【5.13応募原稿】山岳地帯の小さな町の法輪功修煉者(1)
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文/遼寧省の大法弟子 華一

 【明慧日本2023年8月30日】遼寧省の山間部に位置する小さな町があります。この町は国道に近く、四方が山に囲まれています。そして、その一帯は雲霧が漂い、空気は白みがかって心地よく、豊富な自然資源がこの土地の人々を育み、健康と癒しの天然の宝の地と呼ぶにふさわしい場所です。1996年、法輪大法がこの山岳地帯の小さな町、天然の宝の地に伝わりました。1996年から1999年までのわずか3年間に、400人近い人が次々に修煉を始めてその恩恵を受けました。

 すばらしい高徳の大法は修煉者の身体を健康にし、心を浄化し、返本帰真させ、家庭が調和し、隣近所との和睦をもたらしました。大法修練者の修煉を始めた前後の変化と高い境地での行為は、人々から称賛と認知を得ました。そして、人々は口を揃えて「この法輪功は本当に素晴らしい!」と言いました。

 一、多くの人々が恩恵を受ける

 法輪大法のすばらしさをより多くの人に知ってもらうために、町の法輪功修煉者は学校の校庭や体育広場を選び、集団煉功や法を広める活動を始めました。1998年の夏、ある日の午後6時、小さな町に住む300人以上の大法修煉者が、法を広めるためにグラウンドに集まり一緒に煉功をしました。ボランティア指導員がラジカセのスイッチを入れ、煉功音楽が流れる中、修煉者が一斉に煉功を始めました。その場面は静かで平和で、神聖で壮観でした。広場の周りでは絶えず多くの人がその光景を見ており、人々は称賛して「わぁ、法輪功はすごいですね!」「こんなに多くの人が学んでいるんですね!」と言いました。

 大法があまねく伝えられるのに伴い、修煉をする人の数が徐々に増えていました。小さな町に住む大法修煉者は、年齢や職業に関係なくいくつかの学法グループをつくり、仕事や食事の後に皆で集まって心を静め、大法の書籍『轉法輪』を熱心に読みました。彼らは心性が急速に向上し、姑と嫁の関係が和解し、職場の物を家に持ち帰らなくなりました。工場で溶接工をしていたある修煉者がいましたが、法輪功を学ぶ前は、仕事場にある溶接棒を誰かが欲しいと言えば、溶接棒を束で渡していました。しかし、法輪功を学んだ後、その修煉者は厳粛に法輪功の教えに従い、誰にも溶接棒を渡さなくなりました。ある時、その修煉者の義理の妹の夫が彼に溶接棒を一束ほしいと言いましたが、彼は「私は法輪功を学んでいますので、もう会社のものを他人に渡すことはできません。本当に必要なら、私がお金を出してあなたに買ってあげます」と言いました。その後、その義妹の夫は心から大法を敬服しました。

 毎週末になると、大法修煉者は大法書籍と理解を深めてもらうためのパネルを持って、農村地域に法輪功を広めに行きました。ある時、私たち7人が自転車に乗って20キロ離れた農村へ法輪功を伝えに行ったとき、60歳代のおばあさんが私たちを家に迎え入れ、感動しながら「昨夜、空から7人の仙人が舞い降りて、私の家の庭に降り立つ夢を見ました。そして今日、あなた方7人が来ました。本当にその仙人はあなたたちだったんですね。まさに神仙が来たのです」と言いました。その村では、たくさんの人々が法輪功の学び始めました。

