交通事故の後に学んだ教訓
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年5月16日】私は2022年の3月27日にひどい交通事故に遭いました。交差点で荷物を積んだトラックが私の電動自転車に衝突しました。私は李洪志師父(法輪大法の創始者)のご加護のもとで事故から生還出来ました。以前、私は修煉を真剣に考えず、人間の観念で法を勉強していました。この関門は、私にしっかりと修煉することへの重要性を目覚めさせてくれました。 

 その事故の責任の一端は私にもありました。以前、自転車に乗っていると、トラックと競争して交差点を急いで通過することがよくありました。それは共産党文化の「闘争」の現れでした。私は長い間修煉してきたのに、このような考え方から抜け出せていなかったので、今回の事故を引き起こしました。

 また、法輪大法の原則の一つである「忍耐」では手放すことが含まれていることも学びました。私の以前の忍耐についての理解は、単に苦しみに耐えることだけでした。実際、「忍耐」にはより高いレベルでの深い意味合いがあります。真の修煉者の忍耐は、人間の観念を手放した後、自ら率先してあらゆる瞬間に自らを修煉し、苦しみを喜びとして捉える素晴らしい境地を反映しています。 

 単に痛みの苦痛に耐えることは、自分の業を受動的に返済するだけです。それは難をより大きく見せただけです。たとえば、病院で麻酔の注射を受けたとき、痛みで泣きました。私の主意識がより強く明確になった後、私は痛みを本当の自分から切り離し、後天的な概念を取り除くことに率先して取り組みました。私は背が高く、強くなり、難が小さくなったように感じました。それは全く異なる領域でした。 

 以前、私は第2式の功法法輪椿法は30分だけ煉っていました。交通事故の後、私は第2式の功法を毎日1時間煉るようにしました。初めて煉功の時間を延長したときは、痛みやその他の不快感がありましたが、私は自分を真の修煉者として扱い、不快感は気にしませんでした。第4式の功法に達するころには強い正念で満たされていました。 

 なぜ私は時間を延長することを恐れていたのですか? その恐怖は本当の自分ではなかったのですが、それを打ち破ることはできなかったのです。自分を真の修煉者として粘り強く扱い、人間の観念に振り回されることを拒否することが、悪を排除するプロセスであることに気づきました。

 煉功をした後は、疲れるどころか全身がリラックスした感じがしました。どうして今までこんな気持ちになったことがなかったのだろうか? それは私が自分自身をしっかり修めていなかったからです。これからは今まで自分が習得した概念を否定しなければならないことに気づきました。 

 足が痛くて最初はマッサージをしていたのですが、だんだんと痛みがなくなってきました。しかし、私が「法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい!」と繰り返し言い始めるとすぐに痛みが止まりました。「真・善・忍は素晴らしい!」私は、自分の身体の健康を改善するレベルに留まっていて、法輪大法の修煉において 心性を向上することができていなかったことに気づきました。

 交通事故は、しっかりと修煉することへの重要性を認識するきっかけになり、私にとって素晴らしいことでした。様々な観念を排除し、真に修めて、私はより高い修煉の領域に引き上げられて行くのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/15-457698.html)
(English: https://en.minghui.org/html/articles/2023/5/7/208407.html)
 
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