文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年7月14日】私はある大企業の病院の内科医です。1993年に法輪功に触れましたが、正式に大法を修煉し始めたのはその10年後でした。師父の救い済度への感謝は、言葉で表すことができません。以下は、仕事の中で修煉することで、法輪大法が私個人と患者たちに恩恵をもたらした体験です。
一、リベートを受け取らず、患者の招待を受けず
私が修煉を始めたばかりの頃は研修医で、収入が比較的に低かったのです。当時の病院では、患者がご馳走の形で医療関係者に賄賂を提供し、医薬会社は密かに医者に薬のリベートを与えるなどの不良な気風が普遍的でした。私が働く病院のリベートはすべて科主任に独占され、研修医にはわずかしか割与えられませんでした。修煉する前は、同僚と一緒に患者からごちそうになったり、他の同僚と科主任の不満を言ったりしました。しかし、大法を修煉してから、このようなことが間違っていることに気づきました。
中国社会の道徳が急激に下落するにつれて、多くの医者はすでに道徳の底線がなくなり、リベートをもらうために患者に必要のない薬を使わせたり、金儲けのために過度な医療を行ったり、甚だしきに至っては、生きている人の体から臓器収奪して某大な利益を得ることもあり、これらの現象は中国の医療界の一種の気風となっています。
利益の誘惑の前で、私は自分に「師父はこれらの行為を認められますか?」と聞き、答えは「いいえ」に違いありません。それでは私はしません。自分のための利益を捨てれば、他人のために考えることができます。私は「もし私の家族が病気になったら、どんな医者が必要なのか?」と考え、その基準に従って行なうようになりました。
師父は私の知恵を開いてくださり、長年私を訪ねてきた患者さんはたくさんいます。「この先生は腕が良いだけでなく、常に患者のために考えてくれます」と患者さんの間にこのような評判が聞かれます。私はいつも患者さんやその家族に法輪大法の素晴らしさを伝えていました。ある患者さんは「先生、私は先生の評判を聞いて遥々訪ねてきて、本当に良い先生ですね。ただ、先生は法輪功を修煉していると聞いたんですが」と言いました。私は笑って「そうです。法輪大法を修煉したからこそ、患者さんのことを考えるようになりました。師父は、私たちに無私無我になるようにと教えくださいました」と話しました。
二、ポストを選ばず、不満を言わなければ、師父は最善をくださる
救急科は当院で一番人気のない部署です。腕の悪い医師や上層部に気に入らない医師がここに回されます。三交代勤務のほか、待遇やボーナスも最低です。私が研修医だった頃は「腕が良く、担当する患者が多い」と認められたので、救急科に配属されませんでした。しかし、私はリベートを受け取らないことや、患者と家族に法輪功迫害の実態を伝えていたため、「緊急外来は技術力が必要だ」という理由で、救急科に配属されました。私は文句も言わず、「どこに行っても良い人になる」という師父の教えだけを信じていました。私の患者は相変わらず多く、私のシフトを見て、私が当番の時に診察を受けられるように来ていました。私は依然として周りの人に大法の素晴らしさを伝え、そして夜勤後にはいつも、ある年配の同修と一緒に迫害の実態を伝える活動を行っていました。
救急診療科に移されて1カ月後、前の配属先の入院部は保険制度の悪用行為を始めました。つまり、医療保険カードのある患者に嘘の治療を記入し、繰り返し医療保険金を騙し取り、カードを持っている患者も稼げます。関係者の話によると、科主任と看護師長が現金を家に持ち帰ったそうです。その人達と比べると、私の収入はかわいそうなほど少ないのですが、私は心から師父のご按排に感謝して涙を流しました。私が悪い事をしないように、そして不法行為が行なわれている環境から避けるように、師父は私を入院部から離れさせました。師父は私に最高の手配をしてくださいました。結局、病院側は医療保険センターから多額の罰金を科され、病院を解散させられそうになり、関わった各科の主任、看護師長などが処分されました。
