電波ジャックの勇士・魏俊仁さん 20年冤罪後も嫌がらせ
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 【明慧日本2023年4月14日】(甘粛省=明慧記者))甘粛省平涼市涇川県の法輪功学習者(以下、学習者)魏俊仁さん(54)は2002年、中国共産党(以下、中共)のメディアによる24時間体制で法輪功に対する誹謗中傷と弾圧に抗議し、市民たちに真実の情報を伝えるため、ケーブルテレビの電波ジャックに参加した。2002年10月27日、魏さんは蘭州城関裁判所から不当に懲役20年の実刑判決を言い渡され、蘭州刑務所に拘禁された。昨年8月13日に刑務所から帰宅した魏さんは、すでに肉親を失い家族が四散したが、今も地元の公安局と検察庁から嫌がらせを受け、生活が困難になっている。

 2002年8月17日~19日の3日間、学習者は青海省西寧市城東区と城北区、甘粛省蘭州市紅古区、青海省民和県など3地区の4つのケーブルテレビチャンネルで法輪功のドキュメンタリー映像「見証」と「歴史の審判」を30分ずつ放送した。

 この放送は、法輪功の素晴らしさを人々に伝えただけでなく、中共当局が覆い隠している法輪功への迫害の事実や、当局がでっち上げた「天安門焼身自殺事件」の真相と、その罪を法輪功に転嫁しようする中共の意図も明らかにした。

 青海省の電波ジャックで真実の映像が放送された後、中共の江沢民集団はパニックになり、報復を行った。その結果、魏俊仁さん、李文明さん、張栄娟さん、賀万吉さん、李崇峰さん、段小燕さん、任樺さん、徐峰さん、孫照海さん、張京梅さん、焦麗麗さん、王玉霞さん、劉百源さん、張小萍さん、張宏剛さんなどの事件に関連した少なくとも15人の学習者が連行された。その後、これらの学習者は皆、労働教養あるいは不当な判決を宣告された。以下は、魏俊仁さんが受けた迫害である。

 不当な判決を下される

 甘粛省蘭州市の城関区裁判所は2002年10月27日、魏さん、強小毅さん、蘇安洲さん、李文明さん、王鵬雲さん、孫照海さん、劉志栄さん(2007年に天水刑務所で迫害死)に対して秘密に裁判を行った。法廷では、魏さんら7人の学習者は声を揃えて、「法輪大法は素晴らしい! 修煉することは罪ではありません」と大声で叫んだ。

 午後2時、裁判所は李文明さんに懲役20年、王鵬雲さんに懲役20年、孫照海さんに懲役19年、強小毅さんに懲役16年、劉志栄さんに懲役15年、蘇安洲さんに懲役10年、魏さんに懲役20年の実刑判決を言い渡した。裁判中、裁判所は魏さんなど学習者の親族に裁判への出席を通知しなかった。

 蘭州刑務所で拷問を受ける

 2003年11月5日、魏さんは蘭州刑務所に拘禁された。

 11月の西北地区は非常に寒くて、魏さんが刑務所に着くと、すぐに厳しい管理チームに送られた。そして4、5人の受刑者が一斉に寄ってきて、魏さんを地面に押さえ付け、頭を丸坊主にし、服を全部剥ぎ取り、裸のまま20分以上凍えさせた。

 刑務所に拘禁されている学習者の牛万江さんは、政法委員会(治安・司法などを統括する機関)に10ページ以上の上申書を書いた。執筆中、警官は書かせないように受刑者に監視するように指示した。紙がないため、牛さんは地面に落ちたタバコの紙パックを拾い集めた。警官に発見されるたびにペンが没収されるので、心の優しい受刑者は、学習者がみな良い人であることを知り、密かに次から次へとペンをくれた。 牛さんは3カ月かけて上申書を完成し警官に渡した。それを読んだ警官は衝撃を受け、法輪功迫害の実態を理解し、学習者を厳しく監視しなくなった。

 2003年6月4日、魏さんは10監区に移され、当時の教官は戴学義(新型コロナで死亡)であった。魏さんは罪を認めず、刑務所の規則を暗記せず、強制労働にも参加しなかったため、2人の受刑者に監視され、魏さんが書いた上申書は隊長によって差し止められ提出されなかった。

