再び怨恨心について話す
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年7月20日】修煉者にとって、修めて取り除くべき執着心の中でも、怨恨(えんこん)心は非常に特殊で有害な心です。それは明白であったり隠れていたり、狡猾でありながら「ストレート」でもあり、単独で存在して悪事を働くこともあれば、他の執着心を結びつけて強化することもあります。法を正す時期の修煉者にとって、怨恨心は大いなる禁忌(きんき)です。まずはそれを見破って、除去しなければならないと決意すべき頑固な執着心です。

 筆者は明慧ネットで他の同修の記事や体験談を真剣に読み、自分の修煉体験と結びつけて、以下のような理解を整理しました。

 一、原因

 怨恨心は旧宇宙の基本的な属性である利己主義に直接由来するもので、常人の中で思想の境地が非常に高い人でも、修煉の過程中の人でも例外なく、怨恨心を持つことは避けられません。生命の先天的な本性は宇宙の真善忍の特性に合致していますが、私心が増えることで、その層の次元に見合った条件を満たせず、次第に一層一層次元を下げ、徐々に人間のレベルまで落ちてきました。この私心はすでに怨恨心と結びついており、そしてこれは最も初期の怨恨心の起源であると私は思います。宇宙特性の最も高いところで、私心(怨恨心)が芽生えると、すぐに下に落ち始め、その後の次元はより速く下に落ち、人をより低い層の次元へと引きずります。

 中国大陸で生まれ育ち、長年過ごした人々は、その影響がより深刻です。共産邪霊(恨みと宇宙の底層空間に存在するさまざまな腐敗物質から構成される)や中共邪党の「邪、騙、煽る、争、奪、無頼、離間、抹殺、支配」という9つの邪悪な遺伝子の悪影響を、直接的かつ長期間にわたって受けています。これらの9つの邪悪な遺伝子は、「恨み」を原動力に、闘争思想の核として絶えず変異し、枝分かれし、エスカレートしたものです。共産主義の赤い悪魔は恨みに基づき邪悪を立て、人々に害を与えます。これは大陸に住む中国人の大きな不幸ですが、怨恨心は全て外部の要因に由来するわけではありません。社会の中で名利や欲望をめぐって、他人と恨みや争いが絶えず相互に繰り返されることで、怨恨心が強化され、育っていくこともあります。

 二、関連

 怨恨心は、「羨望、嫉妬、恨み」や「不平等」から生じ、「争い」や「高慢な態度」に現れます。嫉妬心、不公平に思う心、争う心、他人を見下す心は、相互に促進し合う「強い関連性」があります。どの心が先に出るかは必ずしも決まっていませんが、怨恨心は、それらの執着心を結びつける接着剤のようです。私自身、修煉が遅くてあまり進まないときに、他人に少し刺激されるとこれらの心が同時に「一体化」して現れることがよくあります。自分自身でもどの心が主で、原因はどこにあるのか一瞬見分けがつきません。良く対処できたときは内心に不快感を抱きながらも、表面に現れずにすみますが、これらの心に駆り立てられるときは表面的にも気持ちを保つことができず、相手と論争しやすくなります。これは修煉者として備えるべき態度や姿勢ではありません。

 詳細に分析すると、怨恨心にはレベルや強度の違いがあります。軽微な不満や不平は、怨恨心の初級段階であり、多くの修煉者は家族や同僚、同修との関係の中で頻繁に起きています。他人がちょっと規範に合わない言動をするのは、よくあることですが、心の中で「この人はどうしてきちんとしないのか」と思うことがあります。これはすでに怨恨心になっています。もし厳しく正さずに放置させると、すぐに争いの心に発展するでしょう。これはすでに共産党の闘争思想に近づいていて、人に何も言わせなくなり、和解が困難な状況になります。なぜなら、怨恨心は不公平に思う心をさらに引き起こし、修煉者同士の不必要な隔たりを生んでしまうからです。このような状況では、修煉の進んだ同修でも、怨恨心を抱いている人を説得することができず、全体の圓容に不利益をもたらすかもしれません。

 三、危害

 怨恨心の最も深刻な影響は、慈悲心を修めることが難しくなることです。これは善良な大法弟子にとっての根本的な問題です。というのは私たちは真、善、忍を実践して修める正法修煉者なのです。一般の人々でさえ思いやりを持ち、儒教では「惻隠(そくいん)の心」を推奨しています。これらの要求が、一般の人々によって達成されたとしてもまだ旧宇宙の理にとどまります。大法弟子は、「無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにする」[1]という正法正覚にまで修め遂げる必要があるので、怨恨心は厳しく修めなければなりません。私たちは正々堂々と新宇宙に入る最も幸運な生命なのです。大法弟子と他の衆生との関係についてはあまり語りませんが、現在中共はまだ大法に対する弾圧と迫害を継続しています。我々は「悪人や悪徳警官」との関係をどう見るか、どのような態度をとるかは非常に重要です。

 同修がまとめたのは「迫害と被迫害」ではなく「済度と被済度」の関係です。これは非常に正確です。常人社会の中で非常に邪悪な迫害者に対して、おおらかで超越した胸襟、風格を持つことができるのは、法理を明確に理解した結果です。これは大法弟子が嫌がらせや迫害に遭ってもなお、相手を救うことができる大いなる善と忍を示しています。これは真・善・忍の大法の偉大さと非凡さの体現なのです。

 怨恨心がもたらした他の多くの危害については、広範な議論は行いません。同修の皆さんは、さまざまなレベル、さまざまな状況で着実に修めており、深い体験を持っていると信じているので、大まかな説明は省略します。

 四、怨恨心を取り除く

 まず、直接その心を一掃することです。一念一行に注意を払うことで、怨恨心が悪さをする痕跡を辿ることができます。初めはイライラや我慢できない気持ち、他人を見下す気持ち、損をしたと感じる気持ちなどの兆候が現れるかもしれません。これは心の状態が正しくないことを示しており、魔性も生じて、怨恨もすぐ出てきます。もちろん、それに付随する嫉妬心や名利心、不公平に思う心なども次々と表出し、魔性が広がっていきます。したがって、最初の邪念に注意を払い、早めに清めることが重要です。

 次に、積極的に正念を発し、悪い心や正しくない思考、考えを取り除くことです。師尊から教えられた発正念をする前に、思考を清めるという要求に従うことが最善です。特別な状況で正念を発する時間があまりない場合でも、3〜5分を使って自分の心をきれいにするのが効果的です。

 三つ目に、正念で主意識を強化することで、しっかりとした自分の考えを持つことができます。他者や観念、他の空間の現象に簡単に動かされないようにしましょう。あらゆることに対して正念を持ち、宇宙の法理がすべてを制約しているという信念を固く持ちましょう。

 法を正す修煉の時間は限られており、責任は重いのです。私の理解では、際限なく繰り返し現れる各種の執着心は、複雑で曖昧であり、恣意的に妨害してきます。この時、私たちは放っておかず、とらわれたりせず、「快刀乱麻を断つ」(複雑な問題や紛糾している事態をものの見事に解決することのたとえ)ということわざの通り、正念を用いてそれらの執着心を取り除くべきできます。

 これらを全てしっかり行うために、最も根本的で最も重要なことは、師尊が繰り返し要求されている三つのことの最初のこと、学法です! 

 以上は個人のわずかな理解で、法理の引用は適切ではないかもしれません。言葉の意味が十分に表わせないところは、同修の慈悲によるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「佛性に漏れなし」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/26/462223.html)
 
関連文章