【明慧日本2023年5月7日】吉林省長春市の法輪功学習者・蔵鴻燕さん(71歳)は、2022年9月16日、警官に連行された。2023年1月18日、蔵鴻燕さんは脳梗塞の症状が現れ、長春市中心病院まで搬送された。2月7日、朝陽区裁判所に審判され、4月11日、懲役2年の実刑判決結果が届いた。法輪功は世界の人々に親しまれる精神修養法であるが、1999年以来、中国共産党(以下、中共)に迫害されている。
蔵鴻燕さんが拘禁されていた期間中、家族はずっと担当裁判官・姜輝と連絡を取っていた。しかし、法律書類の提出、弁護士を依頼する申し込み書の提出、家族の出廷などの要望は担当裁判官・姜輝に断られた。さらに姜輝は蔵鴻燕さんの家族に審判する前、お知らせすると伝えたにもかかわらず、長春市朝陽区裁判所は2月7日に審判を行ったが、その前に全く通知をしなかった。裁判を開廷した当日、蔵鴻燕さんの家族は、家族の出廷と弁護するための書類を提出する時、姜輝は「家族が弁護することはできず、弁護士を依頼することはできるが、地元の弁護士限定」と伝えた。その後、姜輝は蔵鴻燕さんの家族にこの案がまだ終わっておらず、数カ月は待たなければならないと嘘を付き、最近、弁護士が蔵鴻燕さんに会った時、全ての真実が分かった。蔵鴻燕さんは今まで、ずっと長春市中心病院監大隊に拘禁されている。
蔵鴻燕さんが受けた迫害
中共は法輪功を弾圧して以来24年間、蔵鴻燕さんが真・善・忍の教えを諦めずに信奉しているため、10回以上連行されて拘禁され、4回の不当労働教養(その内2回は体の原因で労働教養所による収容はできなかった)を受けた。蔵鴻燕さんはいつもコミュニティのスタッフや、警官に嫌がらせを受け、家財の押収など頻繫にあった。
1999年9月ある日の夜11時、長春市長久路派出所の警官は蔵鴻燕さんと娘を不当に連行し、八里ホウ留置場に数日間拘禁した。
2000年夏、蔵鴻燕さんが北京で法輪功のために2回ほど平和陳情をしたため、それぞれ15日間拘禁された。
2000年夏、蔵鴻燕さんは迫害停止を求める署名を集めたため、警官に連行され、大広留置場に15日間拘禁された。その後、黑嘴子女子労働教養所で労働教養1年を受け、半年後、体の不調が原因で事前に帰された。
2001年春、蔵鴻燕さんは法輪功のために平和陳情をし、再度北京に行ったが、再び連行され、瀋陽、長春などで拘禁された。拘禁された期間中、警官による電気ショックの体罰を受けた。その後、蔵鴻燕さんは2回目の労働教養を受けた。黑嘴子女子労働教養所で、蔵鴻燕さんは「決裂書」を書くのを断ったため、拘禁期間が何回も延長された。労働教養が終わった後、最初の労働教養が1年未満なのに、再び拘禁され、2003年2月15日(旧正月15日)に釈放された。今まで、合わせて受けた労働教養は20カ月に達した。
2003年12月末、長春市公安局の警官は蔵鴻燕さんを追跡し、親戚の自宅で連行し、3回目の労働教養をさせた。2004年3月蔵鴻燕さんは体の不調が原因で釈放された。
2006年12月16日、蔵鴻燕さんは迫害の真相資料を配布したため、街の主任に告発され、長久路派出所の警官に長春市第3留置場まで連行され、1カ月ほど拘禁された。その後、長久路派出所の警官は3回ほど黑嘴子女子労働教養所まで連行したが、いずれも体の不調が原因で、労働教養所に3回行かせることを断念した。
その後、蔵鴻燕さんは迫害の真相資料を配布したり、煉功したり、修煉しないという保証書を書かないなどの理由で、2010年6月2日、2011年夏、2012年2月7日(旧守月16日)、2018年6月1日、警官に連行されて拘禁された。
2022年9月16日、長春市長久路派出所の警官は「中国共産党第二十次全国代表大会」を行うため「クリア」という理由で、蔵鴻燕さんを防疫隔離地まで連行した。2023年1月、警察署と朝陽区検察院は蔵鴻燕さんを告訴し朝陽区裁判所で裁判を開廷した。2023年1月19日、蔵鴻燕さんは高血圧、脳梗塞を発症し、長春市市病院の公安治療エリア、つまり病監大隊まで移送された。監視センターは家族の見舞いを拒否した。