 1998年のある月、県内の10以上の町や村の大法修煉者が、私たちの小さな町に集まり、集会場で大規模な法輪大法の修煉体験交流会を開催しました。およそ1000人が参加し、十数人の修煉者が登壇し、自らの修煉における超常的な変化や、師父の無量の慈悲への感謝を語り、感動的な出来事を一つ一つ発表ました。この修煉体験交流会により、登壇者も聴衆もみな涙を流す場面が生まれました。交流会が終わった後、人々は徐々に解散しました。小さな町の住民は「何があってこれだけ多くの人が集まったのですか?」と尋ね、ある人が「あの人々は、法輪功を学んでいる人たちですよ」と言いました。当時、この小さな町では、法輪功が人々の心をつかみ、多くの人々が次々に入ってきて法輪功を学ぶようになりました。

 1998年12月、遼寧省の気功協会が法輪功を攻撃しました。12月30日、遼寧省各地から集まった数千人の法輪功修煉者が瀋陽の気功協会の前で平和的な請願を行いました。法輪功修煉者たちは気功協会に対し、法輪功を誹謗する虚偽の言葉を撤回し、法輪功の名誉を回復するよう要求しました。私たちの小さな町も100人以上の修煉者がそこに集まり、街路の脇に8時間立って知らせを待ちました。12月31日、法輪功修煉者の代表が気功協会と交渉を行いました。その日の午後4時、気功協会のメンバーが車で法輪功修煉者の群衆のところへ向かい、お辞儀をして謝罪し過ちを認め、名誉を回復することを約束しました。この騒動は収束したのですが、修煉者たちはこの時、心の中に「暗雲が垂れ込める」ような感覚がありました。

 二、陳情の道

 1999年4月24日、天津中国科学院の学者である何祚庥が、中国天津教育研究所の雑誌をつかって法輪功を中傷し攻撃したため、天津の40人以上の修煉者が事実と真相を伝えに行ったところ、天津市公安局によって連行されたという出来事が起こりました。

 4月25日の午後3時、私たちの小さな町から40人以上の同修が、車で自発的に北京の中南海に向かいました。全国各地からも1万人以上の修煉者が道路脇に静かに立ち、政府に対して説明を求め待機していました。夜9時ごろ、法輪功修煉者の代表が出て来て「天津で連行された法輪功修煉者が釈放されました」と告げました。この知らせを聞き、皆は国家政府が公正な対応をしてくれたと感じ、各地から陳情に来ていた人々は北京を離れました。

 しかし暗雲は消えず、1999年7月20日、愚かな江沢民が法輪功を迫害するよう命じました。一夜にして国中が恐怖に包まれ、各地の法輪功責任者が連行され、小さな町でも最初に法輪功を始めた一人の修煉者も警察によって不当に連行されました。皆はその知らせを聞きつけ、朝から100人を超える人々が次々と地元公安局へ向かい、列をなして公安局の周囲に立ち並びました。

 2人の大法修煉者が立ち上がり、公安局の警官に法輪功の真相を伝え、修煉者の釈放を求めました。

 夕方6時過ぎ、法輪功修煉者の勤務先の上司や家族が一斉に公安局の敷地内に押し寄せ、修煉者を強制的に連れ出そうとしました。ある人は服を引き裂かれ、ある人は暴力を受け、またある人は強制的に運び出されました。しかし、法輪功修煉者は動じることなく、堅固な信念は強大な力を生み出し、引きずられないよう皆で腕を組み、人壁を形成して互いを守り合いました。互いを見つめる視線の中には励ましと支え合う気持ちがありました。

 夜11時過ぎ、県から派遣された大型バス2台と何台かの警察車両が、公安局の敷地に到着しました。数十人の警官が降りてきて、警棍を持って修煉者を襲撃し始め、その場で数十人が連行されました。警察車両が修煉者を連れ去ろうとした際、残っていた仲間が前に出て手をつなぎ、一列になって警察車両の前に立ちはだかりました。同修たちを守ろうとする姿勢に、警察は驚きのあまり車を運転する勇気がなくなり、車から降りて警棍を手に持ち修煉者を解散させました。そして、警察車両は去っていきました。