 2006年11月、刑務所で強制「転向」キャンペーンが行われ、警官は1人の学習者を「転向」させるごとに4000元をもらえる。利益に駆られた警官らは、学習者を暗い部屋に閉じ込め、小さな腰掛けに座らせ、24時間睡眠させず、吊し上げ、手錠をかける、電気ショックを与える、殴打、罵る、侮辱するなどのあらゆる手段で迫害した。

酷刑演示:老虎凳

拷問のイメージ図:トラの椅子

 魏さんは暗い独房に入れられ、寝ることも許されず、8人の男に2組交代で監視された。警官はまた、魏さんをボイラー室の地面に固定された特製の鉄輪に手錠をかけ、7人の警官が3、4本の高圧電気棒を手に取り、同時に魏さんの身体の至るところに電気ショックを与えたため、魏さんは跳ね上がった。3時間以上経った頃、魏さんは意識不明になった。

酷刑演示:电棍电击

拷問の再現:数本の電気棒で同時に電気ショックを与える

 電気ショックに反応がないのを見た大隊長は、魏さんの呼吸があるかどうか手で確認し、微かな呼吸しかないと分かってから電気ショックと殴打を止めた。教官の戴学義らは、さまざまな手段を使って魏さんに「三書」を書かせた。

 2007年3月、魏さんは自分が書いた「三書」は無効であると声明したとして、20日間以上睡眠を許されなかった。

 刑務所では常に強制労働があり、主にヒマワリの種の選別、ニンニクの皮むき、絨毯織り、服の縫製、梱包作業などであった。最初の頃は毎月5元(約100円)の小遣いをもらっていたが、7大隊で絨毯を織る時に2、3元程度で、服を作る時は5、6元が出ていた。

 拘禁されてきたばかりの学習者は、ほとんど暗い独房に閉じ込められた。隊長の目の合図で、受刑者らはすぐに様々な拷問で学習者を迫害し始めるのだ。

 家族の悲惨な生活 妻と両親が死亡

 魏さんが蘭州刑務所に拘禁された当初、魏さんの妻は幼い息子2人を養うために蘭州で露店の商売を維持しながら、刑務所に面会に行くのは非常に困難であった。その後、2人の息子を魏さんの両親のところに預けた。

 2006年正月19日、借家で一人暮らしをしていた妻がガス中毒になり、発見者によって病院に運ばれたが、助からなかった。

 2020年、魏さんの両親も魏さんの帰りを待たず、相次いで他界した。魏さんの子どもは、15、16歳で学校を中退し、自活のために出稼ぎを始めた。

 20年の冤罪の後も、嫌がらせを受け続ける

 2022年8月13日、魏さんは蘭州刑務所から帰宅した。家に着くと、自分の家が倒壊して廃墟になっており、住めなくなった。兄の家に数日間滞在した後、魏さんは公安局、派出所、司法局の関係者から頻繁に嫌がらせを受けた。

 警官らの絶え間ない嫌がらせの結果、魏さんは安定した仕事を見つけることができず、数日間働いた後、また別の仕事を探さなければならず、静かな生活ができない。

 電波ジャックは正義の行動である

 1999年7.20以降、中共の江沢民集団は全国のテレビ、ラジオ、新聞などのあらゆる宣伝手段を用いて虚言をでっちあげ、法輪功を誹謗中傷し、国民の法輪功に対する憎悪を煽り、国民全体を惑わし騙した。

 2002年3月5日午後8時、吉林省長春市の学習者は、地元のケーブルテレビを電波ジャックし、8つのチャンネルで同時に、「法輪大法が世界に広がる」、「焼身自殺? それともやらせ?」などの法輪功に関する真実の映像を放送した。放送時間は40〜50分も続いた。

 長春の学習者は非人道的な迫害を受けたが、中国各地の学習者は封鎖を破り、迫害の実態を人々に伝え続けた。長春以外にも、学習者は遼寧省、甘粛省、河北省、天津市、黒龍江省、北京市、貴州省、山東省、青海省、四川省などで自発的に中共による法輪功への迫害の真実を放送し、法輪大法の素晴らしさを広めた。

 電波ジャックの勇士は、実は法輪功に関する真実の情報を中国の国民に伝え、国民の知る権利を取り戻しているのであり、賞賛され表彰されるべきで、拘禁、拷問、殺害されるべきではない。不公平に扱われた場合、いかなる政府であっても、人々の発言する権利を剥奪してはならない。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/7/458549.html)
 
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