正念をもって、苦難に対処する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年9月19日】私は1999年以前に法輪功を学び始めました。学び始めたばかりの時、大法弟子の家庭に嫁入りし、温もりを求めようと思いました。そして、結婚し、子供が生まれました。子育ては大変でしたが、子供弟子が日に日に成長していくのを見るのはとても幸せなことでした。

 ある日、突然子供の具合がわるくなりました。不安になり、緊急で病院に搬送しましたが、子供はそのままこの世を去っていきました。私にとっては、雷が落ちたような出来事でした。子供が救急処置を受けていた時、私には一つの声が聞こえてきました。「子供が亡くなってしまったら、それでも修煉を続けるのか?」という質問でした。当時、私は混乱に陥り、何をすべきかわかりませんでした。

 家に帰って、部屋いっぱいの子供の生活用品を見ると、胸が刀でえぐられる思いという言葉の意味が初めて理解できました。悲しみのあまり、涙も出ませんでした。静功をやる時、自分は崖に座っているように感じられ、少し気を緩めると落ちてしまいそうでした。夜になると、夢を見ました。子供は私に「お母さん、私は先に行きます」と言いました。私は疑問に思いました。大法を学び始めたばかりの私は、周りの大法弟子の家庭はどんどん良くなっていくのに、なぜ私の子供だけがこんなに早く亡くなってしまったのか、と思っていました。

 私は困惑し、悲しんでいました。しかし、修煉をやめることを考えたことはありませんでした。なぜなら、まだ法を深く理解していませんでしたが、師父からのさまざまな悟らせを感じ取ったことがあり、修煉は厳粛なもので、嘘は無いと感じていたからです。

 ある日、私は突然思い出しました。子供が亡くなる前、私は一つの物語を読んだことがあります。その物語を見つけ出して、再度読み返しました。私がこの関をうまく乗り越えられないことを心配して、師父は前もって、私を悟らせて下さいました。

 物語の名前は「ヨブ記」でした。昔々あるところにヨブという人がいました。彼は豊かな生活を送り、牛や馬は群れをなし、美しい家庭を持ち、妻や子供に囲まれていました。彼は心から彼の主を信仰していました。しかし、サタンは異を唱えました。「ヨブはどうして理由もなく、あなたを信仰しているのですか? それはあなたが彼にこのような幸福な生活を与えたからではありませんか? 彼がこれらすべてを失った場合、これほどあなたを敬い信仰し続けるでしょうか?」そして、サタンはエホバの同意を得て、ヨブに試練を与えました。瞬く間に家と土地、牛や羊、馬、そして最終的には妻と子供たちまでもが亡くなりました。ヨブは衣服を破り、頭髪をそり、地に伏し、「私は裸で生まれ、裸で死にます。エホバは私に生命を授けました。私は永遠にエホバを讃えます」と言いました。

 長い時間が経ち、私は物語の大意しか覚えていませんが、読み終えた後、私は涙しました。「そうですね、修煉は何のためでしょう? 常人の幸福な生活のためですか? 物質的な豊かさと貧しさはすべて人間のところで測るものではないでしょうか? すべての試練は、修煉者の心がどのように動くかを見て取るためであり、私たちに天に通じる道を築いてくれるものではありませんか?」私の心は明るくなりました。師父は私から多くのよくない物質を取り除いてくださいました。一気に苦しみが和らぎました。

 あれから20年以上の歳月が経過しました。1999年以前に知り合った同修とは連絡が取れなくなり、現在付き合っているのは1999年以降に知り合った同修です。多くの同修は、私の以前のことを知りません。みんなからみれば、私はとても良い生活を送っています。この大都市で自分の家を持ち、物質的に恵まれています。しかし、私は自分が辿ってきた道を覚えており、これは修煉のために便宜を与えられたに過ぎないことを深く理解しています。修煉には近道がありません。ただ師父の按排されたすべて、苦しみや困難を含めて受け入れることが唯一の道です。それは師父が私たちのために多くを肩代わりした後、私たちに返済させるために残した、ほんのわずかな残りものです。

 最近発表された師父の新経文を読んで、自分の過去を思い出しました。師父がこれほど長い間、弟子のために肩代わりしてくださった恩に感謝します。これからもしっかりと精進して、師父の恩に報いるしかありません。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/9/10/465121.html)
 
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