 1999年7月21日の早朝、真実と真相を明らかにするため、小さな町の大法修煉者は数多くの障害を乗り越え、ある人は車に乗り、ある人は歩いて山を越え、北京の陳情受付事務所に行き、法輪功学の無実を訴え公正を求めました。全国各地の大法弟子は皆、申し合わせたかように北京に陳情に行き、政府が庶民の声に耳を傾けてくれることを願いました。しかし、北京は話をする場所ではありませんでした。国務院陳情事務所は連行する場所と化していました。私たちは理解できませんでした。このように素晴らしい高徳の大法に対して、政府がなぜ事実を逆転させ、デマや誹謗中傷を造る必要があるのでしょうか? 大法の師父が伝えた功法によって、億を超える人が健康になり国家の医療費を大幅に節約していますが、このように社会と人民に利益をもたらし、一害もない素晴らしい功法に対して、なぜ大法の師父に感謝しないのか、なぜ力を尽くして弾圧しようとするのか、理解できませんでした。

 私たちが陳情することもできずに町に帰ると、各部隊と地域社会の責任者の態度は一変して上層部の迫害命令に従い、小さな町の大法修煉者全員に対して厳しい調査を行い、態度の表明や署名、保証書の提出、保証金の支払いを強要しました。抵抗する者は停職処分となり、洗脳のための「講習会」へ強制参加させられます。早朝、仕事に向かう人々が通る路上では、北京へ陳情に行った修煉者の処分名簿が高音スピーカーで放送されたのです。そして、再度の陳情防止のため、職場や地域社会は連帯責任を負わせる政策を実施し、大法修煉者1人に対して2人の保証人を見つけるよう求めました。もし再び陳情を行った場合、罰金と解雇処分が科されます。当時、大法修煉者は非常に大きな圧力を感じていました。

 1999年10月20日、迫害はさらにエスカレートし、江沢民はフランスを訪れた時に、私的に法輪功を邪教と指定しました(注:中国共産党が本当の邪教である)。そして、全国各地で法輪功修煉者を理不尽に逮捕しました。小さな町の大法修煉者は再び北京に向かい、国家政府に状況を訴えました。私たちは宗教ではなく、江沢民の言葉は法律を代表するものではありません。無実の罪をきせられながら、話す場所も訴える場所もなく、結局は連行され、拘束される結果となりました。

 2000年12月下旬、私たちの小さな町の修煉者約40人は再び北京に向かい、全国各地の同修と一緒に、毎日北京市民に真相資料を配布し真実を伝え、メディアが国民に伝える内容は全て、法輪功に対する濡れ衣であることを伝えました。

 2000年12月23日、私たちは決然と生死を放下し、法輪大法を守るために生命をかけて次々と北京の天安門広場に向かい、人々に向けて「法輪大法は素晴らしい」「法輪大法は正法である」という横断幕を掲げました。天安門広場には全国各地から陳情に訪れた大法修煉者が至る所におり、「法輪大法は素晴らしい」「法輪大法は正法である」「私の師父は無実です」と叫ぶ声が交錯し、広場の観光客たちも足を止めて見入っていました。パトカーがサイレンを鳴らして広場に突入し、警察は非人道的な暴力を用いて修煉者を連行し、次々と強引にパトカーに詰め込んでいきました。

 連行された大法修煉者は全員、天安門公安局の敷地内に収監されました。その日、1000人以上の大法弟子が次々と連行され、袋だたきにされたり、髪を引き抜かれたりしました。誰もが初対面で互いに知り合いではありませんでしたが、まるで家族に会ったように合掌し、互いに励まし合いました。公安局の敷地で、みんな心一つに声を揃えて「法輪大法は素晴らしい!」「私の師父は無実です!」「邪悪を排除せよ!」と高らかに叫びました。1000人以上の声は、雲を突き抜けて大空に響きわたりました。ある大法弟子が「見てください、法輪です!」と叫ぶと、全員が一斉に空を見上げました。そこには五色に輝く法輪が空中を飛び回っていて、しばらくして見えなくなりました。その光景にだれもが感動の涙を流しました。

