文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年12月7日】私は法輪大法を修煉して20年以上経過し、その間、多くの不思議なことを経験しました。法輪大法の素晴らしさを証明し、師父の慈悲に感謝するため、その中からいくつかのことを述べてみたいと思います。
次男は法輪大法を修煉しています。修煉者たちは次男の家で、師父の説法のビデオを見ました。修煉者たちが帰った後、私は一人で見ていてとても素晴らしいと思い、私も法輪大法の修煉を始めることにしました。夜、煉功していたとき、「衝灌」の意味が分かりませんでした。そこで、師父に 「師父、衝灌ってなんですか?」とお聞きしました。その瞬間、師父のお声が私の空間場で鳴り響いているのが聞こえてきました。腕を上下に動かす動作が「衝」と「灌」であることを知りました。
私は烙餅・ラオビン(北方人の常食の一つ)の商売をしています。法輪大法の修煉をして間もなく、私は大法の旗を自分の店の横に置き、縁のある人がその旗を見て、大法の修煉をすることができるようにと願っていました。やがて、縁のある人が来て大法を修煉するようになりました。幼稚園のころから、ここに遊びに来ている小さな女の子がいるのですが、大人が「お餅を食べたい?」と聞いたところ、女の子は「食べ物ではなくて、ここで遊ぶのが好きなだけです」と答えました。子供は純粋で大法の殊勝さが分かっているのかもしれません。
夫は各飲食店へのラオビンの配送を担当しています。しかし、私が食品の用意をしていても、夫の姿が見えないときは、とても焦っていました。修煉後は焦らなくなり、「夫が帰って來なければ、私が届けに行き、飲食店の営業を滞らせないようにしよう」と思いました。いつものことですが、自分の考えが変わると、夫はすぐに帰って来るようになりました。
1999年7.20、中国共産党と江沢民は、法輪功への残酷な迫害を開始しました。私は法輪功の真相を伝えるために北京に行き、陳情しました。帰った後、私は派出所の外にある小屋の鉄柱に鎖でつながれ、所長にビンタを食らわされ、スタンガンで口や顔、胸を電撃されました。そのとき、私は箸で叩かれた程度の感じしかなく、痛みはありませんでした。それは慈悲深い師父が私のために苦痛に耐えてくださったと、後になって分かりました。
以前、私のいとこは、彼女の村の同修・Bさんに、「私のいとこも法輪功を修煉しています」と言いました。その話を聞いた後、Bさんは直接私に会いに来ました。そのとき、家族がいたので、あまり詳しい話はできませんでしたが、一度会ったという記憶だけはありました。数年後、法輪功に関する資料を作るとき、Bさんの手伝いが必要になり、私は師父に、Bさんが見つかりますようにとお願いしました! すると、奇跡的にその後すぐにBさんを見つけることができました。それ以後、私たちは協力して大法のことをたくさん実証しました。
母が市立第三病院に入院したとき、私は母の看病に行きました。 同じ病棟に、母親と娘が心臓病で入院していました。ある夜、娘さんが眠れなかったので、私は「眠れなければ、少しおしゃべりをしましょう」と言いました。私たちは一緒に座って話をし、法輪功の真相を話すと、彼女は納得しました。私が彼女に法輪功のお守りをあげると、彼女はすぐにそれを身につけ、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えていました。3、4日後、彼女と会ったとき、彼女はすぐに「胸の痛みがなくなりました」と言い、 しばらくしてまた「もう本当に胸は痛くないのです」と3回も繰り返しました。大法の恩恵を受けた人は、その喜びと感謝の気持ちが抑えきれず、自然に現れてくるのです。
近所の奥さんが出産するために実家に帰ると聞き、帰る前に、私は法輪功に関するDVDを2枚渡しました。生まれた赤ちゃんは、兎唇で唇が鼻の入り口まで裂けていて、ミルクが飲めませんでした。父親は急いで生後間もない赤ちゃんをいくつもの大きな病院に連れて行きました。しかし医師は皆、赤ちゃんはまだ小さいので、手術はできないと言いました。帰宅後、絶望した父親は、私が渡したDVDを思い出し、すぐに再生しました。それを見た直後、赤ちゃんがミルクを飲むようになり、ご両親はとても喜びました。数年後、一家はわざわざ私の家に来て、そのことを話しました。