深く隠れた嫉妬心に気づく
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文/中国遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2023年8月27日】最近、私に起こったいくつかの出来事について、同修のみなさんと交流したいと思います。

 一、深く隠れた嫉妬心に気づく

 夏のある夜、夕食後、私は山のふもとへ散歩に出かけました。そこで2人の小さな女の子を見ました。1人の小さな女の子は静かに椅子に座っていて、もう1人は隣の椅子に座っていましたが、泡を作るおもちゃのピストルを持って遊んでいました。その女の子はたくさんの泡を吹き飛ばしていて、とても綺麗でした。遊んでいる最中に、ピストルを静かに座っている女の子の方に向けて、たくさんの泡を吹き飛ばしました。その時、私は思いました。「この静かな女の子は怒りだし、悲しい思いをしないだろうか。他の子供たちが楽しくおもちゃの銃を持っているのに、自分だけ持っていないから悔しいと思わないのだろうか。吹き飛ばされた泡に腹を立てることはないだろうか」と。

 その時、私の予想を裏切る光景が広がりました。その静かな女の子は怒ったり腹を立てたりせず、むしろ喜んで手で泡をつかんで遊んでいました。その顔には子供らしい笑顔が広がり、そして2人は楽しそうに一緒にその泡で遊んでいました。その瞬間、私は自分の嫉妬心に気付きました。党文化の教育下で生まれた競争心、他人が持っているものは自分も持たなければならない、他人の方が優れているのを許せない、自分が持っていないものを他人が持っていると敵意を感じるなど。しかし、その小さな女の子はまだ純真で、そんなにたくさんの観念を持っていなかったので、2人は楽しく一緒に遊ぶことができたのです。

 二、露わになった警戒心

 ある日、私はスキンケア用に中にボディローションを入れて使おうと、浣腸剤を買いに薬局を訪れました。私は店員に浣腸剤を買いたい旨を伝えましたが、店員は商品を探しながら使い道を尋ねました。その時、私は非常に不機嫌な気持ちになり、警戒心さえ持ちました。心の中で、「なんでそんなことを聞くの? あなたは言われた商品を探すだけでしょう? なんでそんな事を聞く必要があるの?」と考えました。一瞬にして、私は自分の警戒心に気付きました。党文化の教育の下、他人を善意で理解することがなく、常に悪い側面を考えてしまう傾向があることに気付きました。気付いた後、私は直接店員に使用目的を伝えました。その後、店員は私に使いやすいものを紹介してくれました。

 その瞬間、店員が私に用途を尋ねたことに悪意はなく、単に私に適したものを提供するためだったということが分かりました。私の隠れた警戒心が露呈して、他人の意図を悪意のあるものとして解釈する傾向があることに気付かされました。

 三、無関心な心を修める

 ある日、私は2人の同修と一緒にあるところに行きました。1人の同修が前を歩いていて、私ともう1人の同修はその後ろを歩いていました。その時、通行人が荷車を引いて前を横切って行き、荷車から物が落ちました。前を歩いていた同修は急いで駆け寄って物を拾ってその荷車に戻しました。私はその光景を見て、自分の冷淡さに気付きました。後ろを歩いていた私ですが拾ってあげようとしませんでした。もし私が前を歩いていたらなおさらです。私は非常に独立心が強い性格で、他人に頼ることをあまり好みません。普段は自分で問題を解決しようとする傾向があり、他人も自分で処理するだろうと考えていました。しかし、実際にこれは非常に冷淡な態度であり、他人の問題に無関心な心の現れです。しかし、自分では自分がよくできていると思っていました。

 師父は私が自分のこのよくない心に気付いたことを見て、数日後に一つの機会を与えてくれました。その日、私が歩いている時、前にいた数人の少女達が遊んでいたボールが近くに転がって来ました。以前なら無視していて、「彼女たちは若いから、すぐに駆け寄って拾うだろう。私が心配する必要はない」と考えたはずです。しかし、その日、私は急いで数歩進んでボールを拾い上げて少女たちに渡しました。

 以前は、真相資料を作成したり、真相を伝えて人々を救うことが修煉の良し悪しを決めることだと思っていました。最近のこれらの出来事を通じて、修煉は壮大なことではなく、普段から自分の考えの一つ一つに気をつけることこそ、自分の修煉に対して責任を取ることであり、精進することであると理解しました。

 師父が私を悟らせるために与えてくださった苦心の按排に感謝致します! 合掌。

 (責任編集者:李明)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/8/12/464027.html)
 
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