 連行された人が多すぎて、天安門公安局の敷地内に収容しきれなかったため、警察は私たちを他の拘置所に分散して収容し、毎日場所が変わりました。3日目に、警察は数台の大型バスを使って、名前を言わない何百人もの大法修煉者をバスに押し込みました。ある修煉者が警官に「私たちをどこに送るつもりですか?」と聞きくと、警官は「無駄な言葉は控えろ。着いたら分かる」と言いました。この修煉者は若い警官に真実を説明しました。若い警官は何も言わずに頭を下げ、ひっそりと涙を流しました。

 バスは2時間以上走り、私たちを北京、天津、天津市薊州区に連れて行きました。天津市薊州区の荒れ果てた山間の渓谷には、たくさんの警官が銃を背負い空地に立っていました。私たちの頭をよぎったのは、こんな荒野に連行したのは、私たちを殺害しようとしているのではないかということでした。警官は考える暇も与えず一人一人をチェックし「どこから来たのか、出身はどこか?」と問い詰めました。私たちは何も言いませんでした。警官は一人ずつ尋問し、答えない場合はバスから突き落とされ、最終的に誰も話さなかったので、全員がバスから押し出されました。その勢いはまるで銃撃を受けるような勢いでした。大法修煉者たちの目は通じ合い、「死しても後悔せず!」との無言の言葉でお互いを励まし合いました。

 しばらくすると警官の乗ったパトカーがやってきて、一人の良知ある警官が私たちの前に現れました。「これから、あなたたちを解放しますが、山に登らないようにしてください。この道に沿って進んでいけば町に出られます。家に帰ってください」と言いました。

 パトカーは走り去っていきました。ある修煉者が勢いに乗じて、警官が見ていない隙に胸に隠していた「法輪大法はすばらしい」の横断幕をパトカーの後ろにひっかけました。その横断幕はパトカーが動き出すと共に風に舞い上がりました。皆とても喜び、三日間も食事を取らずにいたにもかかわらず、みんな元気でした。あるお姉さんは木の枝を拾い上げて踊り出し、興奮した様子で「私たちは自由です!」と言いました。みんなはお互いに合掌して別れを告げました。

 私たちの小さな町から北京に陳情しに行った仲間たちは、連行された後、不当な判決を受け、労働教養を科されたり、勾留され、洗脳班に送られた者もいました。また、一部の修煉者は停職や罰金を科されるなど、100人以上が連行され迫害を受けました。拘置所の中で、私は同修から次のような光景を聞きました。

 ある母親が、息子の子供を連れて「転向」しない息子に会いに行きました。警察は母親を使って息子に「過ちを悔い改める書」を書かせようとしたのです。母親は自分の息子を家に帰らせるために、子供たちを連れて息子の前で「座り込んで」跪き、泣き叫び、「過ちを悔い改める書」を書かなければ立ち上がらないと訴えました。それを見ていた同修は涙を浮かべながら、その母親を抱き起こし「息子さんは今まで悪いことをしていないのに、何を悔いる必要があるのですか? 息子さんを責めないでください。忠義と孝行は両立できないのです」と言いました。その母親はもう何も言わず、立ち上がって子供たちを連れて去って行きました。

 刑務所の中で、大法修煉者は拷問に苦しめられ、釈放後も、家族からの不満や圧力、家族から理解されないなどがあり、中には妻子と離別する者もいました。困難ではありましたが、私たちは自分たちの選んだ道が間違っていないことを知っていました。大法を修煉する心は揺るぎません。私たちの目的は返本帰真することであることを理解していました。皆いつも互いに切磋琢磨し、心の中が明るくなりました。大法に対する正しい信念、師父のご加護、お互いの励ましによって、この困難な時期を乗り越えました。

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/4/460938.html)
 
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