文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月20日】私は、2000年に大法の修煉を始めて以来、試練やつまずきを経ながらも今日まで歩み、すでに24年が経とうとしています。修煉を始めてからのいくつかの体験を、以下に皆さんと共有したいと思います。
善をもって悪縁を解決したい
大法の修煉を始めたその日から、私は「真・善・忍」という大法の基準に従って自分を律し、常に「無私無我、他人を先に、自分を後に」ということを目指して努力してきました。
修煉を始めて間もない頃、妻に不倫相手ができました。当時、私たちの子どもはまだ3歳でした。相手は妻よりも7〜8歳年下の未婚の青年で、同じ村の住人なのでお互いに顔なじみでした。妻も彼の両親が決してこの関係を受け入れないことは分かっていました。
私は、妻が社会の堕落した風潮の影響を受けて理性を失ってしまったのだと理解しました。これほどまでに、この社会は乱れてしまっているのです。私は落ち着いた心で妻に話し、思いとどまるよう説得しましたが、聞き入れてもらえませんでした。そこで私は、何の恨みも持たずに、穏やかな気持ちでその青年に話をしました。彼は理解してくれて、関係を断つことに同意してくれました。しかし、妻の方はどうしても彼を手放そうとしませんでした。
この間、私自身も心が揺れ動き、怒りや憎しみにかられ、さまざまな報復の方法が思い浮かんだこともありました。離婚も考えました。しかし、その先のことを考えたとき、冷静になることができました。冷静になってみれば、この青年が真実の誠意や愛情で私の妻を受け入れることはないだろうと思われました。そうであれば、妻が私のもとから青年のもとに走ったとしても、妻は安定した家庭を築けず、誰からも理解されず、子どもや家族・親族からも妻の生き方は受け入れられないまま人生を送ることになるでしょう。
たしかに、私が離婚をすれば、自分の名誉や夫・男性としてのプライドを守ることはできるかもしれません。一方、妻は一生の幸せと家庭での安らぎを失うことになります。それは同時に、この社会に、安らぎを失い心がゆがんだ人間を2人増やし、崩壊した家庭をまた1つつくることでもあるのです。
私は家族とよく話し合ったうえで、青年の人生と、自分の家庭のことを熟考し、思い切って地元を離れる決断をしました。妻とともに他の街へ引っ越したことで、それを機に妻の不倫関係は自然に終わりを迎え、それ以上問題が大きくなることを防ぎ得ました。
師父は、「個人修煉の中でのあなたの敵を含む全ての人を許すまで心を広くすべきです」(『オーストラリア法会での説法』)と説かれました。大法弟子である私は、まさにそのような人間でありたいと願っています。私を傷つけた人に対しても、恨まず、仕返しもせず、相手の立場に立って理解し、許すことができる人間でありたいのです。すべてのことには因縁があります。私は、善をもって悪縁を解決したいのです。
四度の交通事故を、すべて無傷で乗り越えた奇跡
ある日、私は友人と一緒に小型トラックで近郊の村に大根を取りに行きました。収穫量が予想量を超えてしまい、車は明らかに過積載の状態でした。帰り道に、高速道路を走っている最中、突然後輪の一つが破裂しました。その瞬間、私は思わず「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。信じられないことに、車は大きく揺れながらも、見事に安定し停止したのです。横転もせず、後続車とぶつかることもありませんでした。
もし後ろから車が1台でも接近していたら、急ブレーキも間に合わず、重大な事故に繋がっていたでしょう。同乗の友人も法輪功の素晴らしさを理解している常人だったため、師父の慈悲深いご加護により、私たちは無傷で済んだのです。
また別のある日、私は4人の常人の友人と一緒に、トラックを運転して果物の仕入れ先を探しに遠方まで出かけました。5人全員が運転できたので交代でハンドルを握りました。
夜半、小太りの友人が運転する番になったとき、彼は運転中にうとうとし始め、ついには寝入ってしまいました。高速道路の脇の植込みに、車が斜めに突っ込もうとしたその瞬間、私は再び「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。
