料と心からの九文字」も、魚屋さんに渡さなければならないことを思い出し、魚屋さんのところに戻って渡しました。それから2週間後、魚屋さんに再び新しいチラシを渡すと、「一晩かけてじっくり読みましたが、とても良かったです」と話してくれました。

 ある日、観光スポットで中国人観光客の到着を待っていると、私の隣に1台のバスが停まっていました。バスから降りてきたツアーガイドが、「江沢民を告発する」というパネル資料を持っている私を見ていたので、私は「ガイドさん、こんにちは」と笑顔で言うと、ガイドは無表情で、「あなたはどこから来たの? なぜ家にいないの? ここにきて何をしようとしているの?」と言いました。私は、ガイドの訛りから地元の人だとわかったので、私は「マレーシア人です。仕事を終えてここにきています。皆さんに真相を伝えるためにきています」と答えました。すると、ガイドは「マレーシアではいろいろなことが起きていて、混乱しているのに、あなたは気にせず、他の国のために働いているのですね」と言いました。「私は、マレーシアのことも、世界のことも気にしているからです。中共は、法輪功迫害の真実を隠蔽し、真・善・忍を修煉する中国の善良な人々を、迫害しているからです。人々に真相を伝えることが、唯一の希望なのです」と言いました。それを聞いたガイドは黙ってバスに戻っていきました。

 六、心性への試練を乗り越える

 私がこれを打ち明けるのは、自分の修煉が本当に最悪だと思ったからです。何があったかというと、6年前、私の故郷である東マレーシアで、私は自分の仕事を持っていたのですが、娘が妊娠したため、世話をしてもらう人が必要でした。娘は家庭教師をしており、出産後、赤ちゃんの面倒を見ることができなかったので、私に赤ちゃんの面倒を見るように頼んできたのです。娘の夫の同意を得て、私は長期的に西マレーシアに住むことにしました。

 私は法を深く学んでいなかったので、トラブルが起きても、自分の何が悪いのか、うちに向けて探すことはありませんでした。 子供が娘の機嫌を損ねていたとき、私が絡んでしまうこともよくありました。後になってから、「人心」を放棄できなかったと自分を責め、後悔するのですが、次にはまた同じことを繰り返しているのでした。

 考えに考えているうちに、私は次第に目が覚めてきました。ある日のこと、孫は娘が個別指導の授業にもう直ぐ出ることを知っていたので、私は「少しだけでも遊んでやってほしい」と娘に頼んでのですが、もう時間だと言って、あわてて出て行ってしまいました。そのため孫は騒ぎながら泣き続けたので、私はあまりにも腹が立ったので、「泣きたいなら、外で泣きなさい」と言ったら、孫はさらに泣き騒ぎました。その時、私は携帯電話に大法弟子の歌があることを思い出し、聴かせました。聴いているうちに孫は落ち着きました。

 その後、私は内に向けて探してみました。「私は修めているのか? 私は修めることができているのか?」と自問自答しました。 翌朝、孫に「昨日は、あんなこと言って傷つけてしまってごめんなさいね」と謝りました。

 また、ある時、孫にご飯を食べさせていたとき、孫が何口か食べたら、もう食べたくないと言い出したことがありました。説得を続けていたら孫が騒いで立ち去りました。食器を片付けるため台所に下げていた時、後ろから何かが投げつけられたような気がしたので見てみると、孫用の魔法瓶でした。飛んできてキッチンの壁にぶつかって落ちました。それは、孫の父親である婿が、怒って投げたものだとわかりました。その時はショックでしたが、「これは、越えなければならない難関だ」と理解し、「修煉者は自分の内に探し、悪いことをしたかどうかを考えなければならない」と思うと心は落ち着きました。

 師父は、「この宇宙にはもう一つの理、すなわち大きな苦痛に耐えれば、自らの業力もおのずと徳に転化される、ということがあります。あなたが代償を支払ったので、苦痛に耐えた分だけ、転化が行なわれ、徳になります。煉功者として求めようとしているのはまさにこの徳ではありませんか? このように、業力を転化させることもできましたので、あなたは二つのものを得ました。もし、相手がそのような環境を作ってくれなければ、あなたはどうやって心性を高めることができるでしょうか?」 [2]と説かれました。

 師父が何度も何度も慈しんで守ってくださいました。法の導きもあって家族の葛藤がひとつひとつ解消され、今は円満な家庭を築いています。

 七、結語

 この19年間を振り返ってみると、この修煉の道で大小さまざまな試練や、ハードルを経験してきました。ふらついたり、つまずいたりしたとき、師父はいつも見守ってくださり、悟らせてくださってチャンスを与えてくださいました。特に、私が病業の難関を乗り越えるとき、慈悲深い師父はいつも私のことを心配してくださいました。師父の保護のもと、私は乗り越えたのです。今、法がこの世を正すことに移行しつつあり、残り少ない時間の中で、正法時期の大法弟子として、師父の期待に応えるべく、三つのことをしっかりやりたいと思います!

 弟子は合掌して偉大なる師父の救い済度に感謝いたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (2022年マレーシア修煉体験交流会の原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/2/9/456591.html)
 
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