私はいつも楽しそうに仕事をしていますが、同僚は私がどうしていつも笑顔なのかと聞きました。実は私は自分が笑顔だとは知りませんでした。その後、私は救急科の主任に任命され、また外来科の主任にも任命され、外来科は病院側の一つの注目点になりました。私は収入が少なく、経済的な余裕はありませんが、大法のためにお金が必要な時には、師父はいつも助けてくださいます。例えば、大法が世界中に広まっているDVDを自分の両親と夫の両親に見せるために、それぞれにDVDプレーヤーを買ってあげようと思っていました。翌日、上司は私のために経理課に行って500元を受け取るようにしてくれ、奨励金だと言われました。このような事例がまだたくさんありました。師父が常に私を見守ってくださると思うと、涙が流れてきます。
三、昇進のための贈り物をせず、師父のご按排だけに従う
2005年、私は副高級職称の昇進の年限に達しました。関連部門内の昇進ですので、英語の成績が合格し、発表した論文があれば条件に満たします。しかし、長年の間に一つの人為的な条件があります。それは評価を行う人員と人事課のリーダーに贈り物を贈らなければなりません。私は二つの条件はすべて満たしていますが、三つ目の条件には従順できません。それは自分が業を作ることになり、衆生に業を作らせることにもなります。私はすべて師父にお任せ、師父のご按排に従うことにしました。その結果、私は順調に昇進できました。
四、怨みを放下し、衆生のために大法を伝える
私が救急に配属された時はひどい状況でした。夫が浮気をし、母が重病に罹り、特に息子は熱が出て9日も下がらず、汚言症(おげんしょう)の症状が出始めました。また、病院の院長と書記は、理不尽な理由で私を停職させようとしました。まさに師父の詩に書かれたように「百の苦一斉に降る」[1] 状態でした。大法の修煉者の私は、すべてが修煉過程での試練と見なさなければなりません。
私が修煉し始めた当初、院長と書記は私を610弁公室に報告しました。そして業務院長は私を説得して修煉を放棄するようにしましたが、結局業務院長は「大法を修煉する人は皆良い人です」と認めました。2008年北京オリンピックの前に、院長と書記は私に図書館で本を読ませたり、家で休ませたりして、私を排除しようとしました。しかし、私は怨むことなく、彼らに大法の素晴らしさを伝え、彼らの行為は明らかに大法弟子に対する迫害であり、自分たちに害をもたらすことになると指摘し、彼らが救われることを願っていました。その後、院長は院務会議で、修煉は私の個人的な行為であることを説明した上で、私は業務もしっかり行っており、真面目に仕事に取り組む優秀な医者だと認めてくれました。
私が勤める病院にはもう2人の同修がいて、院長は何度も私たちを守ってくれました。それが院長に福が報われ、退職する前、賄賂を受け取った罪で判決を受けましたが、比較的に軽く引退後、賄賂を受け取った罪で判決を受けましたが、判決は非常に軽く済みました。
院長が定年退職した後、書記が院長を代理しました。就任した直後、彼は区政法委員会と町の派出所、住民委員会の人員を病院に招いて、協力して私を転向させ、修煉を放棄させるようとしました。当時彼らは院務部で私を待っていましたが、外来患者が多かったため、すぐには行けませんでした。これは師父が私を助け、十分な準備時間を与えて彼らを救うようにしてくださっていることだと思いました。私は落ち着いて院務部に行き、善を持って彼らに大法の素晴らしさを伝えました。私を転向させようとして来た彼らは、最後に私に転向されそうになりました。これも師父が私に知恵を開いてくださったおかげなのです。
書記はその後も私が人々に大法を伝えるのを妨害するために、直接私を監視していました。それでも、私は彼を恨まず善を持って接し、仕事に協力しました。日が経つにつれて、彼はやっと大法弟子が皆良い人だと分かってきて、何度も院内の大法弟子を守りました。今年、彼は考えてもいない事情で1年早く退職させられましたが、それによって深刻な問題だらけの環境を離れることができました。
師父の慈悲深い済度に感謝します! 同修たちの協力に感謝します! これからもさらに精進し、自分に与えられた大法弟子の使命を果たして、師父について本当の故郷へ帰ります。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
(責任編集者:林暁)