すると、車は道路脇の小さな木にぶつかって側溝の中に入っていきました。横転せずにそのまま側溝を終点まで走り抜けた車は、最終的には70〜80メートルほど進んでから無事に停止しました。車体には大きな損傷はなく、側溝に入る際に小さな木に当たったバンパーが少し変形した程度で済みました。
車内の5人は誰一人ケガをしませんでした。実は、車内の友人4人のうち2人はすでに真相を理解しており、残りの2人も完全には理解していないものの、大法に対して否定的な考えがない人たちでした。
大法の師父のご慈悲により、またしても危機を免れることができたのです。
2001年の秋、私は数人の同修と一緒に自転車ででかけました。近くの道路沿いに法輪功の文言が記されたステッカーを貼ったり、スプレーで標語を書いたりしに行ったのです。
私は自転車を押しながら歩いてこれらの作業をしていたのですが、そこへ対向車の大型トラックが遠くからどんどん近づいて来ました。大型トラックの運転手がライトをハイビームにしたままだったため、私は視界を完全に奪われ、気づいたときには自転車ごと側溝に転がり落ちていました。
ところが意外なことに、私は自転車のハンドルに手をかけたまま、両足でしっかり側溝の底に立っており、全身まったくの無傷。かすり傷ひとつ負っていませんでした。常識的に考えれば、これほどの転倒をすれば骨折や出血は免れないはずです。これも、師父の慈悲深いご加護があったからに他なりません。
さらに、2016年頃のある日、私たち5人の大法弟子は、車で100キロ離れた地域に真相を知らせるポスターや横断幕を掲げに出かけました。帰る時間は深夜に差し掛かり、3人の同修は車内で眠っていました。雪がちらつき始め、路面は滑りやすくなっています。家まで残り30〜40キロほどの地点のカーブで、前方からライトをハイビームにした大型トラックが、猛スピードでこちらの車線まではみ出して突っ込んできました。
ハイビームのライトの強い光に目がくらんだ私は、トラックの車体をぼんやりとしか確認できず、とっさにトラックを避けようと右にハンドルを切りながら急ブレーキを踏みました。けれども、滑りやすい路面のせいで車は制御を失い、反対車線を超えて深い側溝に突っ込んでしまいました。そのとき、目を覚ましていた同修がとっさに「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。車は一回転して側溝の底に逆さまに止まりました。
私たちは逆さまの車から這い出しましたが、5人中4人はまったくの無傷。後部座席で眠っていた年配の同修のみ、肋骨を3本軽く痛めただけでした。とはいっても、この同修は注射も薬も使わず、学法と煉功によって1カ月足らずで完全に回復しました。
車の損傷も軽微で、屋根とドア、トランクの一部が少しへこんだだけでした。このような大事故にもかかわらず、師父のご慈悲によって、私たちは無事だったのです。大法の超常さと神秘性が再び実証された瞬間でした。
一度の事故で無事だったら、それは「偶然」で済むかもしれません。二度続けば「運がいい」と思うかもしれません。四度も交通事故を経験していずれも無傷で済んだ、これはもう、神佛のご加護としか言いようがありません。
「法輪大法は素晴らしい」という一言で、私は何度も守っていただいたのです。これが奇跡でなくて、何でしょうか?
多くの人はこう尋ねます。「なぜ、そんなに危険を冒してまで真相を伝えるのか?」。警察からもよく言われました。「家で煉功すればいいじゃないか。誰にも知られずに済むのに。わざわざ捕まりに行くようなことをして、何の意味があるのか?」と。
私はすべての人に伝えたいのです。大法弟子は、すべての人が困難に遭っても守られ、危機に際しても安全でいられるようにと願って、真相を伝えているのです。
私たちは子どもの頃から多くの神話を聞いて育ちました。しかし今、その神話が現実となって目の前に現れているのです。世の人々がこの機縁を大切にし、幸運な生命となれるかどうか、今それが問われているのです。
大法の神秘性を示す出来事や、心性の向上につながる体験が他にもたくさんありますが、今回は割愛します。ただ願うのは、この私自身の体験を通して、皆さんが中共による大法への中傷と捏造の本質を見抜き、無神論という虚偽に惑わされず、正しく大法を理解し、真相を知って救われる道を選んでいただきたいということです。どうか、虚言の宣伝に騙されて淘汰の縁に立たされることのないように願っています。